2013年12月2日月曜日

私の憲法 みんなの憲法

私の憲法 みんなの憲法


生きることは、自分の憲法を、決めていくことでもある。
生まれて、ほとんど、そのときから、憲法つくりははじまるのかもしれない。
しかし、文章として認識されることはないかもしれない。

その人を限定し、自らに課す憲法があるのではないかと思う。
それは、一人一人の個性以上に強力にその人を支配する力でもある。


どんな憲法がどんな順番になっているのか、きっと、その全貌をしることは不可能に近いのかもしれない。



たとえば、こんな条項が書かれているのだ。

1.苦労はいや。
2.僕は賢い。
3.僕が苦難の矢面にたつのはできない。
4.みんなが苦労するなら、僕もしてもいいが、僕だけ苦労するのはいや。
5.正しい(理論的に)のなら、そうすべきだ。
6.金のない生活はいや。
7.人に使われる方が楽。または、人に使われるような人生はイヤ。
8.納豆は絶対食べられない。
9.役立たない人間はくずだ。
10.女は美人でなければならない。
11.男は妻子を養うべきだ。
12.出世することが成功の印。


いろいろなことが書かれていきます。
お兄ちゃんには負けない。
騙される人生なら、騙す方がいい。

日々生きながら、自分の憲法をいきます。

きっと、青春という時期、社会へ出る時期になると
この憲法の再構築作業が行われるようになります。
それを、意識的に行うのか、無意識的に行うのか
もしくは、再構築を行う機会を失う人もいるかもしれません。


しかし、憲法の作成は、日々続きます。


苦労はイヤ は、苦労しても出世するなら に変わるかもしれません。
苦労しても、それが、みんなのためになるなら に変わるかもしれません。

しかし、60億の人生があれば、60億の憲法が存在し、
それらは、あらゆることに、優先事項として、登場します。


平和は希望する。しかし、私が損をしたり、地位が相手より低いの許されない。
それは、あかたも、その人の感情のようですが、じつは、その人の憲法なのです。
それは、書き換え得る可能性も無いわけではありません。
しかし、それはなかなか難しいものです。

個人の憲法であると同時に、家族の憲法にも関わってきます。
地域、文化、利害の憲法だったり、
宗教だったり、民族の歴史だったり
します。

しかし、赤ちゃんがそれらの憲法を事前に持っているわけではありません。
生まれた地域、時代、文化の中を生きる中で、
人生を構成する 憲法 というべきものを獲得していきます。

それは、一人の個性 などというものより遥かに強烈な何かです。

世界の争いは、この憲法のぶつかり会いなのではないかと思う。

このぶつかりを回避する方法として、高等教育は非常に有効かもしれないが、
完全ではない。

私も50歳なる。
30年前は、20歳で、高等教育と受けた年齢であるが、それで、すべてが
解決するわけでもないし、この30年間の時代の変化、この50年の時代の変化を
考えると、一度、教育を受けたからいいということでもないようである。

世界が平和になるためには、この 私の 憲法を どこまで、捨て去ることができるかに
かかっているのかもしれない。
この捨て去るためには、それに変わるなにかが必要だ。

しかし、その前に、自分がどのような憲法を持っているのかと認識することが大切だが
それさえも、おそらくほとんど、不可能に近い 作業に違いない。
数千、数万ある条項の、1つ、2つ見つけ出して、捨てるだけでもたいへんなことのように
思われる。

しかも、それは、国家に、民族に、家庭に、自分の生命に、複雑に関わっているのだから。

       (私の人生 魂に書き込まれた 私の憲法を 探しあえてることができるのだろうか。
       そんなことはできないのかもしれないと思い惑いながら。
       
       それは、私がしなかったことの中に書かれている。
       それは、私がしたくなかったことの中に書かれている。
       それは、既に、認識の外に追い出されたことの中にある。
       うーん。)

                          

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