2013年12月14日土曜日

Naming a Room in International Christian University (Japan, Tokyo) $5000-20000

International Christian University (ICU) is the most beautifu university in Tokyo, Japan.

http://www.icu.ac.jp/en/


 The trees have changed color here on campus as well. Next to the Administration Building, for example, the contrast of red maple, yellow ginkgo and orange kayaki leaves against the blue sky, visible through other bare branches, reminds us for an instant of the striking beauty here on campus.


ICU WEB CAMPUS



Naming a Room

http://web.icu.ac.jp/namedrooms/index.html

There are numerous naming opportunities available in Dialogue House. Naming a room is a great way to honor someone or a group of people that are meaningful to you. The support you provide through naming a room will also go towards helping ICU achieve its educational mission for years to come.


How to Name a Room ($5,000 - $20,000)



http://web.icu.ac.jp/namedrooms/howtoname/index.html

Study Room  $5,000
Lounge  $20,000
Guest Room $5,000 or $10,000

 Named Rooms & Donors

http://web.icu.ac.jp/namedrooms/namedrooms/index.html

6th floor




5th floor


4th floor 


 Contact

 <For North America Residents>
Japan ICU Foundation
E-mail:  information@jicuf.org
Tel: 212-870-3386(NY, USA)

<For Others Japan, Asia,EU,etc..>
Friends of ICU Office (Tokyo, Japan)
E-mail: foi@icu.ac.jp
Tel: 0422-33-3041(Tokyo, Japan)

2013年12月13日金曜日

ICU(国際基督教大学)に、あなたの永遠のメモリアルを残してみませんか?(寄付金の案内)

ちょっと、ICU(国際基督教大学)のご紹介。

ICU も、創立60周年を迎えています。
ICUは、英語教育、海外との交換留学など、長年を行ってきました。
近年ますますそのような需要が切実になり、多くの大学が
ICUのような大学を設立するようになりました。
また、海外との交流を可能にする、4学期制の導入も
話題になってきました。

さて、そんなICU に永遠のメモリアルを残してみませんか。
それは、建物のお部屋に、名前をつけるというもので、
その名を永遠(建物がある限り)に残ることになります。
値段は少し高めで、50万円から200万円まで、いろいろな
バリエーションがあります。
企業からの寄付も可能です。

今後、本館も建築することが予定されているので、建築が
始まれば、本館に永遠のメモリアルを残す方法も紹介されると
思いますが、それまでは、こちらをご覧ください。

http://web.icu.ac.jp/namedrooms/howtoname/index.html

さまざまな人の思いが、そこに寄せられています。
そして、いろいろな事情に出会うこともあります。
永遠のメモリアルとして、写真やコメントを残すこともできます。

あなたや思い出の人が、この地上に生きた証を残すことができます。



詳細はこちらをご覧ください。

http://web.icu.ac.jp/namedrooms/howtoname/index.html

永遠の時の中で、膨大にあふれる情報の中で、見たい人には、いつでも
いつまでも、永遠のメモリアルとして、残すことが可能です。
地上に生きた、素敵な思い出として、活用することができ、
あなたの名前、思い出の人の名前の下で、21世紀、22世紀を担う
若者たちが、勉学に励み、青春を生きていく姿を応援することになります。
この寄付は、21世紀、22世紀を切り開く、人たちを養成するために
使われていきます。



6th floor



5th floor


4th floor 

 

2013年12月3日火曜日

紙文明の終焉の足音がせまりつつある。

紙文明の終焉の足音がせまりつつある。

そろそろ、紙文明の終焉の足音が聞こえ始めている ように思われる。
情報を紙に固定することしかできなかった時代か ら、情報を電子上に固定する方法に変わり始めて久しい。
それでも、紙が生き残るのはなぜだろうか。
紙という素晴らしい操作性、複製性など、他にまさ るものがたくさんある。
それでも、紙が重たく、嵩張る。
少ないうちは、どうにもなるが、数十万枚、数百万 枚、数千万枚、数億枚、数十億枚の紙の前に
巨大なビルが必要となる。
人類が、積み上げた紙のバベルの塔が打ち砕かれ、
電子に姿を変えつつある。
問題は、紙文明に築かれた経済システムが、電子文 明に通用しないことだ。
利便性にはるかに優れていても、経済システムとし ての確立ができないかぎり、どうにもならない。
足音を止めようとしているのは、経済システムの確 立がうまくいかないからにほかならない。
しかし、経済は、量が支配する世界なので、量の確 立がなければ、経済としての自立は難しい。
新たな経済方法を見つけ出さなければならない。
しかし、新たな経済の確立は難しいのかもしれな い。
音楽の衰退を誰がくい止められるのだろうか?
映画の反映も、音を立てて、崩れ出していく。
違法を防ごうとすればするほど、合法の手段が複雑 化し、それが、ますます、違法による入手の安易さに負けていく。
複雑化は、市場をますます小さくし、コストを増や し、違法をはびこらせる結果となる。
よい、方法はないのだろうか?
違法より、単純で、広く、薄く稼ぐ方法。
Freeで は、100万回でも、1000万回でも、ダ ウンロードされても、一端、有料のマークが出ただけで、
人は避けていってしまう。
もはや、書籍は、アマゾンスタイルでしか、売るこ とができなくなりつつあるのかもしれない。

国会図書館がオンデマンド出版を行う日はいつか?

国会図書館がオンデマンド出版を行う日はいつか?
著作権の切れた図書を、国会図書館がオンデマンド 印刷して販売するようにあれば、
日本中の図書館で、不要な図書や古い図書を捨てる こともができる。
保存書庫をつくる必要がない。
洋書はGoogle からオンデマンド出版すればよい。
また、いままでと違った地平が見えてきそうです ね。

オンデマンド出版ビジネスを成功させるには、1台あたり、どのくらいの出版は必要でしょうか。
年間1万 冊 1冊1000円で1000万の売り上げ
年間10万冊 1冊1000円で1億円のうりあげ。 1年間は約3153万秒なので、315秒に1冊をつく る必要がある。
年間10万 冊印刷するには、24時間365日体制で、5分に1冊作成しなければならない。
すると、1台 あたりの最大作成冊数は年間5万が上限か?
1冊1000円とし て、年間5000万の売り上げが限度か?
ビジネスとしてはなかなか難しいモデルだね。

電子書籍の衝撃は、紙媒体のビジネスモデルと異質 なものである。

電子書籍の衝撃は、紙媒体のビジネスモデルと異質 なものである。

書籍に対しても侵攻が始まっているが、新聞、音 楽、マスコミ、テレビ、ラジオといったものにも
同様な侵攻が行われ、一方的な負け戦が続いてい る。
戦いが終わってみれば、かつては、何兆円、何十兆 円規模の経済が、数千億円規模に縮小し、
そこに、大金持ちになった、一人の勝者がいて、他 は、敗戦の将ばかりで、
かつての広大な領土も荒らされ、見る影もない。
そんな衝撃が訪れるに違いない。

電子書籍の衝撃は、なにか。

電子書籍の衝撃は、なにか。

電子書籍は、紙媒体の図書の販売モデルとは、全然 別のシステムである。
現在、紙をベースにする経済規模が2兆円ちかく存在するが、それが、電子書籍などの
デジタル情報化に移行していくとすると、経済規模 が、大きく縮小して、数千億規模になってしまうだろう。
もし、紙媒体に印刷する図書の販売が、デジタルに すべて移行すると、既存の経済モデルはことごとく破壊される。
しかし、このような現象は、いままでにもたくさん あった。
CDはLPの販売モデルを駆逐したし、VHSは、 ベータを駆逐した。
DVDはVHSを駆逐したし、iPodは、CDを駆逐した。
MS-DOS は、CP-Mを駆逐した。
DOS/Vは、PC98を駆逐した。
地デジは、VHSやDVDを駆逐した。
最近は、カセットテープも見かけなくなった。
アナログテレビは、地デジによって、いよいよ廃棄 物になる。
もし、電力は100Vから200Vに変更になるだ けで、日本中のすべての家電が、廃棄物になる。

技術や規格の変化は大きな変化を引き起こす。
しかし、なにかが駆逐するためには、それなりの勢 い、波が必要である。
電子書籍にはそれはあるか?日本には、どうもない ようである。
すると、どうなるだろう。
やはり、アマゾンやGoogle、iPadなどに、してやわれそうである。
日本で気が付いたときは、すべては、時既に遅しと なっているに違いない。
なぜ、そうなのか。
いつも、小さなシェア争いのため、小さな利権をめ ぐって争っている間に、
大きな波、勢いにのみ込まれてしまう。
その事例は、たとえば、DOS/V,Windowsのような感じでしょうか。
たぶん、和書の電子書籍普及によって、横書きが標 準になる。
新聞や週刊誌などのマスメディアが縦書きのため に、日本語が大混乱していることをお気づきだろうか。
カタカナ語をこれほどまでに、乱用しざるを得ない のは、新聞、週刊誌などのマスメディアが、カタカナ語を
日々無数に製造しざるを得ないからである。
マスメディアの横書化によって、デジタル化によっ て、日本語を外国語の新たな共存が提案されてくるだろう。

電子書籍は、紙メディアとの経済戦争なのである。
この戦争の勝敗は既に決まっているが、だれが、そ こで、利益を上げるかは、失うかは、かなり難しい問題である。
その戦争に勝つために、Googleがつぎ込んだ 時間と資金、労力は、まはや、天文学できである。
アマゾンは既にKinldeを武器に、着々と販路 を拡大して、電子書籍ビジネスに突き進んでいる。
電子書籍ビジネスは、紙ビジネスに比べて、非常に 安価になってしまうため、単純な移行では、ビジネス規模は
非常に縮小してしまう。書籍の経済規模全体で縮小 しても、アマゾン一社が儲かるなら、アマゾンのビジネスが
成功なのだ。(現に、音楽ではAppleの人勝ち だが、音楽経済は、惨憺たる有様であるが、そのことに、Appleには、
道義的責任も、経済的補填をAppleが行う義務 もない。)



電子書籍を図書館で貸出する工夫。
たとえば、図書館用価格の設定 (通常の価格の10倍程度)
貸出回数 制限つき。(100回まで貸出可
貸出有効 期限(たとえば、5年間のみ貸出可能)
などを、 図書館側から提案すべきかもしれない。

資本主義社会において、図書館は、例外規定と して存在している。
図書館が、資本主義経済を脅かすことがあって はならない。
電子図書の登場は、個人が個人のためのライブ ラリー(比喩的な意味での図書館)を持つことができるようになることを意味している。
資本主義経済の中で、電子図書館が存在するた めには、資本主義経済と電子図書館の共存共栄を模索しなければならない。

図書館が電子書籍をどのように活用するかは、慎重に議論しなければならない。
現在の図書館は紙の本を前提に構築されている。
かつて、情報はすべて紙の上にのみ存在できた。
(もちろん、石や竹、粘土板などにも存在できた。)
情報が紙に上に固定され、物理的位置をもって、存在した。
同時にたくさんの人に伝えるためには、大量の複製を作成して、配布したが、
それらも、すべて、物理的位置をもって、存在した。
奇妙な情報もたくさんある。声、音、映像
それらは、電波や音波に載せられて伝えられた。その多くは、一過性で二度と再現できない
ものが、ほとんどだった。
しかし、現在は、あらゆるものが、記録され、自由にみることができるようになった。
南の島の海の上の出来事もYoutubeのれば、物理的場所も存在せずに、無限の
複製が可能になった。一過性とはちがう世界の出現である。

さて、この自由さが、書籍の経済にどのような影響を与えるのだろうか?
図書館での電子書籍に、首輪もつけず、自由にふるまうことを許せば、
たちまちの内に書籍の経済は、瞬く間に崩壊する。

図書館の電子書籍利用は、書籍業界に貢献するものでな替えればならない。
慎重な対応が必要。

日本版電子図書館ができること

日本版電子図書館ができることは、世界にむけて、日本の文化、思想、歴史を発信する 非常に重要な情報源となる。
言語の問題はあるが、日本が日本の考え方、立場を伝える非常に重要な要素となる。そして、そのようにして伝えられた、日本的考え 方、文化、思想、歴史は、世界を変える力の一つになる。

電子書籍が、図書館の理想を実現しうる唯一の方 法である。

電子書籍が、図書館の理想を実現しうる唯一の方 法である。
(しかし、図書館の理想は、資本主義経済や著作 権法となかなか相容れないものある。)
(そのため、資本主義経済にあって、図書館法と いう図書館の理想を実現するための法(もちろん、図書館の理想には、程遠いが)が整備されている。)

1種類1冊の図書しかもたない図書館が、多くの利 用者にサービスすることは、基本的に無理がある。
利用者の需要が、多様な図書や雑誌に薄く広くある 場合のみ、図書館のサービスは可能になるが、需要の集中、いや、二人の人が同じ本を読みたいとおもっただけで、サービスはデットロックに陥る。
しかも、図書館の原則に従えば、利用者同士で融通 しあうことを勧めることもできず、ただ、ひたすらに図書の返却を待つ。図書館は利用者の便宜ためになにかすることはできない。
図書館のサービスは、図書の需要の予測も、調節も できないまま、図書の需要が減っていくのをひたすらに待つ。
そこには、書架から図書が抜きだれた跡を唖然とし てながめ、淡い期待を持ちながら、予約をして、いつとも知れない返却の時を待つ。
利用者の需要のタイミングを逸して返却された図書 は、利用されることなく、時を過ごし、書架に戻される。
もし、この図書が書架にあったなら、貸出冊数が もっと多くなっただろうに。
本来の需要の何割を失いながら、図書館のサービス は続く。
電子書籍が、図書館の理想を実現しうる唯一の方法である。
すでに、電子ジャーナルは、図書館の理想を実現している。

紙による図書が贅沢品と呼ばれる日

紙による図書が贅沢品と呼ばれる日

もうすぐ、紙で作られた図書が贅沢品とよばれる日 は来る。
電子書籍の登場によって、価格の安い図書が登場す ることになった。
電子書籍は、価格勝負の話で、読みやすさとか、た ぶん、二の次である。 (今の本だって、人間にとって、読みやすいのかは不明である。人間が長らくこの形態に慣れているだけなのだ。)
読みたい本が安く買えれば、そこに流れてしまう。
複製価格(限界費用の圧倒的な安さ、在庫管理の簡 単さ、店舗、従業員の不要、輸送料の不要など)を考慮して、電子書籍が
すべてにおいて優っている。
すべての図書は、電子書籍になる。

デジタルカメラが、銀塩フィルムに勝っていた点 は、圧倒的な感度の良さだった。
室内でも、夜でも、きれいに映り、なお、銀塩フィ ルムをしのいでいた。
フイルムの枚数制限もとりはらい、100枚で、 1000枚でも、連続撮影が可能になった。
この劇的な変化は、図書にも同様に起こる。 1000枚の銀塩写真をとるために、30本のフイルムを持ち歩かなくてもよくなり、
1000枚の写真の内容を確認するために現像と焼 き付けに、数万円の費用をかける必要がなくなった。
しかし、圧倒的な普及の理由は、安価な写真の登場 である。

100冊の図書を管理するために、本棚が必要にな り、1000冊の図書を管理するには、一部屋必要となり、10000冊の
図書を管理するには、家1軒必要となる。
しかし、安価な電子書籍には、そのコストさえ不要 になる。
電子書籍は、安価な図書として、瞬く間に普及して いく。一部屋代や家一軒必要だった時代に、数万円程度の書籍リーダーは非常にローコストでもある。

もうすぐ、紙による図書が贅沢品と呼ばれる日は やってくる。

AmazonのKindleの凄さ

AmazonのKindleの凄さ
日本でも発売されるというので、さっそく、注文した。届いた。
届いたその瞬間から図書を購入できたのにはびっくり。
既に、私の名前、クレジットカードの登録もされており、何のセッティング も
不要で、ネットにもそのままつながり、Amazonの端末になっていまし た。
Amazonのうまさというのか凄さにはひたすら感心しました。
日本で、こんな売り方は思いつかないかもしれませんね。
何か買わせる、商売するというには、こうゆうことなのかと感心するばかり です。
私は、英語の本は読まないので、Kindleは猫に小判ですが、ただ、た だ、
Amazonの凄さに負けて、何冊か試しに買ってみました。

電子書籍をめぐって、Amazon、Google、Appleの大衝突が発生中。

電子書籍をめぐって、AmazonGoogleAppleの大衝突が発生中。
電子書籍をめぐって、Amazon,Googleの大衝突が発生中。
    賽は投げられた! 決戦は2009年 クリスマスごろになるだろう。
    その辺で誰が天下をとるか、はっきりしてくるだろう。
 電子書籍およびリーダーの天下の決する 関ヶ原の戦いは、いつ起きるの か。2009年秋から冬 クリスマス商戦で、世界的な動向は決するだろう。
  2010に は、その動向で、どちらかが日本に上陸し、2010年夏には、電子書籍規模が国内の一般図書売り上 げの10%を占めるかもしれない。
  日本の先行した電子書籍リーダー(Sony Panasonic)は、ほとんど出番 がなく、忘れ去られるだろう。
  Amazon が 優勢だと思われる。
  既に Kindle100万台ちかく売り上げ、販売方法も確立して、現在も拡大中。新製品を次々と出している。
  料金の取り方も確立している。
  Googleが 劣勢な理由。
  まだ、、Amazonに先を越された感が、ある。書籍リーダーがない。当面、Sonyの ものを利用する。
  料金の徴収技術がない。Googleがお金をとるというのになじめない。(別、会社を立ち上げるか?)
  出版社、著者との協力を得るのが、難しい。

Kindle の登場によって、紙の書籍と電子書籍の戦いがスタートし た。

Kindle の登場によって、紙の書籍と電子書籍の戦いがスタートし た。
(1)戦いの主戦場 その1  Amazon 内部で、紙の書籍と電子書籍の売り上げや利益率の割合
(2)戦いの主戦場 その2  Kindle とその他の電子書籍ターミナルの売り上げ
                      Kindle と Google,Sony 連合の戦い
(3)   戦いの主戦場 その3 もし、電子書 籍が、高収益率で販売できるとすると、実体としての書籍の存在自体の戦い

日本では、ほとんど着目されないが、書籍のあり方 自体が問われている。

Kindle が、個人のための電子図書館(10万冊規模)になるとき

Kindle が、個人のための電子図書館(10万冊規模)になるとき
Kindle の販売が非常に好調のようだ。すで に、Kindleの累計販売総数は、100万台を突破し、今後も順調に
売れていくと思われる。Google もSony(アメリカ)と手を組んで、追撃の勢いである。
図書のあり方が変わりつつある。
さて、この現象の向こうに何が見えるだろうか。
Kindleやその他の類似商品が、個人のための 電子図書館(10万冊規模)になるだろう。
記憶容量を拡大すれば、それは、難しいことはな い。
一生涯のうちに読んだ本、読みたいと思った本を、 ホンの掌にのるような機械の中に納まってしまう
そんな電子図書館が誕生する日も近い。

Kindle 以前の世界とKindle 以後の世界が分離しつつある。

Google 以前の世界とGoogle 以後の世界

Google 以前の世界とGoogle 以後の世界
(1)情報を紙にしか記録でき なった時代から、情報を電子に記録できるようになった。
(2)この基本的なメディアの大 変換が、さまざまな問題を引き起こすことになった。
(3)インターネット社会は、コ ピー(複製技術)社会だ。無限複製によって、成り立っている。
(4)蓄積空間の消失
(5)移動、搬送時間の消失

図書館の夢



図書館の夢 それは、時間を乗り越えることである。
図書館の夢 それは、空間を乗り越えることである。
図書館の夢 それは、言語を乗り越えることである。
人類の活動の記録を一つに纏め上げること それが、図書館に託された夢で ある。
この夢を思うとき、世界中の図書、論文をすべて、目録カードに取ろう と格闘した多くの先達たちの努力に思い至る。

明治、大正、昭和を蘇らせるのは、図書館の使命である。それは日本を蘇らせる力になる。

明治、大正、昭和を蘇らせるのは、図書館の使命である。それは日本を蘇らせる力になる。

酸性紙、スローファイヤーという現実を前に、国家はなにをすべきか?
和書という特殊な形式の図書(縦書き、右開きとい う特殊性)のデジタル技術の困難さに立ち向かうのは、Google,Amazonか、それとも日本という国なのか
もはや、図書館の唯一の使命は、過去の本のデジタ ル化と検索である。 
日本人が蓄えてきた過去の遺産に光をあてるのは、 図書館しかない。
デジタル技術で、明治、大正、昭和の知的遺産を現 代に蘇らせるのは、図書館しかない。
キーワード 和書の特殊性、日本語の目まぐるしい 変化 字、文法、語法の目まぐるしい変化によって、知識の分断化が起っている。
        現代日本人は、明治、大正、昭和 20年以前を異国(見知らぬ国)のようにしか捕らえることができない。

世界中の学術や知恵を探し出し、纏め上げる。一人の発見や思想をみんなの ものにする。  

国家的電子図書館の構築を

国家的電子図書館の構築を



図書のデジタル化技術を確立し、国家的事業として開始しなければならない。
遅れることは許されない。
大規模スキャンを開始しなければならない。


“情報界のトピックス”. 情報管理. Vol.?50, No.?4, (2007), 240-242 .

Google Books Library Project が拡大化 参照


「Google Books Library Projectを強く批判していたフランス国立大学の館長 Jean-Noel Jeannennyはこの4月に辞任したが、反Googleの姿勢をと り、フランスのデジタル化に遅れを生じさせたために辞任させられたとの見方もある。」

フランスもあせっているが、日本は、対岸の火事である。気が付けば、全世界の図書はスキャンが完了していることになる。
和書の縦書き、右開きは、世界の中で、ほとんど、唯一の図書の形式である。

図書館から複写機がなくなる日は近い(3/31/2006)

図書館から複写機がなくなる日は近い(3/31/2006)

図書館から複写機がなくなる日は近い。
図書館には、スキャンロボットが入るべきだ。
(注 スキャニングロボット 自動的にページをめくりながら、スキャンする装置
   高速機の場合、1時間あたり、1000ページから3000ページを行う。)

スキャンロボットの導入によって
複写機のように、紙代、トナー代が不要になるので、ランニングコストはほぼ0円になる。
紙やトナーを使わないので、環境にもやさしい。
コストもほとんどかからないため、利用者にやさしい。
(注 導入コストは現在まだ高い。)
図書を自動的にページめくりするので、現在のように、図書を伏せたりすることがないので、
本がいたむことが少ない。
図書をスキャンする速度が圧倒的に速い。
現在の複写機にくらべて、圧倒的に速い。


図書館から現在の複写機が一掃され、利用者にも、環境にも、図書にもやさしい
スキャンロボットが導入される日は近い。

そして、そのとき、利用者にとっても、図書館にとっても、新たなデジタル図書館の
世界が始まる。

(by kimito 3/31/2006 JSTの快進撃を、うきうきしながら見守りながら。)

紙 に書かれた文字、電子に書かれた文字(3/3/2006)

紙 に書かれた文字、電子に書かれた文字(3/3/2006)


その誕生の違いにより、新たな発展を遂げることになった。
世界一 ボリュームのある図書は、なんだろうか。
それは、もしかするとLCのUnion Catalog ではないのか?

世界一 ボリュームのある雑誌はなんだろうか。
それは、もしかすると Chemical Abstracts ではないのか?

そのあまりの膨大さに、唖然とするしかない。

かつて、その一文字一文字は、タイプで打たれ、活字を拾われていたのですある。
その書かれた文字を写すことすら、容易ではなかった。そのことは、まだ、記憶に新しい。
われらは、まだ、目録カードに書かれたわずかな文字ですら、移しかえるのに、苦戦している。

しかし、今。
かつての図書館から、新らしい概念をもった、図書館に生まれ変わろうともがき苦しんでいる。

新らしい図書館(ライブラリー)は、まだ、ない。
その全貌は、多くの人の心にうちに眠っている。
Google が、アマゾンが、青空文庫、国情報学研究所が さまざまな図書館(ライブラリー)を模索する。

すべては変化に内に住むのか?
かつてのLPが姿を消し、CDとなり、CDも、次なる波にもまれている。
音楽安住の地はあるのか、
iPODの仮住まいが安住の地なのであろうか?

そして、図書も、なにかを求めてさまよっている。
文学が、学術文献の安住の地はあるのか?
あなたの心にたどり着くまで、どこに居ればいいのだろうか?
本屋の棚に居られる期間も短く
図書館の書架に空もなく
大きな燃え盛る火の中に放り込まれるのか
溢れかえる図書は、家の中で邪魔者扱いされ、
箱詰めされた図書は、その重さゆえに悲鳴をあげる。

新しいライブラリーが登場する。
時間も、空間も越えた、ライブラリーである。
おおくの人類が、あまりにも漠然に夢見たライブアリーである。
しかし、それは、とても実現するようにも思えなかったのである。

しかし、
情報の世界は、無限の大きさまでひろがり、おらゆる情報を飲み込んでも
飲み込んでも、その腹が満腹することがない。
そんな世界に突入してきたのである。

新しい図書館(ライブラリー)が登場する。
新しい息吹と、力をもって、
ラッパを吹きながら登場するに違いない。

それは、どこからくるのであろうか。
ある日、奇襲のようにやってくる。
今も、上陸のときを目差して、船にはたくさんの積荷が積まれている。
あなたが、新しいライブラリーの名を耳にすることには、
そのライブラリーには、1000万を越える図書が詰まっていることを知るだろう。



(By kimito 3/3/2006 桃の節句に寄せて)

その誕生の違いにより、新たな発展を遂げることになった。
世界一 ボリュームのある図書は、なんだろうか。
それは、もしかするとLCのUnion Catalog ではないのか?

世界一 ボリュームのある雑誌はなんだろうか。
それは、もしかすると Chemical Abstracts ではないのか?

そのあまりの膨大さに、唖然とするしかない。

かつて、その一文字一文字は、タイプで打たれ、活字を拾われていたのですある。
その書かれた文字を写すことすら、容易ではなかった。そのことは、まだ、記憶に新しい。
われらは、まだ、目録カードに書かれたわずかな文字ですら、移しかえるのに、苦戦している。

しかし、今。
かつての図書館から、新らしい概念をもった、図書館に生まれ変わろうともがき苦しんでいる。

新らしい図書館(ライブラリー)は、まだ、ない。
その全貌は、多くの人の心にうちに眠っている。
Google が、アマゾンが、青空文庫、国情報学研究所が さまざまな図書館(ライブラリー)を模索する。

すべては変化に内に住むのか?
かつてのLPが姿を消し、CDとなり、CDも、次なる波にもまれている。
音楽安住の地はあるのか、
iPODの仮住まいが安住の地なのであろうか?

そして、図書も、なにかを求めてさまよっている。
文学が、学術文献の安住の地はあるのか?
あなたの心にたどり着くまで、どこに居ればいいのだろうか?
本屋の棚に居られる期間も短く
図書館の書架に空もなく
大きな燃え盛る火の中に放り込まれるのか
溢れかえる図書は、家の中で邪魔者扱いされ、
箱詰めされた図書は、その重さゆえに悲鳴をあげる。

新しいライブラリーが登場する。
時間も、空間も越えた、ライブラリーである。
おおくの人類が、あまりにも漠然に夢見たライブアリーである。
しかし、それは、とても実現するようにも思えなかったのである。

しかし、
情報の世界は、無限の大きさまでひろがり、おらゆる情報を飲み込んでも
飲み込んでも、その腹が満腹することがない。
そんな世界に突入してきたのである。

新しい図書館(ライブラリー)が登場する。
新しい息吹と、力をもって、
ラッパを吹きながら登場するに違いない。

それは、どこからくるのであろうか。
ある日、奇襲のようにやってくる。
今も、上陸のときを目差して、船にはたくさんの積荷が積まれている。
あなたが、新しいライブラリーの名を耳にすることには、
そのライブラリーには、1000万を越える図書が詰まっていることを知るだろう。



(By kimito 3/3/2006 桃の節句に寄せて)

コ ンピュータ60年の比較


ENIAC
Intel Core Duoチップ
登場年
1946年
2006年
処理能力
1秒間に5000回の加算
1秒間に216億回の処理
消費電力
17万ワット
最大31ワット
重量
28トン
ごく軽量
サイズ
幅24M×高さ2.5M
90.3平方mm
内部の構成
1万7840個の真空管
1億5160万個のトランジスタ
コスト
48万7000ドル
637ドル

bit の旅  (素粒子の世界から宇宙の果てまで、旅をする。)

ビット 識別数 適用分野
1ビット 存在の有無
2ビット 4つの世界
4ビット 16 数字、四則演算
8ビット 256 英数字、アルファベットの世界へ
16ビット 65536 日本語、漢字の世界
32ビット 約42億
64ビット 約1700億
128ビット 約290兆
256ビット 約8京
512ビット 約64京

だんだん、計算不能になってきたぞ。
笑い話で、お米を一粒からスタートして、毎日2倍にすると、一月でどのくらいの量に
なるでしょう というのがありますが、
コンピュータは、二乗でいくので、すぐに、とんでもない数字になってします。
そしていま、とんでもない数字になってしまっているのです。
それは、ゴマ粒のような卵から生まれた小さな虫が、いつしか、ねずみの大きさになり
犬の大きさになり、馬のような大きさになり、象のような大きさ、ウルトラマンや恐竜のような大きさ
いつしか、日本列島より大きくなり、地球の大きさを越え、宇宙の大きさになってしまったようなものにも、似ているかもしれません。
可愛いコンピュータが、とんでもない、化け物に変身しようとしているのです。
その化け物というには、いままで、人間が日常生活のレベルで取り扱ってきた、万、億、兆という
人間が把握する数字概念を乗り越えつつあるという意味で、化け物 という概念を比喩的に登場させています。


同じ表を、図書館システムに当てはめてみましょう。
図書館システムが管理すべき、データは、どのようになっていくのでしょうか。
そして、文字情報、画像情報とは別に、いままで、打ち捨てられてきた、人間の活動記録という膨大なデータが
情報として、登場し始めています。
情報と情報とつなぐ、データが、情報におどりでようとしています。
ビット 識別数 適用分野 図書館システム
1ビット 存在の有無

2ビット 4つの世界

4ビット 16 数字、四則演算

8ビット 256 英数字、アルファベットの世界へ 簡易目録(英語、カタナカ)
16ビット 65536 日本語、漢字の世界 目録(日本語目録)
32ビット 約42億 画像,CG,特撮 目録、フルテキスト、画像
64ビット 約1700億
フルテキスト、画像
128ビット 約290兆


256ビット 約8京


512ビット 約64京

1000ビットになるとき、きっと、地球は、コンピュータに飲み込まれてしまうかもしれません。
私たちは、まだ、コンピュータに替わるものを手にしていませんし、その予兆すら発見できていません。
しかし、新たな”なにか”の登場が必要になってきたころなのかもしれません。

蒸気機関、内燃機関なので変化にともなって、乗り物も変化したように、あらたなエンジンが登場すれば
新たな、乗り物が登場するのです。(まさか、反重力エンジンなんて、当分出現しないと思いますが。)

新たなライブラリーが、ひそかに誕生しているのが、聞こえますか?
どのように、情報が電子化という作業に置き換えられようとしているのでしょうか。
そのような数値をグラフにすると面白いことがわかると思いますが、そのような数値を
無いようにおもいます。
そこで、勝手におもいつくまま、書くと こんなイメージでしょうか。


図書スキャンプロジェクト 最終規模 現在の処理数 スキャン方法 1冊あたりの入力時間 全体の作業時間 データ規模(ビット?)
江戸時代 数冊 数冊 毛筆で書き写す 数ヶ月 数年
コピーマシンを使う 数十冊 数十冊 コピーマシン 数時間

手入力 数千冊 数千冊 目でみて打ち直し 数週間

青空文庫












GoogLe Print 数百万冊 数万冊(?) AutoScan 15分(?)

Amazon 数十万冊 数万冊(?) AutoScan


ヨーロッパ電子図書館構想 数百万冊




Million book Project






このような状況を書こうとすると、10数年前に、多くの大学図書館が、雑誌のフルテキストを作成すために
多大な労力をかけた事業があったことを思い出させます。それらの多くは、商業ベースの雑誌フルテキスト
データベースへと変化していきました。
図書はどうなっていくのでしょうか。

今、急速に、エネルギーが蓄えられています。

(2/20/2006 ムーアの法則のままに、世界は進むのか?

アカデミーヒルズ六本木ライブラリーに学ぶ。(2/13/2006)

アカデミーヒルズ六本木ライブラリーに学ぶ。(2/13/2006)

情報の科学と技術 2006年Vol.56 No.2 にアカデミーヒルズ六本木ライブラリーの記事をみつけた。
ライブラリーとは、固有の存在なのである。固有で、自由な存在なのである。
その実現に向けられた情熱がひしひしと伝わってくる。
そう、すべてのものが、形がきまって、みんなと同じでならなければならないということもなく、自由に、可能性豊かにあるべきなのである。

内なる思いが、ライブラリーを出現させるのである。

日本でこんなライブラリーが誕生していたとは、本当にすばらしい。
奇跡のようだ。
これからもこのライブラリーの発展を祈りたい。

(2/13/2006 )

2006年から2010年を勝手に予測する。(1/17/2006)


2006年から2010年を勝手に予測する。(1/17/2006)
   実現しそうなことも、しそうもないことも、あれこれ、夢想してみました。



新しい技術の登場を。
   新しい目録規則の登場。
      新しいMARC の登場 全文データ収録、画像、マルチメディアを収録、インターネット関連情報の収録

   新しい分類表の登場。超立体分類表
       一つの理論による無限展開可能分類表の登場を
        図書の関連付けを、動的に分類する。
        主題の上下、時間軸、など、その情報を、2次元的、3次元的、4次元的に位置づけが可能になる。

   新しい情報検索理論の登場。
        利用者に一番最適な情報を提供する。
        検索動向、利用者動向を分析して、その図書館で最適な情報を一番はやく提供する。ピンポイント検索を行 なう。

   図書スキャン技術と図書複製技術
         オリジナル図書とほとんど同じ図書を、1時間以内に複製する。
         酸性紙図書を救済せよ。
         (オリジナル図書を置く。それと同型同ページの白紙本を置く、
        白紙本に、オリジナル図書が表表紙から裏表紙まで自動的に印刷される。)



  著作権ビジネスの活発化
         図書はデジタルで売れ。
         在庫を持たないデジタル書店の登場。
         オンデマンド書店の登場(本棚には、白紙の本がずらり。)
             タイプは 100ページ、200ページ、300ページ、500ページ、
             1000ページの5タイプ
             著作権ビジネスが確立すれば、その場で有料複製の可能
             ISBN を指定すれば、複製料金、デジタル化料金も判る
             システムを開発する。
             20分以内に表表紙から裏表紙まで、複製する。
             もし、ポリマー式紙を使えば、何回も印刷可能なブックも可能か。
             たとえば、印字インクをきれいに消し取る技術があれば可能か。
             (電子レンジのようなものに入れると、字が消えるとか。)
             (磁気インクなる方法。そういえば、郵便局では透明インクなるものが
              ありましたね。なにかそんな技術で、何度でも印刷する。)

   新しい電子ブック  ほとんど紙と変わらない32ページペーパーディスプレイで構成されているが、電子ブックに搭 載されたメモリーから、
               瞬時にページが再現される。図書を読むように利用可能。B5とA4の2タイプ

             

   図書館はどうなるかって、もしかすると、書店という概念は消滅して、図書を図書館で 複製するビジネスというものが
   出現するかもしれませんね。在庫量の勝負ですから。

   まぁ。現在の書店も1年分の新刊書(10万種)をキープすることはできないのですから
   全国の書店が、物理的図書を公平にシェアして、販売することは不可能ですから。
   複製技術と著作権ビジネスのコラボレーションが必要ですが、図書を簡単に複製できたら、ちゃんとした商売になるん じゃないでしょうか。
   自動販売機見たいな図書スキャン、複製マシンがあって、図書のISBNをそのマシンに読ませると、ページ数、価格 など必要事項が表示され
   それに見合う白紙本を入れると
図書をスキャンしながら、図書を印刷してしまう。約30分で完 了。
   (縮小、拡大印刷も可能。)

  こんな夢想する人もほとんどいないと思いますが、
  
(1/17/2006 Google が本屋さんを始めるというニュースが飛び込んできたぞ。どんな本屋さんを考えているんだろうか?)

自動化書庫の国内総収容能力 1000万冊越え、もうすぐ。(12/18/2005)

自動化書庫の国内総収容能力 1000万冊越え、もうすぐ。(12/18/2005)

ICU図書館が自動化書庫を導入して5年あまりが経過した。
その館、20館近くの導入が続き、21世紀は自動化書庫の華々しい
発展の時を迎えた。その収納能力冊数は977万冊を越え、もうすぐ
1000万冊の大台に乗ろうしている。
その数は、日本全体の図書館の収納能力全体に比して、極わずかである。
しかし、この急速な伸びは、今後、ますます加速していくだろう。
自動化書庫の今後の発展のために、自動化書庫を図書館界のものにしなければならない。単なるメーカーの1製品であってはならない。
図書館が使いこなす道具であられねばならない。
そのために、自動化書庫を知らなければならない。とことん研究しなければならない。
自動化書庫の普及にともなって自動化書庫の管理者、操作者、自動化書庫の管理する体制を装備しなければならない。
自動化書庫の発展をただ、傍観してはならない。
(自動化書庫をHackしなければならない。)

学問と図書館界とメーカーの共同が必要である。

すべての自動化書庫の運用が成功するように、目をみひらかなければならない。

(12/18/2005 全国から自動化書庫建設、運用開始お知らせを聞きながら)

新OPAC理論の登場を(12/9/2005)


新OPAC理論の登場を(12/09/2005)

100万冊の図書から、必要な図書をピンポイントで見つけ出すシステムの登場を。

30年も前にならった情報理論 論理積と論理和 これを超える情報理論は、ないのだろうか。
100万冊の図書の中から、一発で、必要な図書を見つけ出す情報理論はないのだろうか。80億ページから求める情報を見つけ出すのに、どのような論理の根 拠があるのか?

条件 検索語を入れるボックスは一つ (google風)
条件 利用者は大学生
条件 検索は1回のみ
次の検索語を入力して、一番最初出てくる図書には、なにが相応しいか?(特定の本ということではなくて、このような条件をもった図書という
考えかたで。たとえば、たくさん貸し出されているとか、書名が完全一致とか、書名に含まれる 著者名、発行者にも含まれる。著者が、著名であるとか)

検索語例
   物理学 という言葉を入力した場合 なにをトップにもってくるべきか
   社会学
   日本
   タイ
   モモ


図書の貸出状況、増加状況に伴って、検索結果の順番が変化することは望ましいことか?
検索結果がABCに並ぶのは親切なのか。


新OPAC理論を構成キーワード
 適合率、あいまい検索、ランキング、コア資料、利用履歴、利用回数、指定図書


(by kimito 12/09/2005  図書館を改めて違う面から考える機会を得た。

なか見検索と Union Index (1970年)



なか見検索と Union Index (1970年)

いまから40年以上も昔に、58冊の図書を、全部バラバラにして索引を作った人がいました。その人は、途方もない努力と集中力で、図書カードに
58冊に登場する意味ある言葉を索引にしました。
その方が、Google Printやアマゾン なか見検索をみたら、きっと、声を立てて笑い出して、こんなことをいうかもしれません。
「僕のやろうとしていたことを、40年も50年もたってようやくできるようになんただね。僕はこんなにたくさんのカードを書いたのさ。みてごらん。何十万 枚もあるんだよ。手が痛くなるまで書いたんだよ。
 でも、こっちとら、どんなもんだい。もう、こんなこと40年も前にやってしまんだからね」
先生のお声が耳に蘇ってきそうです。先生は江戸っ子でした。

AUTHOR  =  Baba, Shigenori.
TITLE  =  Union index of books in the field of documentation. -
PUB.PLACE  =  Tokyo:
PUBLISHER  =  Gakujitsu Bunken Fukyu Kai,
PUB.YEAR  =  1970.
PHYS.DESC.  =  22, 657 p.; (前書き 22ページ、本文657ページ)

(by kimito 久しぶりに Union Index の図書の重さを手に感じながら)

図書とホームページとどこが違うの?!(12/7/2005)

図書とホームページとどこが違うの?!(12/7/2005)
(Google の世界観を勝手に考えてみると)



世界80億ページを一瞬に検索するGoogleにとって、
図書が検索できることは、なにも不思議なことでも、たいへんなことでもない。
ホームページは、無数のロボットプログラムが、24時間働き続けて情報を収集してくれたが、
図書をコンピュータに取り込むには、無限の時間と手間がかかると考えれていた。
しかし、技術はその壁を乗り越え始めている。
自動でスキャンし、データベース化する新たな小人たちを手に入れたに違いない。
インターネットを駆け巡るロボットたちとおなじ、図書をくまなく読み取り画像処理し、
データベースをつくる”ロボット”というべきものを手にした Googleには、図書はホームページと同じになった。

Google の最終目標は、電子書籍を目指しているのでjないことがよくわかる。
実に壮大な計画の中で、たくさんの試みをしている中で、
電子書籍は、そんの一つの分野にすぎない。
そして、データを限りなくたくさん集めたデータを、一つ残らず、活用して
利用することができる信じているようにみえる。
そして、そのデータをどのように意味づけ、取り出し可能にするのかを、
Googleのソフト力で実現してみせるという自信にあふれているように見える。
それは、80億ページを一瞬に検索する力ゆえの自信かもしれない。
それは、世界中の地図を一瞬にして、表示する力なのかもしれない。

情報の世界からホームページや図書をみると
図書は電子情報変換が面倒なメディアには違いない、
しかし、それも、技術の進化にのって、乗り越えられてきた。
そして、図書はホームページと同じ状況に並んだのだ。


(by kimito 12/7/2005 Google Print を成功させよう!)

アマゾン なか 見 検索の推進を(11/10/2005)


アマゾン なか 見 検索の推進を(11/10/2005)

アマゾン なか見 検索の最も恩恵を受けるのは、実は、図書を買おうとしてし ている人ではない。
既に図書を読んでしまった人だ。
特に論文や著作を行なう人にとって、これほど便利なツールはない。
論文や著作を書く人には、膨大の記憶と資料管理が求められる。
なにか、確認したいときに、いままで、自宅の書架や、図書館を、データ確認のため、
探しまわったことはないだろうか。
この なか見 検索ができれば、もっとも、有効なツールが出現したことになる。
そして、このツールを活用できたものは、論文、著作の生産性、信頼度は
何十倍の効果をあげるだろう。
このシステムが、途中で頓挫しないで、どんどん普及することを期待したい。
国会図書館とジョイントして発展してほしいくらいである。
日本の知的水準は、飛躍的に向上することは間違いない。

(by 11/10 昨夜、自宅の本棚を探してみたが、前に読んだ本を見つけられなっかたが
      なか見 検索で、数分で、内容を確認できました。 これは便利。)

世界最大の和書の電子図書館が誕生した。(11/7/2005)

世界最大の和書の電子図書館が誕生した。(11/7/2005)

それも、海外の企業によって。

図書をスキャンする  それはなにか特別なこと??

アマゾン なか見 検索 開始する
グーグル プリント 再開
欧州で、
マイクロソフトが
Yahoo が

つぎつぎと、電子図書館計画が持ち上がり、次々と図書かスキャンされている。
それは、なにも特別なことではなく、当たり前のことのように。
図書の中身が検索できることが、当然のことになり始めている。

和書の世界に限ってみよう。
アマゾンジャパンが、日本最大(規模)のデジタル図書館になった。
国会図書館の近代電子ライブラリーをはるかに追い越しているのではないか。

図書がスキャンされ、検索できる。
それは、もはや、特別なことでも、すごいことでもない、何気ない日常になろうとしている。
ある面では、一企業が国家を凌いでいるとも言える。
ある面では、技術が、国家をしのいだともいえるかもしれない。
それほど、すさまじい変化がおきているとも言える。

アマゾンは、和書の世界では、世界最大の電子図書館なのだ。


図書がスキャンすることが、たいへんだった時代は終わってしまった。
さぁ。図書館はどうなる。

(by kimito 11/7/2005 毎日、アマゾンとグーグルのニュースがやってくる。そして、膨大なデジタル化が進んでいる。)

ソフトの時代へ(10/17/2005)

ソフトの時代へ(10/17/2005)

20世紀、それは、大量生産の時代でもあった。
一台の車が、1000台の車に、毎月毎月、大量に生産され、如何にたくさんの車が売れるのか競い合う時代であった。

しかし、今、一番多いものはなんだろうか?
数十億ページというWeb ページなのか。
何十兆にもなる文字なのだろうか。
それとも、128ビット空間なのであろうか。
256ビット空間なのであろうか。

無数のとも思えるインターネット世界に広がるデータの量。
電子コミュニケーションされる膨大な情報の量

それを支配するのは、ソフトの力だ。
すべてを分析し、すべてを管理するソフトの力の時代だ。

たとえ、データが何百億個になろうとも、何兆個なろうとも、
それは、宝の山が大きくなったにすぎないのだ。

販売員のいないアマゾンが物を売り
探索員のいないGoogleが答えを探して
世界の地図を
世界中のニュースをかき集め、
世界の本の中にもぐりこみ
世界の知識を
あなたに繋ぐ

それが、ソフトの力である。
何億個の世界を掻き分けて
何兆個の世界を掻き分けて

秩序を作り出す、ソフトの力が必要である。
必要なものを拾い出し、纏め上げる力である。


(10/17/2005 そんな時代に押し寄せているのか。手作業で何かをするという時代ではないのかもしれない。)

メメックスがあなたのポッケの中に(9/27/2005)

メメックスがあなたのポッケの中に(9/27/2005)

メメックスなんていう言葉を知らない人も多いと思う。
私も学校で習った記憶がない。ずいぶん昔のことだけど。
しかし、世界中の図書を、マイクロフィルムに入れて、自由に検索できたらどんなに楽しいだろうと考えた人がいた。
それは、いつも、いつも、そうゆうことを考える人はいる。

自分の読んだ本を全部、ポッケに入れて歩きたいと、思う人だっているにちがいない。
(あなたの頭に中に、もうすでに、たくさんの殺人事件と名探偵の大活躍が入っているかもしれないけど。)

研究や論文を纏めなければならない人の部屋はいつも、雑誌、コピーであふれかえっています。
パソコンが使えるようになって、ずいぶん、きれいになったけれども。
もうすぐです。
メメックスが、あなたのポッケに納まるようになるのは。
何十年も掛けて集めた資料を、堆積した書類の山の下から探さなくてもよくなるのは。
きっと、すてきなメメックスが登場します。
何万冊の図書と、何万件の論文が、一瞬で整理され、検索できるようになるのはもうすぐです。

既に、音楽の世界では実現していることなのですよ。
もうすぐ、すてきなメメックスが登場します。

(注:メメックスについては、いろいろな定義のしかたがあるが、ビルゲイツは、インターネットパソコンの
   原型として紹介している。思考スピードの経営 p.196  ここでは、データの蓄積場所として、フラッシュメモリーや
   携帯型ハードディスクをイメージし、それを管理するソフトの登場として、イメージしている。)

   (2005/9/27 私たちが手に入れたこと、もうすぐ手に入れること、そして、なかなか手に入れられないこと。)

建物のない図書館の出現  建物のないライブラリーの出現(9/15/2005)

建物のない図書館の出現  建物のないライブラリーの出現(9/15/2005)

急速に紙に書かれた情報が、コンピュータの中に飲み込まれていく。
数百万、数千万のページが、次々と飲み込まれていく。
そして、紙に書かれた文字は、OCR を通して文字として蘇っていく。
人々に忘れ去られた言葉も、ひそかにコンピュータの中で息を吹き返すのである。
図書館の書庫で、誰一人触れることなく過ごした日々が、
毎日、毎分、毎秒、コンピュータのサーチの嵐に晒されるのである。

どんなに大きな図書館を建設しても、所蔵しきれない図書を、今や小さなコンピュータが飲み込むのである。
無限に、限りなく、ひたすら、ただ、ひたすらに、飲み込むのである。

しかし、日本では、それをやらない様にみえるのは、いつものことかもしれない。
和書は、和雑誌は、だれもやらないようにみえる。
われわれの手足を縛る、冒険を押しとどめるなにかが、いつも、そこにはある。

きっと、アメリカの図書館で、和書や和雑誌のデータベースが構築されるのもきっと、そんなに遠くないだろう。
日本でできないのは、技術の問題ではないのだから。

毎日、毎日、膨大な量の図書や雑誌が、コンピュータに流れ込んでいく。
それは、超スピードというべき量なのである。

誰にも気付かれずに、超巨大図書館が、建物もなく存在しているのである。

日本には、非常に優れたOCR技術も、スキャナー技術も存在しているのに、それを使う術がない。



 (9/15/2005 オンラインデータベースが利用できることは、専門図書館を一つ持つのに等しい。いや、それ以上だ。
         100人のライブラリアンと専門図書館がいても、オンラインデータベースに勝つことはできない。)

ひとつの技術が世界を変える(8/8/2005)

ひとつの技術が世界を変える(8/8/2005)

かつて、Netscape という一つのプログラムが、わずか、数日で世界中に広がった。
そして、世界は、WWWの世界が生まれだした。
全世界に、80億のウェブページを瞬時に検索できるようになった。

書籍の売り上げ低迷の中、個人個人に配送という方法で図書を届けるというオンライン書店が売り上げを伸ばし
コンピュータを、利用者の好みによって、組み立てて売るというシステムが売り上げを伸ばし
音楽をCDという媒体にもいれず、説明も、ジャケットもないの音楽を売るシステムが売り上げを伸ばす。

いったい、なにがそこに起きているのだろうか。

ひとつの技術、システムが世界変える。
その背景には、なにが、あるのだろうか。
今までにない、新しい何かの模索である。
成功するために考え抜かれたコンセプトの変換である。
利用者をスムーズに利用させる簡便さである。
そして、あらゆる既存のシステムの有効利用である。
誰もが損をしないシステムである。



(8/8/2005  4日間で音楽を100万曲売り上げたオンライン音楽配信サービスの登場の
        ニュースを聞きながら)

今 図書館が熱い(7/15/2005)

今 図書館が熱い(7/15/2005)


社会人大学院という制度の登場によって、
今、図書館が熱い。

現状を超えて、新しい可能性を求めて多く人が動き出した。

新しい時代の到来である。
新しい概念の登場である。
しかし、それは、新しさと古さのぶつかり合い
     戦いでもある。

カード目録の呪縛を断ち切らなければならない。
NDCの呪縛を断ち切らなければならない。
MARC の呪縛を断ち切らなければならない。
目録規則のわなから抜け出さなければならない。
すべてを疑え。

それほどの劇的変化の波がきているのである。
図書館という言葉も、概念も疑え。
それは、架空のイメージだ。
ほんとうの図書館の命を探し当てろ。

図書が、紙から、電子に形を変え
雑誌が、紙から、電子へと形を変える。

人類は、情報を固定する術を、紙にしかできなかった時代から
コンピュータに記録する方法を得たのだ。

この変換は、すべての問題を覆すインパクトのある変換だ。
パラダイムの大変換である。

私たちは、それを信じないだろうか。
あの数百万枚の目録カードをコンピュータは飲み込んだのである。
だから、数百万冊の図書も、飲み込めるのである。
100年の歴史を持つ雑誌さえ、コンピュータは飲み込むのである。

今、図書館が熱い。
時代の大変換の荒波を
多くの人たちが、大学院に集い
語り合っているのである。
そこから、未来は湧出するのである。
そこから、新しい力があふれ出すのである。

         (by kimito あのさ、俺、大学院に行っているんだ という声を
               電話で聞いたとき、あ! 今、図書館は熱いんだと思った。
               7/15/2005)

if

if

if という言葉は、あまり好きじゃない。
けれども、 if

図書をいつでも、再現できるのなら、
読んだ本を、取っておく必要はない。

図書を図書として保存する役割が、図書館にはあったが、
この図書を再現する機能があれば、図書を取っておく必要がない。

新聞だって、読み捨てているではないか。
雑誌だって、読み捨てているではないか。
どうして、図書は読み捨ててができないのか。
確かに、図書には、何か、不思議な力がある。
確かに、図書には、不思議なワールドがある。
しかし、それに、変わるものは、きっと登場する。

だから、if
図書を読み捨てにする時代が来る。
アマゾンが作り出すワールドがあれば、図書を保管する必要もなく
無限に供給される エコシステムのような世界が登場するのかも
しれない。

if この言葉はあまり好きじゃないけど、
今までのとまったく違う 図書が出現しようとしている。
それは、図書という名ではないのかもしれない。

情報を読み捨てて、しかも、必要な時にいつでも、自由に再現できる。
求める情報を自由に、入手できるシステムがあれば、図書の保存にこだわる必要がない。

それは、きっと、突然 前触れもなくおきる。
そして、それは、瞬く間に広がっていく。
そう、LPとCDのように
そう、CDとiPODのように
そう、ベータとVHSのように
そう、VHSとDVDのように
そう、DVDとHDのように
そう、音楽も映像も物理的な形を伴わないように

それは、きっと、突然おきる。
if という言葉は好きではないが、

私たちは、多面体の一方の方向からしかみていないにちがいなのだから。

if いつでも、必要な時に再現できる図書
でも、いまも、あなたは書類を捜すとき、机の上やキャビネットの中を探したりしない。
いつでも書類を再現できる不思議な四次元ポケット あなたの前のコンピュータをもっているのです。
それは、もうすぐ図書館に起きることです。


     (by kimito いつも机の上がグチャグチャな私から。)

図書館の未来を語ろう(7/8/2005)

図書館の未来を語ろう(7/8/2005)

人類に長き歴史の中で、人は、文字を紙の上に固定することしかできなかった。
しかし、今、人類は、文字を、コンピュータの上に固定することに成功した。

このことは、いったい、何を意味しているのであろうか。
この意味を、考えなければならない。

いままでは、図書に関するカタログ情報をなんとか、コンピュータ上に乗せかえることに
汲々としてきたが、
いまでは、本、雑誌 そのものをコンピュータの中に乗せかえることに成功してきている。

それは、空を飛べなかった人類が空をとべるようになったほどの変化である。
暗い夜を、提灯の明りで歩いた時代から、昼間のように電気を利用できるようになったほどの変化である。

いつしか、本はLPやCDのようになってしまうのかもしれない。
100冊の図書には、数十キロの重さがあるが、100冊のデータには、重さはない。
4000万枚のクレジットカードを運ぶのに、何十台ものトラックを必要とするのに、そのデータには、重さもなく
トラックも必要もない。

私は図書がなくなるといっているのではない。
かつてのように、紙に印刷されないかぎり、情報と言えなかった時代から
それ以外の方法がみつかり、それが、今は、中心的になっているということだ。
印刷されることが、かつてのように最終形態ではなく、副次的存在で、マスターが常に
コンピュータの中に潜む時代になったということである。

情報を複製するのも、コピーマシンしかなかった時代から、いつでも、コンピュータからプリントできる時代になったということである。

だから、考えなければならない。
このマスター情報を、コンピュータに潜む情報を、どのように使うことができるのか、考えなければならない。

そして、そのことを知っているのは図書館である。

かつて、ろうそくの明るさから、ランプに変わった時の驚きを
ランプからガス灯へ、そして、電球へ、蛍光灯へ次々と変化していく中で
明るさというものを追求していく中で、化学変化の力から電気の力へ変化してきたように

情報というものを追求していきながら、紙から、コンピュータになってしまったのである。

あなたの目は、ランプの世界をみているのか
あなたの目は、電球を見ているのか

しかし、誰もそれを問うこともない。
時代は、ただただ変化していくのみである。

100万冊の図書の量に、図書館の未来をみるのか
重さも、棚もない、何かに、図書館の未来をみるのかは
それは、一人一人の世界である。

だから、あえて語ろう。
図書館の未来を語ろう。
情報は今、紙の上から、コンピュータの中に潜むのだと。
そして、人々の意識も紙に書かれた情報より、コンピュータの中に潜む情報の方を好んでいることを
知るべきである。

         (by kimito 2005,7/8 紙がこれほど軽視された時代はないのかもしれない。
                      コンピュータ上に存在している情報だけが、あたかも意味をもっている
                      かのように、人は、振る舞い、反応している。そんな気がしませんか?。
                      冷静に情報行動を分析する必要がある。ランプから電球のような
                      変化の中にいて、あなたは、まだ、ランプが売れるといってはいないか?)

電子図書館構築構想を作り上げよう

電子図書館構築構想を作り上げよう

図書館は、図書との格闘をしてきた。
しかし、今、電子情報との格闘が始まった。

図書のように並べることもできず。
手にとってみることもできず。
空の上のような雲のように、常に形を変化させ

そのような情報への格闘が始まった。
それをただ、ベンダーが作ったものただ、ならべておくだけでいいのだろうか。
われらは、それらの情報にたどり着き、その向こうの情報、その関連する情報に
どのように探し当てるのか。

われらには、それを管理する、利用させる力がある。
まだまだ、やっていることは、工夫がたりない。
100万の図書を、自由につかせる工夫をしてきたように
100億の情報、1000億の情報を使わる工夫をしなければならない。

本当の情報にいたるために。

        (by kimito 電子図書館は、電子情報のある図書館ではなくて
               電子情報から、必要な情報が自由に取り出せるツールの整備された
               図書館である。)

目録カードの代わりのOPACから人工頭脳をもった検索エンジンを図書館が持つべきである。

目録カードの代わりのOPACから人工頭脳をもった検索エンジンを図書館が持つべきである。


数十万の図書、数百万の図書
その図書の中から、必要なものを探し出すために人は、どれほど苦労してきただろう。
何百万の目録カード、何千万の目録カード、いや、何十億枚の目録カードが書かれたことだろうか。

しかし、今、80億ページを瞬時探すシステムが登場し
しかし、今、自分の買いたい図書を推薦してくれるシステムが登場し

時代は、人工知能というべき世界に進んでいる。

Web-Opac が唯、図書の所在を探すシステムであった時代は終わりをつげ、

利用者のもとめる情報を、図書に、データベースに、ホームページに
探すシステムの登場が待たれている。

かつて、情報は、紙の上にしか存在できなかった。
かつて、情報は、目による検索しか手段がなかった。

新しい可能性の時代がきているのだ。

もしかすると、AMAZON のデータの方が、国会図書館のOPACより
アメリカ議会図書館のOPAC より、人々には、有効なツールになっているのではないか。

その時、図書館は何を考えるべきなのであろうか。

手元にある膨大な図書とインターネットの融合こそ
新しい図書館の始まりである。
新しい図書館の冒険である。

そのことができたら、図書館は、知恵の病院となるだろう。情報の病院となるだろう。
魂の病院となるだろう。
人間の心に、頭脳に、力を与えるものになるだろう。

Google に先を越されるかもしれない。
Amazonにずーっと引き離されるてしまうのかもしれない。

しかし、図書、雑誌の紙の世界に留まるなら、その差は、「高速」というべき速度で
引き裂かれていくばかりだ。

検索された一つの言葉から、図書を探すのか、インターネットを探すのか、データベースを探すのか
見極めながら、データを探し出す その図書館にとって、本当に役立つ検索システムの登場が
待たれている。

1990年代には、図書館OPACは、インターネットの中でもっとも、有効で重要なツールであった。
しかし、そこに安住してならない。

求めるデータを探し出す 知恵持つ 検索エンジンの登場が待たれている。

それをつくるのは、図書館員のエネルギーである。


        (by kimito  まるで、地球がすべてで、宇宙は光の点々であった時代から
                景色は一変し、地球は小さな惑星であったことを認識させるような
                情報の宇宙観の変化がおきている。
                人類の何パーセントが、何十パーセント 情報行動を、キーボードを
                ディスプレイと介在し、仕事を、コミュニケーションをする時代になったのである。)

目録カードの呪縛、OPAC の呪縛

目録カードの呪縛、OPAC の呪縛

図書館の可能性を限りなく、柔軟で、検索可能にした目録カード
そして、その目録をコンピュータ化した、OPAC
それは、本当に図書館の可能性を押し広げた。かぎりなく。


しかし、そのスピードに増して、Internet 宇宙が、途方もないスピードで拡大してしまった。
だから、こんなことを感じてしまうに違いない
この図書館の基本中の基本の目録カードとOPAC が図書館を不自由にしていないか。
もっと、柔軟にあたらしい図書館学をつくろう。

人類の長きにわたり、書かれてた図書も
現在も日々、誕生する数百、数千の図書も、
今世界中で書かれている、Webページも
一瞬で検索できる時代に突入した。

AMAZON は、ある人が読むべき図書を次々と紹介し、
Googleは、書かれた文字の一字一句で検索する。

図書館は、何が問われているのか。
図書は何を問われているのか。

かつて、高額な価格で出版されていた大部の図書は、
次々と姿を消し、百科事典を手にすることがなくなってしまった。
索引の海を渡り、抄録に夢はせた時代は、遠くなり
検索即閲覧の時代となった。
リニアな世界観が崩れ去り
不連続な断片の海に放り出された。

なにか、新しい世界を見るために
先に掛けためがねを外さなければならない。

私たちはもっと、自由になにかをみいださなければならない。

AMAZON は、本を売るための、超巨大人工知能データベースを作っているではないか。
Googleは、紙に書かれたすべての文字を検索しようとしていではないか。

数千万冊の図書のデータを、オンラインで簡単に検索できるのなら、
図書館をいくら探しても、見つからないとしょが、AMAZON で簡単に見つかるととしたら

図書館は何をするべきなのか。

しかし、なにもあせる事はない。
利用者のためのスペースと利用者のために使う予算をもっているのは、図書館なのだから
なにも、怖がることはない。
利用者が求めるものを提供する力がある。
資本主義経済の中で、知識の共有のため、開かれた場は、多くないのだから。


                   (by kimito AMAZON & Google 愛好家です。)

情報の爆発の世界で

情報の爆発の世界で

インターネットの世界においては,検索閲覧の世界
いままで、世界中の資料を集めるためには、膨大な労力と時間を必要としたが、検索閲覧が可能になる。
資料を置いていく場所の必要もなく、
検索することで、瞬く間に閲覧が可能だ。

きちんと整理する必要もなく、
画面に忽然と登場するそれら、それら。

情報化されていく勢いは、爆発という形容がふさわしい。
まるで、1粒の米が、明日は2粒に、そして明後日には、4粒へと
倍倍ゲームは、数学が、とんちの世界かとおもっていたが
それは、現実でもあったのだ。
コンピュータが、4ビットから8,16,32,64,128,256 と進化していく中で
漢字のためのエリアが足りないと騒いでいたのもつかのま、
映像制御を42億通りで行うという始末だ。
確かに、今日明日という進化ではないが、4ビットが16の世界の時
32ビットは、42億なのである。
これは、数学やとんちの世界を凌駕する勢いなのである。
このような拡大は、おそらく、コンピュータの世界が以外にないのではないか。

すでに天文学的ネットワーク空間をひたすら広がっている。
コンピュータにおける2000年問題が、1967を67と表現することによって、
2バイトのメモリ節約に汲々としたことに発生していたことを
考えると、今、われわれが手にしているものが、
なんなのか、改めて考えてみる価値があるかもしれない。

新しい世界が誕生している。あたかも図書館という膨大な書籍の合間に、
ぽかんと置かれたパソコン画面が、ナルニア国への入り口のように、
膨大な空間世界の入り口になっているのかもしれない。

(5/23/2005 ナルニア国というのが最近話題になっているのでなんだろうと思って、
最初の数ページ読んでみた。ICU図書館で所蔵してiいたのでよかった。
ちゃんと選書しておいてくれたんですね。感謝)

Google 80億ページのワールドに、多くの人が頼っている。
Google - 8,058,044,651ウェブページから検索
なかなか、こんな数字にお目にかかれるもんじゃない。
Googleの中には、Intenet の世界のコピーが、索引付きで存在している。
また、そこには、ちがうナルニア国が広がっている。

図書データの中のローマ字の悲しい運命(4/18/2005)

図書データの中のローマ字の悲しい運命(4/18/2005)

日本語には、漢字表記と読み標記という問題があります。
そのため、
ニホンゴ ニワ カンジ ヒョウキ ト ヨミ ヒョウキ トイウ モンダイ ガ アリマス
と、いったカナヨミがつけられます。
そして、ローマ字読みをつけられます。

ローマ字は、日本語の発音を忠実に表現するため、できるだけ厳密に表記します。大きくヘボンと訓令の2種類があり、ヘボンがより発音に忠実にあろうとして いる。

そのため、 僕は は boku wa , これを は、 kore o と表記します。
この読みは、配列という問題に大きく関わってきます。

さて、WINDOWS という言葉にも、読みが必要ですね。カナ読み、ローマ字読みが必要ですね。

日本語は、海外からの言葉もどんどん取り入れていきますし、
海外の国名や地名、人名、固有名詞、一般名詞など、忠実に表記しようとしますので、いままで、日本語に無かった音も日常聞かれるようになりました。
また、英語教育も発達してくると、日本語では区別していなかった、l,r
v,b、c,s,th などの音や母音もたくさん区別するようになってきます。

しかし、日本語自体の音は減少傾向にあるようです。いくつかローマ字表記表から消されていく運命の音があります。
現在、ローマ字表では、ヅ ということは ズ という音と同一の音とみなされているため、 つづりかた ということばをローマ字にすると
tsuzurikata になります。

しかし、ローマ字を日本語の発音記号として捕らえていくと、音の増加、組み合わせとして、増加傾向にあると考えられます。
今後、L,Rの区別をして発音するようになるとそれに対応した表記が必要になります。また、Windows,LINUX、computer などの外来語も日本で使われるかぎり、ローマ字表記が可能になります。
けっこうこれも大変ですね。
しかも、通常の和書の書名でも、windows とつかったり、ウィンドウズと使ったりします。それにもローマ字読みが必要になりますね。

どうしたらよいでしょうか。
国会図書館では、windows には、読み音のローマ字をつけることを止めて、源つづりをそのまま使うことにしましたが、そうしない図書目録もたくさんあります。

コンピュータが日本で使われるため、256文字しか使えない時期に日本語を表記するために、カタカナで拡張したりしました。そのため、日本語ローマ字の長 音記号などを表記する方法があまり考慮されてきませんでした。(日本では、そうです。アメリカ、ヨーロッパでは、ウムラウトやアクサンをはじめ、日本語長 音記号も表記可能です。もちろん、半角カナなんてものは、表記できません。)

さて、日本語ローマ字はどのような運命をたどるべきなのでしょうか。

難しいですね。
日本で話される(書かれる)すべて言葉を、発音どおりに表記することは可能なのでしょうか。
既に、大きく、ヘボン、訓令の2種類が存在していることを考えると
ローマ字も厳密には発音どおりの表記でないことがわかります。

どうすべきなのでしょうか。
日本語には、常用漢字、人名漢字、旧かな使い、パソコン入力用ローマ字(もどき)も存在しており、ローマ字なんて、ほんの些細な問題のようにも思います、 国家でも、外務省の人名表記は、ヘボン式で、文部科学省は訓令式を推奨していますし、どうすることもできない状況ですね。パソコンを使って、東京や吉祥寺 をローマ字表記できないという単純な現実も解決する方法がありません。(ローマ字長音記号問題が、日本のパソコンでは解決されていないため、Tokyo, Toukyou
でも、正しいローマ字表記は言えませんね。JRや地下鉄のローマ字表記の駅名をみればわかりますね。まあ、あえてパソコンで書くとすると to^kyo^  といことになるのでしょうか。)

こんな状況で、日本語データベースを管理するなんて、なかなかむずかしいですね。
どうしたらいいのでしょうか。
もうローマ字のことを忘れてしまうのもいいかもしれません。
ローマ字のことを論じているのが、国語学者で、数学者でないのであいまいのままでもかまわないのか??

      (4/18/2005 新しい法王の選出のため、コンクラーベという会議をしているそうです。日本語には、音が少ないので、根競べということばに連想します。英語でも、子音、母 音もたくさんの種類がありますが日本では、似たような音になるとみんな同じ表記になってしまいますね。たとえば、スイート(ルーム)、フリー(マーケッ ト)、ライスなど本来はスペルも意味も違うものが、音表記をすると同じ音のようになってしまいますね。いくら考えてもきりがありませんね。)

未知なる世界へ(3/5/2005)

未知なる世界へ(3/5/2005)

未知なる世界へ人は歩む。
その時、現在の感覚にふと違和感を感じるとき、
人は、新しいビジョンを探しはじめる。

図書館という言葉。
あなたが、図書館に勤めているとして、
あなたが、図書館の建物の中で働いているとして

なにか、ちがう閃きをふと、感じるとき
あなたは、未知なる瞬間に触れた、その瞬間

そのような、たくさんの瞬間の集まりが今。今。今。
あなたは、いつも、未知なる世界に出会っている。
その未知を捕まえるとき
新しい概念が登場する。

民主主義という言葉が、世界で初めて使われた瞬間のその時のように。

あなたは、未知なる世界の概念のみつけ人。
あなたは、未知なる世界の概念を言葉に結ぶ人。
あなたは、未知なる世界の概念を生きる人。

いままで、だれに見つけられなっかた、新しい概念を、そっと、見つけることができる。
その瞬間をしっかりと捕まえよう。

新しい図書館の概念が
新しい図書館システムの登場が
新しい分類方法の登場が
あなたが掴むことを、待っている。
未知の道の上で。
 そっと、路傍の石のようにひっそりと待っている。

図書館という世界にとどまらず、あらゆる、出来事、概念、言葉

 未知なる概念
 未知なるシステム
 未知なる音楽
 未知なる言葉
それを、見つけ出すのは、人間の感性が行うことができる。

                 (3/5/2005 新しい名前を探し求めて)    

言葉へ(1/10/2005)


言葉へ(1/10/2005)

言葉は、魂を削り出す鑿(ノミ)
言葉は、時代を形作る枠
言葉は、混沌の世界に、形を与える不思議なもの。

口から出る言葉は、人生を推し進め
ペンから書かれる言葉は、世界を推し進める。

混沌の世界にあって、
言葉が、世界を組み立てるレンガとなり、
      世界を支える柱となる、

口から出たことばは、一瞬に空中に飛び去り、聞く人のこころを住処とする。
書かれたことばは、時間と空間を飛び越えて、静かに、読まれる時を待つ。
時に、よき伴侶となり
時に、新しき世界を創造し
時に、混乱を撒き散らす。

だから、ほんとうの言葉を捜さなければならない。
内なる世界の言葉と
外なる世界の言葉の中に
魂を削りだし、時代を創造する言葉を見極めなければならない。


          (巨大地震、巨大津波のあまりの大きさに、世界中 が祈りをささげた。
               この祈りが、今度は、巨大な波となって、世界の平和のために、
               人間の利害、思想、宗教、経済を超えた巨大な輪になって行きますように  1/10/2005)

解かるということの不思議さについて(11/29/2004)

解かるということの不思議さについて(11/29/2004)

クイズ番組がたくさんある。
質問者と回答者が1対1のものもあるが、多くの場合、回答者は複数だ。
隠された答えに、気がつく時のあの興奮はいったいなんなのか。

ヘレンケラーが、見つけた、世の中には、言葉がある というあの衝撃にも似ている。
問題には答えがある。
クイズは、ある面手軽に、答えへの誘惑を再現してくれる。
しかも、わかる人、わからない人といる。
そのスリリングな刺激、優越感、敗北感、徒労感.....

しかし、わかるとはいったいなんなのか。

不思議という不思議な言葉を思い出す。
人生の不思議に出会うこと。

それを不思議に思うこと。 それは、答えの存在がどこかに感じられるから、不思議に思う。
答えの存在を感じないものを不思議に思うことはない。
そして、多くの人が、不思議を追い求めるのだ。

その不思議さを、いつ手に入れたのだろうか。
いつ、考えみても、不思議さは突然やってくる。
そして、それは、どうも、生まれてくる前から、こっそり、持ってきたものに違いない。

              (まだ、解からぬ不思議さを追い求めて 11/29/2004)

言葉 この未知なるもの(11/19/2004)

言葉 この未知なるもの(11/19/2004)

言葉によって、世界を開く。
そう、ペンは、剣よりも強いという言葉もあります。

最近、いくつか、文章を書いていて、これで、出来たといって
人にみてもらうと、間違いだらけ。
このホームページも、誤字、脱字、テニオハが変な文章が山ほどあって、
読んで下さる方に、ご迷惑をおかけしています。

そして、私の言語能力はおかしいのではないかと思う。
いったい、言語能力とはなんなのであろう。

私が今、文章を書いている、このこと。
このことは、私の内にあったことを書いている。
しかし、それは、言葉としてあったことなのであろうか?

この言葉の実在を支えているのは、私の内なる世界しかないはずだが、
それは、ここに書かれた言葉と、どのように関連するのであろうか。

最初に、今書いている文章を書き始めようと思ったきっかけは、自分の文章に
あまりにも誤字、脱字、誤記、テニオハの異常の多いことなのだ。

書かれた文章が、非常におかしいということは、内なる世界もおかしいにちがいない。

私の思考回路は正しいのだろうか。
私は、何をもって、言葉をかいているのだろうか。

考えてみよう。
私の内にもともとあった言葉はない。
すべての言葉は、外から入ってきた。
日本に生まれたので、日本語を
もし、イギリスに生まれたのなら、英語を

その外から入ってきた言葉を、内なる世界にとりこんで、コミュニケーションを行うようになる。
このコミュニケーションを司っている 言語エンジン に、なにか秘密があるのでろうか。
コミュニケーションというには、非常に複雑な行為だ。
まず、聞かなければならないし、それを、分析し、理解しなけれならない。
そして、応答しなければならない。
それを、瞬時におこなわなければならない。

たいへんなことを人は自由にやっている。
人類から、言葉を取り去ると、いったい、なにが残るだろう。
その残り物は、いったい、なんなのだろうか?

しかし、ここまで書いて、三重苦のヘレンケラーが、言葉のない世界から、言葉のある世界へ
飛び移る瞬間を記録に留めている。
サリバン先生が、井戸の水を手にかけながら、“水”という言葉があることを必死に伝え
それを理解した瞬間の出来事であった。
それは、ヘレンケラーの人生を決定的に変えた瞬間であった。

言葉とは、そのようなもの。
物理的なものではない、なにか、不思議なもの。
そう、決して、物理学では、捕まえられないもの。




                  (11/19/.2004  自ら書いた原稿の修正の多さに唖然としながら。)

外から来た言葉、内より出た言葉(11/4/2004)

外から来た言葉、内より出た言葉(11/4/2004)

いつも聞いていた言葉でも、自分で声にしたり、書いたりすると
言葉の存在が変わってくるのは、なぜだろう。

何度も聞き、十分理解していることなのに、
そのことを改めて書くことになったり、発表することになると
突然、言葉を変貌し、意味を確かにする。

突如、言葉は意味を持ち、
そうだ、こうすればいいのかもしれない。
あのように、やってみようと思い出す。

あたかも、自分が大発見したかのように。
回りしてみれば、さんざん繰り返し言ってきた言葉であっても、
外から来た言葉と、内から出た言葉では、本当に違うのはなぜだろう。

言葉の不思議。

  (11/4/2004 アメリカ大統領選挙が終了したことを聞きながら。)

言葉によって、一瞬を捕まえる(9/28/2004)

言葉によって、一瞬を捕まえる(9/28/2004)

瞬刻の時を人は生きる。
様々な思いが、次々と湧き起こる。
人は何を、定めあるもとして生きていくのであろうか。

瞬刻の時を捕まえる。
あたかも、写真のように。
一瞬のひらめきを、形になす。
一瞬の訪れを捕まえる

それは、言葉なのか。
あの一瞬
恋の予感を感じたあの一瞬
人生の運命を感じたあの一瞬
発明のひらめきが訪れたその一瞬

それを捕まえるのは言葉。
それを表わすのは言葉。

しかし、人生の多くの感情、感覚を言葉にすることがない。
人の使った感情を、ウゼイ、ムシャクシャする といい、
その内に入ることがない。
そこに、人生の秘密があるのに。

言葉。
私であって、私ではない。
人生を表わすものでありながら、人生ではない。
言葉。たくさんの種類の言語。
それぞれの世界をあらわすもの。

言葉が記されたものが、そこにある。
その人ではないか、その人である。
その人の分身である。
いや、その人を動かした根源の何かである。

人は、言葉を使っているのに、ことばとは、何かを知らない.

           (by kimito 9/28/2004 中秋の名月によせて。 イチロウがんばれ。)

この不動なるもの。不滅なるもの(8/14/2004)

この不動なるもの。不滅なるもの(8/14/2004)

日々揺れ動く,心。
毎日、限りなく情報が飛び交い、休まるところを知らない。
何も、事件の起こらない平穏な生活はなく、
世界の出来事が、瞬く間に、世界を駆け巡る.
9.11 あの瞬間を私たちは、テレビで同時にみたのだ。

目まぐるしい変化と情報の中で
不動の立場を保ち,厳然とそのメッセージを伝えつづけるものがある。
図書。
時代、空間を越えて、どんな時にも、変わらぬメッセージを伝えてくれる。
多くの人生にとって、生涯の友になった図書がある。
苦しい時に、優しさを
嬉しい時に、共感を
共に、人生を語り、
友情を語り
恋愛に、一喜一憂し、
主人公の死に、涙し。

図書。
只のインクの痕。言葉の連なり。
しかし、あんな、コンパクトなものの中に
あんな、安価なものの中に

何が詰まっているのであろうか?
書いた人の人生か?
宇宙か?

揺れ動く人生にあって、
変わらぬメッセージを伝えてくれる。
読者が読む限り。

閉じられた図書には、なんら力もない。

悲しいことに、図書を形容する言葉を知らない。
いたづらに、形容する言葉を求めて、彷徨う限りだ。

あらゆる図書が,善意であるわけでもなく、
あらゆる図書が,輝きを持っているわけでもない。
すべての図書は、人生の友になるわけではない。
人生も、誤らせる図書もある。

しかし、そのいずれであろうとも、
例え、著者が死のうとも、
図書は、不動のメッセージを、読者に伝えつづけるのである。

              (by kimito 8/12/2004 アテネオリンピックを前にして)

現代社会に残された不思議な森(7/15/2003)

現代社会に残された不思議な森(7/15/2003)


人類の長い歴史。
広大な地球。
さまざまな文化、文明、民族。

この大地の残されたピラミット。
この大地に隠されたさまざまな遺跡。

その壮大な出来事としての歴史。そのはかりしれない無限の広がり。
しかし、それ以上に、広大無辺な意識のひろがり。
ファンタジー、SF 無数の世界
旧約聖書の世界、仏典の世界
ハリーポッターや指輪物語の世界。

あたかも、それは、もう一つの、いや、たくさんの別の世界が存在しているかのようだ。
いや。もしかすると、ひとつの人生は、一つの世界なのかもしれない。
同じ出来事を目の前にしながら、まったく、違う反応をする ひとり、ひとりの人間
確かに、ひとつひとつの世界をもっている。
しかし、そのひとつひとつの世界も、また、無数の世界へとリンクしているに違いない.
ハリーポッターの世界や孫悟空の世界へとどこかで、繋がっているにちがいない。

46億年の太古からただ一つの地球。
そこで、起きた時間の流れ、現象は、ひとつなのかもしれない。
しかし、なぜ、図書館には,その事象とは、別の世界があるのだろうか?

本。
一人の世界を多くの世界と共有することのできる不思議なもの。
この不思議さに出会うことができるだろうか?

この不思議さに出会うこと。それ自体、内的答えの直感との出会いでもある。
なぜなら、あることに不思議と感じるためには、不思議を感じる”種”が存在しなければならないからである。

この地上から、不思議は消え去ったのであろうか。
少年期に教えるべきものは、教科書の隅から隅まで隈なく検証され、完璧に整備されているとでもいうのだろうか?
あらゆることがインターネットで探せるというのだろうか?
膨大なデータベースがあれば、あらゆる知見を探し当てられるとでもいうのだろうか?

私は、“誰” 私は、”何をするために生まれてきたのか”
あなたは、”日本の労働力としてのみ存在しているのはなく”、
あなたは、”日本の税金をはらう存在として存在しているわけでもない”
サラリーマンになることのみに生きているわけでもない。

図書館。
現代社会に残された 唯一の不思議な森 人間が空想し、夢みる森
しかし、その図書館も、きれいに整備され、ただの芝生の広場になってしまった。
毎年毎年出版される無数の娯楽小説を置くスペースもたりなくなり、
子供達の本に占領されて、
数千年の歴史を伝える古木は、消え失せ
世界に向けたメッセージは、見失われ
不思議さは、どこにもない。

私たちは、取り戻さなければならない。
町の中に、不思議な森を取り戻さなければならない。
野山を駆け巡り、見知らぬ昆虫に出合ったり、動物や小鳥を見かけたように
図書館の中で、見知らぬ著者に合い、不思議な話を聞き
そう、トロイの木馬の不思議さを直感した人のように
不思議な世界に触れなければならない。

現代社会において、唯一残された 不思議な森
それが、図書館だったはずなのだ。

野山で、風の音、小鳥の声、木々の成長する力、草の逞しさを感じるように
図書館で、一冊の本に込められた願い、思いを感じなければならない。

不思議に出会うこと。
それは、あなたの内にねむる 不思議な”種”に出会うこと。
それは、とても不思議なことだけど、その不思議なことの答えを知るもののみが、
その不思議さに出会うのである。

その不思議さにどこで出会うのかはわからない。
物理学者になったある教授は、少年の時、その目で火の玉をみたという。
音楽家は音楽の不思議さに惹かれ
冒険家は冒険の不思議さ
宇宙の不思議さ、人生の不思議さに
出合っていくのだ。

図書館。
不思議な (この森という字が 木を3つ組み合わせた字はなくて 本を3つ組み合わせた 字があるといいのに
         と思いつつ)

現代社会に残された であってほしい。
広場でも、遊具の置かれた公園でもなく、さまざまな施設が整備された ランドでもなく
不思議な森が、現代の社会に必要だ。
その不思議さを蓄えるのが、そう、図書館なのだ。

                 (by kimito 7/15/2003)

世界を変えるもの。

世界を変えるもの。

図書館に世界を変える力がある と、信じているのは、誰だろう。
図書館に文化を変える力がある と、信じているのは、誰だろう。
図書館に教育を変える力がある と、信じているのは、誰だろう。

図書館には、人生を変える力がある。
図書 この不思議な”もの”には、たしかに、なにかを変える力がある。
紙とインク スキャニングすれば、だたの明暗模様に過ぎないかもしれないのに
そこには、人生のようなもの
そこには、生命のようなもの
そこには、一つの国、世界のようなもの
が、確かに存在するのである。

映画、タイタニックに夢を馳せ,ハリーポッターに思いを寄せるように、なにかがある。

それはいったい、なんなのか と問うと、言葉にならないかもしれない。

あらゆるものに孕まれた生命の力、存在の力、人生の力、人間の力

そして、図書、文字、そこに孕まれた 不思議の力
そして、図書館には、力がある。不思議な力がある。

しかし、それを、単なる絵本や娯楽小説で、満たしてはならない。
存在の力をもった、2000年の時を越えて伝える力、世界の果てから伝えられた力
世界に挑戦し、問い掛けたものの力で満たさなければならない。
その力こそが、世界を変える力となる。

図書館には、世界を変える力がある。
そして、世界を変えてきたのである。

かつて、その力を見抜いたものたちが、図書を燃やした歴史もあった。
かつて、その力を信じたものたちが、天竺の果てまで、旅したことがあった。
かつて、その力を知っていたものが、印刷術をもって、古い世界の中に新しい世界を出現させた。

そして、今、なにか新しい出版とコミュニケーションと検索を兼ねたような技術の集合体の中で
世界を変えようとする莫大なエネルギーが流れ出している。

その中で、図書館は打ち捨てられていこうとしているのか。
まるで、自動車の登場によって、忘れ去れていく 蒸気機関車のように
しかし、どんなに乗り物が変わろうとも、それに乗っているのは、人間であることに変わりがないように

言葉に秘められた、力は、紙の上であろうと、ディスプレイの上であろうとそれは変わりがないのかもしれない。

日本には、近代的な建物ばかりで、面白くないかもしれないが、
図書館とは、その本に込められた膨大な生命エネルギー 宇宙エネルギーを閉じ込める 巨大なドームなのである。
そのドームは、まるで,原子炉のエネルギーを閉じ込めるのに、分厚いコンクリートが必要のように
人類の智、人類を変える力を閉じ込めるためには、確かなドーム 図書館が必要なのである。

薄暗い書架に閉じ込められ、人が接することができないように、閉じ込められた図書達は、核反応も出来ず、
制御棒を深く差し込まれた原子炉の燃料のようなものだ。

本当は、図書は、人の手に触れ、密かにその生命が呼び覚まされ、
そして、その魂に、人生を変える力を吹き込みのである。

その力が、人生を変えるのである。
その力が、世界を変えるのである。
その力が、人類の未来を変えるのである。


                (巡航ミサイルによって大破した国が、ようやく一つの国として
                形を表わそうとするという。その国を形作ろうとする力はなんだろう。
                かつて、植民地政策によって、誇りも勇気を見失った全国民に
                糸車と杖一つで、独立を成し遂げた人がいた。
                世界中の軍隊の監視下のもと、壊れ果ててしまった国に国として
                力と勇気を与えるのは、なんだろう。
                かつて、イギリスの攻撃に、滅亡寸前だったフランスを、白百合の花を
                旗を掲げた一人の少女が、自らの生命を捨てて、フランスにその生命を
                吹き込んだのある。

                巡航ミサイルによってその国は、多くの軍隊を失い、暴君を失い、そして
                僅かな誇りも、小さな抵抗も、完膚無きまでに。剥ぎ取られていったのである。
                国への誇りも、勇気もすべて奪われたのである。

                かつて、2つもの原子爆弾が落とされて、降伏した国の奇跡のような再生を
                夢みているかもしれないが、天皇を始め、多くの人たちが、人間としての誇りと
                国家再生の夢を見失わなかったのではないか。

                国家を変える力がある。国を支える力がある。それは、人間一人一人にある。
                そんな人間の力を励まし、勇気つけてきたものが、2000年とともに多くの人の
                人生を励ましてきた本であり、砂漠の民を支えてきた本であり、梵語から漢字へ
                多くの寺に伝えられた経典でありあった。それらが世界を支えてきた力こそ、
                いったいなんと形容すべき力なのであろうか?
                巡航ミサイルによって荒廃した国が、独立するという。その本当の独立に必要な
                ものは、銃でもなく、ミサイルでもなく、人間の誇りと勇気なのだ。
                その人間の誇りを、手にした銃や爆弾から得ようとするのではなく、一冊の本
                から得ることができるようになったとき、本当の独立が始まるのだ.

                かつて、世界一栄えたというバクダットをもつ国のあらたな出発を祈りながら。)

パッケージという思想に図書館が飲み込まれていくのか。


パッケージという思想に図書館が飲み込まれていくのか。

図書館システムが、その図書館の個性を際出させる時代は終わったのか。
私達は、図書館システムを導入するために、何を捨てなければならないのか。
そして、ただ、効率化のために図書館のメニューとプライドを捨てるべきだったのか。

 そうねぇ。どんな感じかというと、マクドナルドのハンバーガーはどこでも手軽に食べ られるのに
  ご馳走や手作り料理、フランス料理はどこでも食べられなくなってしまった感じかな
  

図書館システムを使いこなす時代は終わったのか。
すべてのルールは、図書館システムの判断に任せ、なぜ、そのようなルールがあるのか、誰も知らない。
なぜ、そうするようになったのか、その図書館システムがそうだったに過ぎないのかもしれないのに。

  そうねぇ。料理にもいろんな味があるのに、コショウと塩しかなくてそれ以外の味は 忘れてしまったような
  感じかな。

図書館システムを変革する希望も失われたのか。
今のシステムが不満であろうが、リース満了までの我慢と、プログラムの不具合すら直そうとしない。
そして、すべては失われていく。

  だれも、お料理をつくる人が居なくなってしまったレストランようなものかもしれま せん。
  もうすべて出来ている料理を出すレストランでいいというのなら、それまでですが。

図書館システムはパッケージとなり、画面の華やかさと裏腹に、すべてはモノトーンになっていくのか。

  感覚がモノトーンなっていかないといいのですが。
  感性の味覚も失われていくのかもしれません。

                          ( by kimito 17年に一度 セミが大発生するニュースを聞きながら )

アメリカ社会に役立つ図書館12か条

 アメリカ社会に役立つ図書館12か条

 (1)  図書館は市民に知る機会を提供します。
 (2)  図書館は社会の壁をうち破ります。
 (3)  図書館は社会的不公平を改めるための地ならしをします。
 (4)  図書館は個人の価値を尊重します。
 (5)  図書館は創造性を育てます。
 (6)  図書館は子どもたちの心を開きます。
 (7)  図書館は大きな見返りを提供します。
 (8)  図書館はコミュニテイを作ります。
 (9)  図書館は家族の絆を強めます。
 (10)  図書館は一人ひとりを刺激します。
 (11)  図書館は心の安息の場を提供します。
 (12)  図書館は過去を保存します。

      (竹内さとし著 ひとの自立と図書館より)

日本全国に、何千とある図書館が、その存在によって、日本の文化、世界のあり方に
影響を与えることはありうるのか。
もしくは、”ある”可能性はあるのか。
日本において、図書館がマスコミに登場したり、市民の生活の中で、どのように意識されているのだろうか?

キャッチコピー より

キャッチコピー より

     図書館員なしで、研究者は何ができるのか?

     持て洞察力、超えよ情報バリア

ELSEVIER の広告より。

 このつよいインパクトをもった言葉の背景に、いったいなにがあるのでしょうか。
 この会社は、図書館員を通じて、なにを見ようとしていのでしょうか。

 確かな思想と自信がここにはある。そして、情報とはなにかということに対して、確かな確信があるようにも
 みえる。

図書、この不思議なるもの (3/20/2004)

図書、この不思議なるもの(3/20/2004)

文字。人間の歴史を共にありて、人間を無限の世界に導くもの。
言葉。人と人を繋ぎ、天と人、地と人を繋ぐ.
人間の心の世界を無限に広げ、多くの理解を導くもの。
この世界を認識するのは、眼でものを見るだけではなく、
耳で音を捉えるだけではない。
見えない世界、見えない思想、概念、心情を表わすものに溢れている。

本。図書。書籍。著作物。
一人の人の内から生まれ、一人の人の世界が多くの人の世界になる。
地域、時間を超えて、数千年の時を越えて、ある人の人生を伝える。

図書館。そこに蓄えられた、たくさんの世界。
ある人にとっては、下らない図書であっても、ある人にとって、人生を支えるものとなる。

無限の入り口。無限の宇宙への入り口。
紙に書かれた、白黒も模様も、活字になり、確かな世界を伝えてくる。

その壮大なエネルギーを受け止めることができるだろうか。
そこには、人類を、世界を変えようとする、産み出そうとする、力がある。
しかし、その力を受け止めるのは、図書を読んだもの以外には伝えることができない。

図書、それだけでは、なんの意味をなく、力もない。
只のゴミの山である。

しかし、そこには、時間を超え、空間を越え、不思議な世界のエネルギーを
見つけ出す、不思議な世界である。

(by kimito 3/30/2004
 この不思議な存在の図書の不思議さを、言葉で伝えることができるだろうか?
それをどのような言葉で伝えることができるのだろうか?)

図書館は大学の心臓

図書館は大学の心臓

このことばを最初に発した人は、誰なんだろう。そして、そこ言葉を産み出す直感は、どのように訪れたのであろうか。
生命の隅々まで、栄養と酸素を送りつづけるポンプ:心臓 ほんの僅かな停止でも、死をまねく心臓の形容をどうして、図書館に与えたのだろうか。
肺だって、胃袋だって、肝臓だってよかったのかもしれないが、その直感は、心臓であると伝えられている。ICU図書館も、その言葉が伝えられてきた。
一つ一つの細胞に赤血球が酸素をはこぶように、学生に1冊の図書が、”なにか”を伝える。

日本語。日本人にもよくわからない言語の集合体なのか?

日本語。日本人にもよくわからない言語の集合体なのか?

日本語検索システム   新選組 と 新撰組 を検索すると
2004年の大河ドラマ  新選組
しかし、新撰組 とも表記する。どちらが正しいのだろうか。
この混乱をしらべると、どちらが正しい、間違っているとも言えないようである。
さて、クイズである。
   新選組 と 新撰組 どちらで、入れても両方ヒットする図書館システムは
   次のとれか
   国会図書館 NDL-OPAC
   国立情報学研究所 NACSIS-WebCat
      

   この問題をさりげなく解決しているシステムに、Google があります。
  英語、日本語の同義語も作成しています。おそるべし Google
  その同義語辞書 公開しませんか?売れると思うけど。

和書システムを捨てる時が来ているのか? (11/19/2003)

和書システムを捨てる時が来ているのか? (11/19/2003)

多言語システム時代の図書館システムの構築について
  歴史
   和書システム、洋書システムの混在システム
      2つの目録規則の運用

   日本から新しい挑戦 NACSIS(NII) 多言語化システム
      NACSIS(NII)システムの多言語表示には、英語モードでしか、多言語表記できない。

   LCの多言語システム
      英語システムを多言語化拡張   

   現在の動向を考えると、コンピュータの制約上 日本語システム下では、
   多言語化システムを構築することはできない。
   それを行うためには、日本目録規則下に洋書を組み込む必要がある。
   しかし、日本語システムでは、日本語を表現するローマ字の長音記号ひとつ表現することができない。
   NACSISの外字、国会図書館の外字の中心を占めているのは、ヨーロッパ言語圏のウムラウト、アクサンなどである。

   多言語化図書館システムは、英語システム下で、実現される。
     NACSISが目指したように、和洋共通フォーマットが必要。
     共通目録規則が必要。
     親目録規則と子目録規則が必要。子目録規則とは、英語目録規則、日本語目録規則
     など 固有の目録規則群である。

   多言語システムの発達の歴史

     日本における多言語システムの発達の歴史
     和書システム、洋書システム -> 和書、洋書共通システム -> 英語下での多言語システム(Unicodeによる)

     アメリカにおける多言語システム
     英語システム -> ヨーロッパ言語への対応 -> 非アルファベット言語の翻字 ->
     CJKプロジェクト(独自の文字コード体系の登場)->多言語システム(Unicodeによる。)
    

        日本における多言語システムの構築
           NACSIS,NII の挑戦

           図書館における多言語システム構築プランとは。
           既に、実用化されている 海外のシステムとの整合性は。

しかし、アメリカでも、たくさんの試行錯誤の結果、現在の形になっていることを忘れてならない。
多言語システムは、その成り立ちから、多言語システムと日本語システムは共存できない。
多言語システムは、一つの規則、理論下で、日本語システムの概念を離れて、プランされ、
構築されなければならない。
       
日本における新たな理論が必要とされている。
そのための新しい目録規則の登場が必要である。
和書システムと洋書システムを足し合わせても、多言語システムが、出現するわけではない。 

         (11/19/2003 私達は何かを捨てなければならないのだろうか。
          PC98で作られたソフト、ベータシステムで録画されたビデオのように、
          和書システムを捨てなければならないのかもしれない。)

文字文化全盛の時代に(11/11/2003)

文字文化全盛の時代に

  マスコミュニケーションの手段としてのラジオも、テレビも、文字は無かった。
  パーソナルコミュニケーションの手段としての電話にも文字は無かった。
  そんな時代から、文字の花咲く時代になった。

誰もが、文字でコミュニケーションするようになった。
口や耳は退化しはじめたかのように、テレビの人の言葉に、
字幕がやたらに入るようになった。

たくさんの情報を文字に頼る時代になった。

世界中に散らばる数百億ページのデータを瞬時にさがすことができるようになった。
100年にわたり書き連ねてきたデータを、一瞬に遡ることができるようになった。

それらは、今、日常生活の目に触れる存在から、機械の底に住む、電子や磁気の住人の監視下に置かれることになった。

それは、いったい何を意味しているのであろうか?
その意味は、きっと、長き時を経て、形をなしていくことだろう。

情報の洪水のいう言葉を、人間はなんども聞いた。
図書が手書きでしか作成できなかった時代から印刷技術の登場の時にも
図書だった世界に、雑誌なるものが登場した時にも
コピーマシンが登場した時にも
そして、無数のホームページが登場した時にも
これから、起こるだろう 情報の洪水にも

どんな時にも、図書館は失われず、その情報を飲み込んで、巨大に成長してきた。
今や、数千万冊の図書や雑誌を所蔵する図書館が生まれているのだ。
そして、巨大データベースストレイジとして存在していくに違いない。

                  11/11/2003 超巨大爆発を続ける文字文化の時代に

図書館総合展の参加報告を読みながら(11/7/2003)

 図書館総合展の参加報告を読みながら(11/7/2003)

     図書館システムについて考えているんだって?
     もし、電子図書だけになったら、図書館なんていらなくなるよ。
     図書は、不滅だって ?
     日本中の大学生のカバンの中から、辞書が消えてしまったのを知らないのか?
     日本中の大学生のカバンの中から、ノートやペンが消えてしまったのを知らないのか?
     
     君は、時代の変化をしらない。
     図書は、消えつつある。
     にも、関わらず、図書は活字文化だという。
     もう、とっくに、活字で図書を造ったりしないのに。

     なんといっても、図書は重い。こんな本を毎日持ち歩くなんて。
     その上、パソコンまで持ち歩けときたもんだ.
     身長が伸びなくなったらどうするんだ。
     どうして、そんな苦役を強いるのか。     

     私達がつくる世界。
         活字を拾うこともなく、無限に文字を括り出すことの出来る時代になった。
         それでも、マスコミや報道は、自らに仕掛けた、当用漢字の罠から
         抜け出すことができない。君たちは、活字の呪いから逃れられずにいる。

         世界中の図書を、自由に検索できるようになったのに、
         日本の図書をローマ字で検索できない。
         日本の目録だけに、ローマ字が欠落しているのに、
         だれも、そのことに気がつかない。
         ここにも、ローマ字の呪いが仕掛けられている。

    私達はそんな世界に生きている。
    
    そして、
    世界はものすごい勢いで、紙に書かれた図書や雑誌を、
       ハードディスクに閉じ込めようとしている。
    かつて、すべての印刷物を、マイクロフィルムに押し込めようとしたように。

    無限の知識を、小さなハードディスクに閉じ込めることができるに違いない。
    そのハードディスクさえあれば、どんな問題にも無敵に立ち向える。
    と、思っているかのように。
    これこそ、金のなる樹なるに違いないと思っているのかもしれない。

    しかし、
    たった一冊の本が、人生を変える。
    たった一度の出会いが、道を開かせる。
    言葉は、なぜ、2000年も昔の出来事を、あたかも、今起きたかのごとく
    伝える力を孕むのであろうか。
    言葉は、なぜ、だれも見たこともない、ほうきにのって、誰もやったことのないゲームを
    ありありと伝えることができるのでろうか。

    それを、活字の力というのであろうか。
    いったい、活字のどこに、紙のどこに、その力が、込められているのであろうか。

    出会うべきものは、一つでよいのかもしれない。
    それは、時間、空間、時代、国を越えた、
    それは、あなたという存在を超えた なにかとの出会い、
    それは、あなたの人生に今まで、書き留めれていなかった なにか との出会い。

                     (11/7/2003 図書館総合展の参加報告を読みながら)

人類の記憶


     人類の記憶
       この地上を作ったもの。
       人間の誕生の瞬間を記録する、さまざまな伝承と書籍
       人類の記憶
       文字、絵画、活動の痕跡
       それが、事実であったのか、単なる作り事なのか、客観的に証明
       
       しかし、個人の内面を記憶する書籍のすばらしさを忘れることはできない。
      旧約聖書、新約聖書、日本書紀、万葉集、源氏物語 数多の書物が、人類の
      記憶、人間の記憶を留める。
      かつて、遭遇した時空を越えて、記憶を伝える。
      私達の記憶。
      そこには、現代人を魅了してしまう力とエネルギーが確かに存在する。

図書館の未来へ

    図書館の未来へ

     真理がわれらを自由にする。
     人類に力を与えるもの。
     人類を自由にするもの。
     人類は、何によって、自由を得たのでしょうか。
     地球の壮大な歴史の中で、生命あるものが、
     言葉を発した瞬間の驚きと衝撃を感じることができますか。
     それは、地球が宇宙を震わした瞬間だったのかもしれません。
     その衝撃のかすかななごりを、ヘレンケラーの伝記に辿ることができます。
     真理がわれらを自由にする。
     そして、人類の”不自由”を自由に変える力があるのかもしれません。

求めるものへ (1/20/2003)

求めるものへ (1/20/2003)

求めるものを失った現代
すべては、準備され、要望すれば、そこに届けられる。
すべては、望みどおりになる。

そんなことは、ないはずなのに
面倒なことは、しようともしない。
人の説明を聴こうとしない。
すべては、秒速で解決できることのみに専念する。

テレビゲームで鍛えたはずの忍耐力も
わずかな社会の抵抗を乗り越えることができない。

すべての苦労は、一瞬に消える無常に生きる。
すべてをやりぬいたとしても、残るものもなく、
次のゲームへと突き進んでいく。

現代社会は、どのように文明を築こうとしているのであろうか。

だれも、地道に苦労することを忘れてしまったかもしれない。
コンピュータが、一人で仕事をするのであろうか。
コンピュータが、人間の友なのだろうか.

自らのうちに、豊かな可能性があることを、忘れてならない。
想像してみよう 
そして、創造してみよう
すばらしい、未来社会を。
その願いが強ければ、すばらしい社会が、やってくるだろう。

そこに生きる豊かな自分を想像できるなら、
豊か自分を創造できる可能性があること。
まだ来ぬ未来から、豊かな人生を紡ぎだそう。

        (1/20/2003 目録カードを書いていた時代から
                無限の情報を得ることが可能になった。
                しかし、自分の人生への入り口は 過去も
                今も、そして、未来も 一つしかない。))

図書館の戦い (12/20/2002)

図書館の戦い (12/20/2002)

それは、無秩序への戦いである。
それは、ランダムへの戦いである。
それは、気まぐれへの戦いである。

突如このように発生する、人間の知的稼動。
そのきまぐれを、一枚のカードに閉じ込める。
そして、分類の体系のなかに押し込める。
だれも、動かすことのできない 分類体系の重みをもって。

しかし、図書は、そこに一生涯留まることを許されない.
多くの利用され、読まれることが必要だ。
そこには、新たな秩序の乱れが発生する。
それを、ひたすら、静寂な場所へ、黙々と戻し続けるのだ.
何十万、何百万回の利用のために。

図書を、カードやコンピュータに無理やり押し込めるには、新たな呪文が必要だ。
魔法のような次元変換がさせる必要がある。
その魔法の文書は、目録規則である。
この魔法の文書に従って,わがままな図書に、秩序を与えて、カードやコンピュータにどじ込めるのある。

図書館の戦いは、時間への戦いでもある。
刻々と変化していく知識の体系というべき分類表の変化への対応である。
一度、決定された分類表は、図書館の枠組みであり、そう簡単には、変更することはできない。

戦いの戦士たち。
人間の知識の飽くなき追求と生産の前に、無限の戦いを挑む人たち。
持ちうる武器は、目録規則、分類表、そして、件名表目標

コンピュータという単純な召使いを引き連れて。
日本語という、得体の知れない言語の前に、途方にくれながら、
外字のあらわす、〓字をみながら、本来の意味を眺めながら
古代の人の書いた書籍を手にしながら
現代の人の書いた図書をめくりながら
コンピュータの世界にデータを押し込めるのである。

              (12/20/2002 ハリーポッターの力が必要だ。)

(20240220)噴煙を上げる諏訪之瀬島の御岳(資料写真)(南日本新聞社)

これはすごい。これぞ、龍の出現だあ。 元記事は、こちら。 諏訪之瀬島の御岳で爆発、大きな噴石が400m飛ぶ 2/20(火) 8:30 配信 、 https://news.yahoo.co.jp/articles/b87dabc1c98aaa17e7b74a130e095b4714...