2013年12月2日月曜日

黒澤公人 現代社会は、キリスト教、イスラム教、仏教などの宗教にどのように対応すべきか? 人生において、最初に何で出会うのかが、重要なのかもしれない。 日本において、義務教育が徹底して行われ、科学的思考、論理的思考を 訓練することに成功した。 そのことは、地域の文化、伝統、宗教を切り離すことに成功した。 その成果(日本の基本的知識としての小学校、中学校教育の知識)は そのことをベースしたクイズ番組の繁栄にも現れている。 この義務教育が現代日本のベースを作りだしたといっても過言ではないのかもしれない。 しかし、世界は、教育の力よりも、聖書、コーラン、仏典の中にあることばが優先し 科学と教育と憲法や憲章と相容れない部分に折り合いをつけるすべがない。 その頑なさは、どうしようもない。 どうしたらいいのだろうか? イエスや仏陀やムハンマドが同時同地域に存在したら、罵りあうのだろうか? いったい、世界は宗教にどのように対応するのだろうか。 子供たちの教育が確かに世界を変える力だが、だれが、それを構想し、 実行できるのだろうか? ICUの一般入試問題を入学式に、新入生に差し上げよう。 ICUの入試の多角化がすすみ、一般入試の合格者の定員は、250名に なり、新入生の半数にもみたなくなってしまった。 同窓会会報では、ICUの一般入試の紹介がされていたが、新入生にとっても 半数以上の人になじみがなく、そして、ほどんど半永久的にその試験問題を みることもない。 せっかくだから、入学式に配ってみたらどうだろうか。 ICUの一般入試問題は、非常に難しい。すこし、なにか知っている程度では、 ほとんど回答不能だ。文章をよくよみ、しっかり、考えてみないと答えがでない。 簡単では、合否の判定がつけられない。 でも、かなりの難易度が高い。 テスト抜きで読むには、とても面白いが、回答してみろといわれたら、とても歯が立たない。 新入生も、大学の新生活で覚えなければならないことだらけなので、 いまさら、試験問題をもらっても邪魔なだけだと思うけれど。 ICUという共同体のメンバーの証しとして、一通りは読んでみるのもいいかもしれない。 この難易度の高い試験に挑戦しなければならないのは、それだけでも、たいへんだ。 よく、こんなにもたくさんの受験者がいるものだ。それだけでも、驚異的なのかもしれない。 でも、入学式は荷物がいっぱいなので、入学式に配るのはやめましょう。 地球憲法を作ろう。 明治には、日本国憲法をめぐって、たくさんの憲法が生まれだした。 その一つが、東経大学に保管されている五日市憲法と呼ばれるものだ。 当時、日本中が日本国憲法つくりに奔走した。 不思議な国だね。 そこで、みんなで地球憲法を作成しよう。 宗教も、科学も、国家や民族を乗り越える 普遍的な憲法を考える。 しかし、そうすればいいんだろうか? 全国の高校で、憲法クラブというのをつくって、全国大会を主催すると とても、よい純粋な地球憲法ができるかもしれない。 人間の不思議な心理 自分を貶すことに耐えるとができても、家族や部族、国家、神、宗教を貶されたり、 侮辱されたりすることに耐えることができない。 自分の死を覚悟することは可能であっても、家族や友人の命が死に晒された時 覚悟することは難しい。多くの場合は、うろたえてしまう。 神や宗教、国家が自分の範疇を越えて、存在し、個人の意思を関係なく支配する。 個人の意思に関係なくではなく、誕生という無力に内にすべてを刷り込んでしまう。 アヒルが最初に見たものを親だと思うように。 日本では、義務教育が徹底しているので、科学的世界感が、かなり優先して刷り込まれ 仏教や地域の文化、民俗、風習を断ち切ることに成功した。 (成功しすぎたかもしれない。) しかし、そのような例は、世界的にもあまり多くないのかもしれない。 書かれてしまった言葉を巡って 人類を自由にする方法が書かれた本が、人類の自由を限定し、争いを 巻き起こす種になっている。 そして、それを、だれもどうすることもできない。 神の言葉が記されているとして、科学も、他の宗教も、地球の歴史さえも 否定し、暴走にも似た力を発揮している。 ただの紙にかかれた言葉にすぎないのに、なんと、強力なパワーが秘められて いるのか。 しかし、現代国家も自らが定めた憲法によって、治められている。 それも、紙にかかれた言葉と、言ってもよいが、それが国家のあり方を決めている。 その憲法を起草した当時の人々が死んだ今も、その憲法には力がある。 この現象を、どのように説明すればいいのだろうか? そうそう、日本国憲法も聖書に近い力を与えてしまい、だれも、どうすることも できないようにみえる。 地球憲法を作るのがよいだろうか。 しかし、どのようにつくればよいのだろう。 みんなで地球憲法をつくろう。 新しいキリスト教の創造を! 日本人にとって、キリスト教は知的で、ハイソサエティーで、西洋科学の 入り口の香りとともあった。 しかし、9.11テロやイスラムとの対立など、そのイメージも崩れてしまったようだ。 しかし、今、キリスト教を進化させる時が来た。 イスラムと仏教とキリスト教、そして、多くの宗教を巻き込み 科学も哲学も巻き込んだ何かの創造が必要だ。 しかし、キリスト教が絶対譲れないことも、イスラム教が絶対譲れないことも、仏教が絶対譲れないことも、なんと、紙に書かれた言葉だけなのだ。 しかし、それを誰もどうすることもできないのだ。 かつて書かれたそれは、検証もできないのだ。 書かれた言葉 それが、今、大きな障害になっている。 たぶん、キリスト教も、イスラム教も、仏教もそれを検証し、 譲り合う力はない。 話は変わってしまうが、人生において不思議なことに出会うことは よくあることだ。多くの人生に訪れる「不思議」なこと。 この「不思議」に思うことは、実は、「内なる自分」の中に「不思議」を 感じる「種」のようなものがあって、一生涯その不思議を追求して 学者や研究者になってしまう人もいるくらいなのだ。 人類が感じる「不思議」「理想」「平和」「愛」などのたくさんの言葉に出会って感じる「種」のようなものが、キリスト教やイスラム教が仏教を乗り越える 「なにか」になるのかもしれない。 イスラム教の国に生まれなければ、あれほど、他の宗教と敵対しなかったかもしれないし、キリスト教の国に生まれなければ、他の宗教や科学、進化論、地球物 理を否定しざるを得ないということはなかったかもしれない。 日本は、学校教育のあまりの徹底ぶりに、仏教もキリスト教も入り込む余地もなく、科学的な世界観を刷り込まれている。 そのため、死はすべての終わりを意味し、魂も心も感じたり、探し出したりすることが難しくなっている。 新しいキリスト教を構築することはできないのだろうか? たぶん、できないのだろう。 しかし、新しいキリスト教の構築する時機にきている。 たぶん、それができるのは、日本だけだろう。 新しい宗教が必要な時が来ているが、人類には、まだ、それを受入れる準備はないのだろうか? しかし、イエスの時代もローマ圧制下のイスラエルだったし、仏教もバラモン教の支配の時に 生まれたことを考えれば、今、新しい宗教が生まれだしてもよいかもしれないが、 地上のすべての事柄から、自由に発想できる何かが必要だ。 ICUの不思議集   キャンパス内で、国際基督教大学という文字を探せ    (案内地図を除くと、正門しかないない)    wiki でも正門のプレートで紹介    国際基督教大学を言う文字は、本館でも、図書館でも見ることが出来ないので、    国際基督教大学を視覚的に表現する場合、ほとんど出来ない。    大看板をつくろう。   ICUのクリスマス     周りの方が華やかでした。   富士山の見えるところを探せ   たぶん、学内から見えるところはない。   新ダイアログハウスに期待したい。   富士山の状況を常時映す WebTVを設置してほしいなぁ。   本日の富士山をホームページで公開しよう。   ちなみに学長宅を望岳荘というが、現在は樹が生い茂ってみえないらしい。   ICUの看板は。    武蔵境駅にひとつ(逆さ地球儀)    正門北側の黒い鉄柵のスペースになにか、大々的な看板や、    新ダイヤログハウスの写真とか、飾ることはできないかなぁ。    ルーテルだって、道路際に看板をだしているぞ。    ルーテルの敷地じゃないので、きっと、看板料を払っているに違いない。    ICUは、たくさんメイン道路に接しているので立て放題だが、残念    (東八道路、天文台道路など。)   ICUのマスコット(ゆるきゃら)    なにがいいかな。猫、カラス、狸???  雪の風景    ICUを紹介するのに、雪に埋もれた写真を使わないで。    まさか、誤解する人がいるとは思えないが、冬の間、雪に埋もれていると    誤解する人だっているかもしれない。    使うんだったら、注釈をいっぱいつけて使ってください。 ICU祭   大学の文化祭は、大学を知ってもらう大きなチャンス。   毎年署名からはじまるんじゃ、なかなか盛り上がらないのでは。   ICU祭の行う方法をきちんと定めた方がいいんじゃないか ICUの一般入試試験の合格定員は、   一般入試の合格者は少数派なんですよね。   ICUの不思議写真集は、こち ら。 湯浅記念館裏庭で石に顔を押し当てて、 深い祈りをささげる 聖パーシー どこかのイコンでできそうな雰囲気がただよいますね。 宮本政於氏の分析によれば、英語を出来ないように願っているのは、官僚たちのようだ。 官僚は国民に英会話ができないことを願っている? 官僚の官僚による官僚のための日本!? (講談社+α文庫)4 宮本 政於 講談社 p.252より 日本語 この奇妙な言語 漢音、呉音、唐音 ポルトガル音、ドイツ語音、英音、フランス音、イタリア音、韓国音、中国音 カタカナ音 漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字にアルファベット 振り仮名 たくさんの方言 多用な仮名遣い(旧かな使い、新かな使い) 多用な漢字(旧漢字、新漢字) 情報機器の発展のため、言語感覚が拡大し、漢字の使用を 制限しようという企ては、なかなか成功することもなく 漢字は、複雑化の方向になってきている。 結局のところ、ごちゃ混ぜ言語 基督教の再構築を 日本のキリスト教の1つの源流にクラーク博士がいる。 札幌にいたのは8ヶ月と短期間であったが、クラーク博士が 日本のキリスト教に与えた影響は計り知れない。 キリスト教が大学から広がったことは、日本におけるキリスト教の イメージに、知的、科学的、教養など、多くの好印象を与えた。 第2次世界大戦に、日本は、キリスト教国のアメリカの圧倒的 強さに敗戦し、アメリカの指導の下、新生日本の構築を開始した。 湾岸戦争、9.11テロ、アフガン侵攻、イラク戦争と突き進む中、 アメリカのキリスト教のイメージが大きく崩れてきたのではないか? 進化論や科学的考えに真っ向から対立するキリスト教や、堕胎を許さない キリスト教など、狂信的なキリスト教の存在も見え隠れする。 理科や科学、歴史を小さい内に学ぶ日本人には理解することは困難なほど 進化論や科学を否定してしまうキリスト教を、たぶん、日本人が理解しえないだ ろう。 宗教が、世界の対立を生む出してきたことを考えると、聖書やコーラン、仏典に 世界観を たよろうとする限り、その対立を乗り越えることは難しいかもしれない。 蛇が大嫌いな人に、突然、好きになれといっても、なれないように。 納豆が大嫌いな人に、納豆を食べるように勧めても食べられないように。 もしかすると、キリスト教を「愛と寛容」の宗教と思っているのは、平和ボケした 日本人だけの錯覚なのだろうか? もしかしたら、新しい宗教を生み出せるとしたら、日本だけなのかもしれない。 この無邪気な誤解が「小公子のセドリック」のように、世界を変えるかもしれない。 この無邪気な誤解が消えうせないうちに。 -------------- この日本人が何気なく抱いているキリスト教観的キリスト教は、日本の他に あるのだろうか?日本人のキリスト教観が何気なく抱いていたアメリカのキリスト教 は、だんだん乖離して、日本人は、キリスト教のイメージを持てなくなっているのでは ないか?  もしかすると、江戸時代の隠れキリスタンのような独自の進化を遂げてしまい 日本人のキリスト教観のみが、世界から孤立した状態で残っているのではないか? なぜなら、日本人のキリスト教観にあう、キリスト教がアメリカにないとすれば、 もはや、どこにもないのかもしれない。 日本語の再構築を    日本語の再構築が必要な時期にきているのかもしれない。  戦後の混乱期にGHQの意向や、ローマ字普及、漢字の廃止などを 睨んだ国語教育がなされてきたが、多くの混乱をもたらしてしまった。 しかし、それでも、日本語の美しさを失わないところもすごいけれど、 新しい日本語の再構築が必要な時期に来ているのかもしれない。 新しい日本語は、旧来の日本語への回帰に近いかもしれない。 しかし、日本語も江戸時代と明治時代でも大きく変わったし、明治時代 共通する日本語という概念もなくたくさんの日本語が混在していた。 たから、どれが、正しい正当な日本語というのも難しいし、戦前の日本語が 正当な日本語として位置づけられるのかというと、きっといろんな意見が あるに違いない。 現在もなお、漢字を廃止したいとおもっている人もいるだろうし、当用漢字 常用漢字を維持すべきという意見も多いだろう。 すでにワープロソフトの辞書では、地面(じめん)だし、世界中(せかいじゅう) なのだから、もう、変更する余地もないのかもしれない。 しかし、新たな地平のために、新たな日本語が必要だろう。 小学校の国語、中学の国語、高校の国語を今一度、再構築すべき時がきている。 さぁ、それには、どうしたらいいでしょう。 すでに、現代社会は、新漢字、現代仮名遣いの中に生きているので、 医者が自分の手術をするように、難しいかもしれない。 しかし、時代の終止符を打つのは、その時代の中心の人たちである。 江戸時代の終わりの幕を引いたのは、武士であり、太平洋戦争の幕を引くもの 軍人、政治家である。 日本語を変革するのには、現代人でなければならない。 メジャーと職業の関係   学校と社会をどのように結びつけるのかを再定義する必要があるのかもしれません。 大学を目指す高校生に、進路の決定を高校生段階でしなくても、大学に入ってから決めても 遅くはないという提案をしていますが、メジャーと社会、職業、就職という問題をどのように結びつけるのかが、みえなくなっているかもしれません。 学問と就職という問題を直ぐに結びつけるのは、泥臭い感じもしますが、32ものメジャーを 学ぶものが、どのような人生の武器(人生を切り開く武器)を持つことになるのかをなんらかのかたちで見せる必要があるのかもしれません。  職業学校でないのですが、社会人として、生きていく、生活していく上で必要なものはなにか明示する必要があるのかもしれません。豊な音楽的感性や美術に 関する感性といったものや法律や経済を理解する力も必要だと思います。 日本語の混乱  当用漢字、常用漢字の導入、漢字廃止論、ローマ字化論、かな文字論など 新漢字の作成、現代仮名遣い、日本語の音の現象などに伴って、 代用漢字(風光明媚、風光明美など) 音の減少(じ、ぢ 地面(じめん)、世界中(せかいじゅう))       (ぢめん、せかいぢゅうは、なぜか、使用しない) 結局、文部省やマスコミ(新聞など)も、戦後の新(?)日本語の 利用を推進してきた。 多くの混乱、不統一が生まれてきた。 現代、日本語の混乱、乱れは、若者の産物だけではないようです。 日本語は、乱気流の中にいます。結局、ダッチロールしながら運用している という感じですね。 小学校でローマ字を教えるのは、止めたほうがいいように思いますね。 むしろ、地名、人名、国名を英語(もしくは、源綴り)で教えた方がよいように 思います。 珍説 日本人のための日本語教育も大混乱のようだ。 2009年のサマプロが終了した。 今年の学生だけ特別ということもないのだろうが、日本語がみんな上手。 どうも、日本語の習得は簡単らしい。 タモリの笑っていいともに、来日して1、2年の外国人学生が登場するが みんな日本語がペラペラ。 日本語クイズで、パックンが強みを見せたりする。 お相撲さんは、日本語を覚えるのは早いというので、独特の日本語 訓練法があるのではないかとも言われる場合もある。 どうも、日本人は日本語とても難しいと誤解しているようだ。 学 校では教えてくれない日本語の秘密 土屋 秀宇 芸文社 を、よむと、小学校での漢字教育も、どうも変である。 1年生で覚える漢字、2年生で覚える漢字、バラバラに覚えるので 日常見かける 「横断歩道」も、5年生になるまで、読めない。 1年生に、漢字数十字の世界に閉じ込めることができるのか? 戦後の新漢字や仮名遣いも規則性に乏しく、ルール無視。 古典には、いろいろ文法があるのに、現代日本語は、文法、活用が 姿を消す。 ローマ字教育も割り込んできて、日本語は、大混乱の内に、小学校 中学校と過ごす。 日本人の日本語形成において、日本語が確立することはないのかもしれない。 小学1年生のみる日本語   おうだんほどう 小学2年生のみる日本語   おうだん歩道 小学3年生のみる日本語   横だん歩道 小学4年生のみる日本語   横だん歩道 小学5年生のみる日本語   横断歩道 小学6年生のみる日本語 中学1年生のみる日本語 中学2年生のみる日本語 中学3年生のみる日本語 9年間にわたり、日本語を少しづつ教えて、いったい、なにか日本語なのか うんざりしているのかも。 その先には、JIS第2、第3 というべき数千の漢字が残り、異体字があり、 旧漢字、旧仮名がある。 いったい、どこまで、習うべきなのか? 日本語をどこまで、習うべきなのか。 あまりに日本語をあまりにも狭い範囲に閉じ込めようとして失敗してしまったのではないか? しかも、たくさんの言葉が日常飛び交いながら、旧漢字、旧仮名の世界は、学校教育から タブーの世界にしてしまった。 そうそう、漢字にあるたくさんのヨミも、ならう段階があるので、横を「おう」と読むかも難しいかも。 日本語のたくさんの同音が存在するので、どの漢字を先にならうかで、混乱も発生する。 日本語教育は、もしかすると非常に変なのかもしれない。 英語教育は、ましての世界かも。 風光明媚 風光明美  どちらが正しいと思います? 常用漢字、当用漢字に「明媚」の媚がないため、新聞社やマスコミが勝手につかい出したようです。 経営破たん、経営破綻 も、当用漢字になたいめ、ひらがな表記をします。 日本語が、時代の中で翻弄され、本来の姿をうしなって、ごちゃ、ごちゃににしてきたのは、 若者ではないようです。 たくさんの国語学者や言語学者、政治家が、日本語をグチャクチャにしてしまったようです。 もしかすると、外国人のための日本語教育が、日本語教育としていちばん、まともなのかもしれません。 珍説 日本の英語教育論

珍説 日本の英語教育論

GHQが6年半もの間、占領していたのに、英語がこれほど普及していない日本は、
どこか変だと思っていた。戦争中はいざ知らず、明治、大正は英語がかなり普及して
はずなのだが。

テレビで、白州次郎のドラマを見ていて、閃いた。
英語が出来ない日本人がこれほどまでに従順なのに、英語ができる白州次郎は
あれほど、反抗的なのか。
もし、日本人が全員は英語を自由に使えるようになったら、みんな白州次郎のように
なってしまうのではないか。

そこで、GHQの誰かが、密かな決意をしたのではないか。
日本人に英語を普及させない方法を、密かに考えて普及させた。
(日本国憲法を変更させないためのロジックと同じように、非常に
 巧妙な方法で。)

ひとつには、言葉の音素を50音であることを徹底して教えること。
日本語の言語(戦後かなり混乱しているが。)の特性をたたきこみ、他の言語の
入り込む余地をなくすこと。
ひらがな教育やローマ字教育を行い、他の言語(英語の要素を混乱させること)

常用漢字など登場によって、だれでも、日本語を理解できるようにする。
それは、難しい漢字を排除するという同じ理論で、英語や外国語を排除する。

新聞の縦書きによって、英語の源綴りの排除をおこない、徹底したカタカナ語の
導入をした、言語鎖国というべき環境を形成した。

テレビラジオでは、徹底した吹き替えを行い、英語を音声して一言も漏らさない徹底した
放送をした。
(最近は、かなり、英語の音声が流れるようになった。笑い話のようだが、テレビに
 音声吹き替えを徹底していたため、アメリカ人も日本語を話していると誤解していた
 人も存在した。)

単一国家で、制度等が安定していたため、完璧な徹底ぶりで、日本人から英語を隔離することに成功してきた。

しかしながら、最近は、その様相もかなり変化してきた。

日本語教育を行う上で、アイウエオ以外にたくさん音があることを最初に認識させる。
文字と音が一致していないことを明確にすること。
それは、ローマ字も言える。

現在、文章を音で書く時代にもなり、日本語の言語感覚も大きく変化している。
言文一致ならず、音文一致になろうとしている。
しかし、英語など多様な音の流入で、カタカナ語は大混乱しているし、
源綴りへの回帰も必要だろう。

日本語の呪縛を誰が考えたのだろうか。GHQの呪縛はないのだろうか。

白州次郎のドラマを見ながら考えた。

新しい言語教育が必要かもね。

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