2013年12月3日火曜日

解かるということの不思議さについて(11/29/2004)

解かるということの不思議さについて(11/29/2004)

クイズ番組がたくさんある。
質問者と回答者が1対1のものもあるが、多くの場合、回答者は複数だ。
隠された答えに、気がつく時のあの興奮はいったいなんなのか。

ヘレンケラーが、見つけた、世の中には、言葉がある というあの衝撃にも似ている。
問題には答えがある。
クイズは、ある面手軽に、答えへの誘惑を再現してくれる。
しかも、わかる人、わからない人といる。
そのスリリングな刺激、優越感、敗北感、徒労感.....

しかし、わかるとはいったいなんなのか。

不思議という不思議な言葉を思い出す。
人生の不思議に出会うこと。

それを不思議に思うこと。 それは、答えの存在がどこかに感じられるから、不思議に思う。
答えの存在を感じないものを不思議に思うことはない。
そして、多くの人が、不思議を追い求めるのだ。

その不思議さを、いつ手に入れたのだろうか。
いつ、考えみても、不思議さは突然やってくる。
そして、それは、どうも、生まれてくる前から、こっそり、持ってきたものに違いない。

              (まだ、解からぬ不思議さを追い求めて 11/29/2004)

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