2013年12月3日火曜日

言葉 この未知なるもの(11/19/2004)

言葉 この未知なるもの(11/19/2004)

言葉によって、世界を開く。
そう、ペンは、剣よりも強いという言葉もあります。

最近、いくつか、文章を書いていて、これで、出来たといって
人にみてもらうと、間違いだらけ。
このホームページも、誤字、脱字、テニオハが変な文章が山ほどあって、
読んで下さる方に、ご迷惑をおかけしています。

そして、私の言語能力はおかしいのではないかと思う。
いったい、言語能力とはなんなのであろう。

私が今、文章を書いている、このこと。
このことは、私の内にあったことを書いている。
しかし、それは、言葉としてあったことなのであろうか?

この言葉の実在を支えているのは、私の内なる世界しかないはずだが、
それは、ここに書かれた言葉と、どのように関連するのであろうか。

最初に、今書いている文章を書き始めようと思ったきっかけは、自分の文章に
あまりにも誤字、脱字、誤記、テニオハの異常の多いことなのだ。

書かれた文章が、非常におかしいということは、内なる世界もおかしいにちがいない。

私の思考回路は正しいのだろうか。
私は、何をもって、言葉をかいているのだろうか。

考えてみよう。
私の内にもともとあった言葉はない。
すべての言葉は、外から入ってきた。
日本に生まれたので、日本語を
もし、イギリスに生まれたのなら、英語を

その外から入ってきた言葉を、内なる世界にとりこんで、コミュニケーションを行うようになる。
このコミュニケーションを司っている 言語エンジン に、なにか秘密があるのでろうか。
コミュニケーションというには、非常に複雑な行為だ。
まず、聞かなければならないし、それを、分析し、理解しなけれならない。
そして、応答しなければならない。
それを、瞬時におこなわなければならない。

たいへんなことを人は自由にやっている。
人類から、言葉を取り去ると、いったい、なにが残るだろう。
その残り物は、いったい、なんなのだろうか?

しかし、ここまで書いて、三重苦のヘレンケラーが、言葉のない世界から、言葉のある世界へ
飛び移る瞬間を記録に留めている。
サリバン先生が、井戸の水を手にかけながら、“水”という言葉があることを必死に伝え
それを理解した瞬間の出来事であった。
それは、ヘレンケラーの人生を決定的に変えた瞬間であった。

言葉とは、そのようなもの。
物理的なものではない、なにか、不思議なもの。
そう、決して、物理学では、捕まえられないもの。




                  (11/19/.2004  自ら書いた原稿の修正の多さに唖然としながら。)

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