2013年12月2日月曜日

神の存在とその力

神の存在とその力」をもとめて

この言葉は、大学の使命 キリスト教への使命に掲げられている。
そして、これは「個々の人生や社会生活の中で」と書かれているので、
それを具体的に検証することは難しいかもしれない。

しかし、神は存在し、常に、その力を行使しているのだと思います。

キリスト教への使命
 ICUは、キリスト教精神によって立つ学園であり、その使命は、宗教を含め、人間存在のあらゆる次元の問題を探求し、考究を深めることにあります。
 人間の直面するさまざまな問題の説明や解釈、解決の方法において、キリスト教精神に従う場合とそうでない場合との間には、異なる点があるかもしれませ ん。しかし、私たちが用いる学問的方法や論理は、他の立場に立つ場合と全く変わりません。学問を通じ得られる知識は、それ自体が最終目的ではなく、さらに 深い意義をともなうものです。この意味において、私たちは、知識、信仰、行為は、本質的に一体であるべきだと考えます。
 高等教育の場であるICUは、キリスト教信徒をつくることを目的とはしていません。しかし、学生一人ひとりは、学園生活を通して個々の人生や社会生活の 中における神の存在とその力に目を開くよう呼びかけられています。この呼びかけは、学生が自ら真理を求め、それぞれが見出した真理に身を捧 げるものとなることを願う、大学から学生への挑戦です。
すべてのものに、エントロピーが働く世界にあって、生命と意思は、なぜか、その流れに逆らって生きています。
エントロピーと愛をいうものを比べてみると、違う世界が見えてくるようにも思います。

すべては、エントロピーの法則から逃れられないといわれていますが、人類の文明や歴史は、何かを生み出そうとし、進化していこうとしています。

人類に力を与えているもの。
しかし、物質に関する科学
遺伝子に関する生命学
が、ものすごい勢いで進んでいますが、
なぜか、精神や心については、なかなか、研究がすすんでいないようにも思います.

コンピュータで、たくさんのことを計算できるようになったのに、
民族、宗教の争いに対して、数千年にわたる対立に、解決する術がありません。
ほんの十数時間で、世界のあらゆる国に行けるようになり、
電話も、メールも世界中に届くようになりました。

20世紀になって、人間の消費するエネルギーは、飛躍的に増加しました。
人類をあっというまに滅ぼすことが可能なほど、多くの原爆や水爆をもっています。
たくさんの石油から、たくさんの化学物質を産み出すことが可能になりました。
のろのろとしか動かなかった、コンピュータも今や、あらゆることを、すばやく計算できるようになりました。
魔法のような力を手にいれることができました。

私達は、どのように神に出会うのでしょうか。
フランチェスコは、野原を散歩して神にであったと映画は伝えています。
お釈迦様は、パピラの樹の下で、
イエス様は、十字架の上で、
神に出会うのでしょうか。

野原に咲く花に、バビロンの栄華もかなわないと、伝承は伝えています。
数千年の時を越えても、崩れることのない、ピラミットを作れば、神にあえるのでしょうか。
いや、もしかすると、神に出会ったからこそ、あのようなものが出来たのかもしれません。


神の存在とその力
それは、密かに訪れる。
心すまして、静かに、自らの内を見つめるとき、
人間が、2つの遺伝子の結合に始まり、現在に至るその間に
一瞬の成長の阻害が発生すれば、現在の存在はなかったかもしれないし、
変わったものになっていたかもしれない。
一瞬の時も、一人の人間の成長を守りきった、”こと”自体が、その証である。

一つの細胞に内に、一人の人間に意識が、すべて宿るわけではない。
まるで、無からの出発にみえる、人生に、たくさんの思考、記憶、想像の意識の
爆発があるそのことが、その証である。

確かに、神と出合った仏陀やイエスとは、ほど、遠いかもしれない。
しかし、確かな意思があれば、神に出会う 意識になれるのかもしれない。
愛 それを、魂の内に、宿すのは、教育の力でもなく、社会の力でもない。

奴隷を見て、人間と同じように生きるべきだと、開放宣言があったように、
パレスチナとイスラエルは、仲良くできると宣言する時がいつか、くるだろう。
キリスト教とイスラム教は、その教義を乗り越えて、一緒に生きることができると
命を賭けて、宣言する時がくるだろう。
その宣言は、キリスト教の教義より、イスラム教の教義より、仏教の教義より
世界人権宣言の精神より、重い土台が必要となるだろう。
しかし、その土台は、確かにある。
それは、愛 人間の人生の根源 生命の根源 存在の根源を支えるものである。
生命が、生きる力である。生命が生きるシステムである。生命が生きる掟である。

”それ”は、今もある。昔からある。
しかし、”それ”をしっかり捕まえて、その確信の上で、行動する人がいないだけだ。
”それ”を捕まえて、行動するには、何かに出会う必要があるかもしれません。

その力、システム、掟を支えている ”それ”である。
それは、重力が電力や磁力ではない。
けれども、”それ”である。
あまりに大きすぎて、あまりにも、存在しすぎていて、見えない”それ”である。
しかし、いつ日か、実感するその時は、いつもある。
存在を支えている”それ”への直感である。

                         (by kimito 11/27/2003 感謝祭によせて)

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