2013年12月2日月曜日

アーツ と サイエンスの向うに

アーツ と サイエンスの向うに

人間 自然と人工の間を突き進む。
奈良時代の人は、途方もない奈良の大仏をつくり
秦の始皇帝は、万里の長城を築いた。
エジプトの人は、今となっては、誰も真似のできないピラミットを造った。

21世紀が幕をあけ、2000年の月日が、文明を築き、コンピュータを生み出し、
途方もない量の電気を消費し、石油を消費し、
経済は肥大化し、
利益をもとめて、のたうちまくり、その尾は、あらゆるものを破壊していく。
もはや、誰にもコントロール術も無く、
儲けという餌であやつり
時間を担保に、借金をする。
いつかしか、そのが成り立たないと知りながら、
破綻の日が来るのを待つ。

しかし、経済もまた、幻想である。
文明も幻想である。

電気のない時代に生きた江戸時代の人は、不幸だっただろうか?
そんなことはない。
楽しく、文化的であった。

科学もまた、幻想である。

われらの前を暴れまわる 竜(経済や政治、覇権、国力)や
われらの内にのた打ち回る 損得の世界
われらを攻め立てる 失敗感、挫折感
われらの足元をすっかり掬い取る 期待感

クリントン女史の前にあるのはなんだろうか?
オバマ氏の前にあるのは、なんどうか?

個人の力を超えた、集団の力
それを、だれが、制御できるのだろうか。

否、2000年前のかの人は、時代を捻じ曲げたではないか。
   そこに確かな時代の変節点が存在する。
否、文字も読めないフランスの少女もまた、時代を捻じ曲げた。
   フランスという国の形が存在しない中から、フランスの国を浮かび上がらせた。
否、インドのガンジーは、無一物で、インドの国を形作った。

一人の人間の途方もない力も確かに存在する。



アーツ と サイエンス
人工 と 自然の間を
幻想と実態が、変わり行く。

なぜ、人は年をとる 老いてしまうのか?
しかし、老いもまた、幻想である。

ならば、何か実態なのか?

なぜ、人は 個があり、すべて、ちがうのか?
その 違い は、 実態なのか?

人は、他の人は侵入できない 「それ」 を持っているのか

「それ」に、あらたな名前が必要な時が来たのかもしれない。

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