2013年12月2日月曜日

言語 日本語を越えて

言語 日本語を越えて


新しい世界の構想するの冒頭には、憲法や人権宣言とかいうものを礎におきたいと思う。しかし、敢えて、言語をもってきたのは、以下の理由による。
新しい人間観に基づく、新しい言語の使い方が必要ではないかと思うからである。
言語は、人間活動の全てにかかわり、憲法や人権宣言といったものを構成する要素にもなっている。
現在、使われている日本語をみていると、長い歴史によって、意味付けされた使い方、一人称と二人称の使い方など、特有な問題をあることがわかる。
敬語、尊敬語など、非常に重要な概念もありながら、いつも、自分の立場を意識続け、私の序列をいつも考えなければならない。相手と自分の立場をいつ も、言語の関わりを意識しざる得ないことを、新しい世界の構想にふさわしいのかを検証する必要がある。
一つの体制をできると、その枠組みを壊さないで、維持するためのツールとして、言語が発達してきた側面もありそうな気がするからである。
新しい人間観に基づく、言語のあり方を考えてみることも大切ではないかと思う。

ビジネス日本語の構築にむけて
日本語。美しい言語。数千年の長き歴史をもつ言語。
そのことを大切にしながらも、日本語には、変化を生じさせない無言の圧力があのではない
かと、ふと、思う。
尊敬語、丁寧語、謙譲語など、現代人にとっては、ふくざつな言語要素。
明治時代、新しい日本語産みだそうとする動きがあり、多くの変化が生まれた。
全てをローマ字でという提案もあった。戦前、戦後で文章の書き方を大きく変化した。仮名
遣いや、カナとかなの表記も随分変化した。だから、すこしぐらい日本語を変えてもいいの
ではないかという意見には、賛成はしない。しかし、....。
もし、日本語が、日本に変化を起こさせない圧力となっているなら、その問題を考えてみる
必要があるのではないか。もしかすれば、平易な文法による、ビジネスや役所の日本語利用
という考え方があってもいいかもしれない。
しかし、同時に、そのことによって、どんな影響がでるのかも考えなくてはならない。人工
的に整備された言語が、世界的に普及するというのは、難しいことであるし、自国の言語を
しゃべることを強制的に停止された国民の悲劇も、歴史の中では、よくあることであるか
ら。
新しい世界観が日本に広がるとき、その世界観に共鳴する言語のあり方も問われるのかもし
れない。世界人権宣言など、人類のあり方に言及したものは、新しい世界を導く入り口とな
った。これからも、より新しい未来への入り口が、多くの場所から開かれますように。
(BY KIMITO 3/6/2000 新潟の女性監禁事件の警察問題から変化を好まない日本の体質を。
言語という側面から。常に尊敬されているのか、自分の立場、ポジションを考察しながら、
複雑な言語を駆使しなければ生きられない社会という現実に、生きるエネルギーや、活動の
エネルギーを吸い取られているのではないか。また、そのような序列意識が、人間の平等意
識の障害や、いじめ、差別を暗黙の内に助長させる要素を内在させることもあるのかもしれ
ない。本当の平等の世界からは、平等のあり方を全生活側面から支える、新しい言語概念が
必要なのかもしれないと思う。その意味で、日本語のあり方を、歴史を越えて、時代を超え
て、普遍的な人類のあり方の観点から、尊敬語、謙譲語、丁寧語などのあり方を再構築す
る、言語学があってもよいのかもしれない。本当のすばらしい未来を手に入れるために。簡
単な話ではないことを十分理解しているつもりです。しかし、漢字の成り立ち、語源を、一
つ一つ吟味して新しい漢字学を構築した、白川静先生という存在を考えると、日本語の再構
築ということを試みている学者もいるのかもしれませんね。一人の人間のなせる技というに
は、本当に無限の可能性があるのかもしれません。)

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