2013年12月2日月曜日

主導権という蜘蛛の糸

主導権という蜘蛛の糸



神は人間に自由意思をあたえられた。
だから、自由にきることが可能になった。
みずからの内にある、無限のエネルギーと、智慧を、自由に使う権利を得た。

しかし、人は、主導権をもって生きているのだろうか。
自由意思を導く、人生の主導権である。

「私は、生まれたくて生まれたんじゃない。」 
そんなことばからは、人生の主導権は生まれてこない。
「もっと、お金持ちの家に生まれたかった。」
「ここは、日本でじゃなければ、よかったのに。」

主導権は、無権のエネルギーと智慧を引き出す、人生の蜘蛛の糸に違いない.

ふと、多くの人は思う.
赤ちゃんから始まる人生。
教育、仲間など、20年の経験をもって、社会に突入する。
学歴が、訓練が、社会への頂点を目指す、能力の、エネルギーの基盤だと。

しかし、ときどき、とんでもないやつもいる。
無一物で、一つの国を独立させてしまう人もいる。
王子であることやめて、乞食坊主になって、大悟りをする人。
そんなにおおきなことでなくても、いままで、人生と関係ないとおもえるほどの
大変身を遂げていく人。
それは、いったい、どこで、そうなったんだろうか。

自らの内に、主導権を自らの人生に取り戻す時、
無限のエネルギーと智慧にいたるのかもしれない。
しかし、それは、蜘蛛の糸を辿り、密かに捕まえるものなのかもしれない。

自らが、見失った、人生のメインエンジンともいえる、主導権を自らの手に
取りもどすとき、人生が劇的に変化する。


人は、こんな世界に生きたくて、生きているんじゃない と 大声をだして、
いいたくなる時、この世は、決して、天国ではないんだよと、お釈迦様が、言った言葉が 響いてくるかもしれない。 ローマからの支配から、漸く脱出可能性を人々を見いだし始めた頃、かの人は「貧しき者は、幸いなれ」と語りだす。 人々の熱狂の中、「幸いなるかな」と語りだすその中に、わずかな人の中になる、欲望に取られない、清き心の一点にのみ に、向かって、語りかける。 その清らかな欲望に取られないその心こそ、あなた自身の主導権なのだと。 ローマからの支配は、確かに厳しい現実なのか、よくわかっている。 しかし、それ以上に、人は、自分の主導権を、多くの慣習や時代、自らの欲望に、奪い去られている。 それを取り戻さない限り、ローマからの解放されても、結局は同じこと。 その前に、自分を発見しなければならない。


 http://www1.ocn.ne.jp/~bp200702/sannjousuikun.html  より 以下引用

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 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。  
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。  
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。  
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。  
あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。  
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。  
平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。  
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。  
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、 あなたがたは幸いです。  
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。
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