2013年12月2日月曜日

ICU 60周年によせて

ICU 60周年によせて

  ICUが誕生して60周年を迎え、ICUは、新たな60年を生み出そうしている。
  第2次世界大戦の後悔を、原子爆弾を人類が使用してしまったという悲劇の中
  ICUは、明日の日本、明日の世界を夢見て、立ち上がった。

  ICUは、この60年、成功したのだろうか?
  確かに、ICUは、教育に成功したのだ。

  日本において、ICUの卒業生は、「部下にするには、一番イヤなタイプ」という
  レッテルも貼られながらも、
  「自ら考え、批判的に物を見、物事の背景を探り、論理的に考える」といった
  大学が、定めた目標を学生たちも、本気に取り組んだ成果なのだ。
  
  それこそが、明日の日本を生み出す原動力であり、
  それこそが、明日の世界を切り開く武器であることを信じて。

  時には、世間の荒波にもまれ、
  時には、無謀な戦いに終わり
  時には、理不尽な戦いを強いられ
  
  玉砕や撤退を余儀なくされた。

  かのイエス様だって、磔の刑に赴き
  かのジャンヌダルクも、火刑に処せられた

  神は何処にもいないのか。
  いや、確かに神はいるのだ。
  そうやって、イエス様の登場によって、世界は一新したではないか?
  そうやって、フランスの国は、ヨーロッパの大国として存在できたではないか?

  彼らと神がいなくては、違う歴史が訪れていたはずである。

  ICUの卒業生も、明日の日本や明日の世界を切り開くために、戦ったのだ。

  それは、東大さえも、いままでの教育の在り方に、疑問符を投げかけるきっかけになり、
  多くの大学が、いままでの在り方を考える時となった。

  ICUは、特別なことをしている。
  ICUは、変な大学だ、と、言われながらも、
  日本と世界をつなぐ、架け橋をやめようとは、しなかった。
  教員も職員もたいへんだ、たいへんだ。忙しい忙しいと言いながらも
  手間暇、お金がかかって大変だと言いながらも

  そう、ICUは、大学である前に、ユニバーシティであろうとしたのだ。
  だから、国際基督教大学という名より、ICUという名が好きなのだ。
  
  日本の枠、文部科学省の枠から、いつもはみ出て、いつも、どこかの例外のように
  書かれてきた ICUのやり方が、いま、日本の主流になろうとしているのだ。

  新しい本館を生み出そうとしている。
  いままでの古い本館は、寿命が尽きようとしている。
  中島飛行機が、戦争を追行しようとして、頭を悩ませた場所は
  ICUの教育の場となってきた。

  しかし、これからは、新しい本館の場を得て、新しい日本、新しい世界を生み出す為に
  頭を悩ませる場になる。

  内村鑑三は、「後世への最大の遺物」を通じて、蓄えたお金を、教育や人類のために
  使うことこそ、「後世への最大の遺物」だという。

  一人一人の蓄えたお金が、「後世への最大の遺物」に、成るのは難しいかもしれないが、
  ICUの次の60年に、懸けていただけたら、きっとそれは、「後世への最大の遺物」になる。

  ICUは、そうして来たし、これからもそうだろう。
  ICUは、明日の日本、明日の世界を確かに切り開こうとしてきた。
  そして、多くの卒業生が、日本と世界をつなぐ役目をしてきた。
  そして、何よりも、世間に流されることなく、「自分で考え、根拠を調べて、自分の意見を述べる」
  日本人として、地球人として、一人一人が生活していのが、なによりもICUの誇りだ。

  そう生きることは、現代の日本にとって、必ずしも生きやすい生きた方でなかったことも
  ICUは、十分理解している、

  しかし、ICUは、そうすることは、明日の日本を生み出すことだと信じているし、
  日本と世界を繋ぐことだと信じている。
  多くの卒業生がそのことに応えてくれているのだろうと思う。

  それは、イエス様が、自らの死後、厳しい世界に、弟子たちを残していかざるを得なかったように。
  そして、多くの弟子たちが、辛い苦しい最期を遂げざるを得なかったのだ。
  
  ICUは、次の60年のヴィジョンを掲げていく。
  ICUが、掲げてきたビジョンは、新しい日本、新しい教育の在り方を掲げてきた。
  60年を経て、それは、ようやく、社会に浸透してきたのだ。
  
  でも、ICUのやり方を、みんなが真似をして、ICUのやり方が、日本の当たり前の
  やり方になってしまったら、どうしよう。

  そんなことを気にすることはない。
  誰も真似をしなくても、
  みんなが真似をしても、
  ICUは、ICUの道を歩むしかないのだ。

  みんなが真似をしても、ICUは、浮かれてはならない。
  それは、大きな落とし穴だ。
  誰も真似をしなくても、拗ねてはならない。
  それは、自ら大きな壁を作り出すことになるからだ。

  神は、既に、そこにいるのだ。
  磔に向かうイエスと共に、
  火刑に処せられるジャンヌと共に

  未来を生み出し、
  フランスを救い出すためには、
  そうしなければならない時がある。

  そう、ジャンヌは、イギリスと戦ったのではないのだ。
  ジャンヌは、狡猾で、ずる賢いフランスと戦ったのだ。

  そう、イエスは、ローマと戦ったのではない。
  弟子たちのくじけそうなばかりの心と戦い、
  ひたすらに神の息吹を注ぎ込み続けたのだ。
  モーゼが、戦い続けるユダヤの民のために、重たい杖を下さなかったように。

  ICUの次の60年のヴィジョンは、壮大なヴィジョンであるにちがいない。
  ヴィジョンは壮大であれば、あるほど、いいのかもしれない。

  新本館の建築は、何万人、何十万人の「後世への最大の遺物」となるだろう。

                                           2013年10月7日 
                   新本館の構想が検討され続けている頃によせて

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