2013年12月2日月曜日

基督教の再構築を

基督教の再構築を

日本のキリスト教の1つの源流にクラーク博士がいる。
札幌にいたのは8ヶ月と短期間であったが、クラーク博士が
日本のキリスト教に与えた影響は計り知れない。
キリスト教が大学から広がったことは、日本におけるキリスト教の
イメージに、知的、科学的、教養など、多くの好印象を与えた。
第2次世界大戦に、日本は、キリスト教国のアメリカの圧倒的
強さに敗戦し、アメリカの指導の下、新生日本の構築を開始した。

湾岸戦争、9.11テロ、アフガン侵攻、イラク戦争と突き進む中、
アメリカのキリスト教のイメージが大きく崩れてきたのではないか?
進化論や科学的考えに真っ向から対立するキリスト教や、堕胎を許さない
キリスト教など、狂信的なキリスト教の存在も見え隠れする。

理科や科学、歴史を小さい内に学ぶ日本人には理解することは困難なほど
進化論や科学を否定してしまうキリスト教を、たぶん、日本人が理解しえないだ
ろう。

宗教が、世界の対立を生む出してきたことを考えると、聖書やコーラン、仏典に
世界観を
たよろうとする限り、その対立を乗り越えることは難しいかもしれない。

蛇が大嫌いな人に、突然、好きになれといっても、なれないように。
納豆が大嫌いな人に、納豆を食べるように勧めても食べられないように。

もしかすると、キリスト教を「愛と寛容」の宗教と思っているのは、平和ボケした
日本人だけの錯覚なのだろうか?

もしかしたら、新しい宗教を生み出せるとしたら、日本だけなのかもしれない。
この無邪気な誤解が「小公子のセドリック」のように、世界を変えるかもしれない。

この無邪気な誤解が消えうせないうちに。

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この日本人が何気なく抱いているキリスト教観的キリスト教は、日本の他に
あるのだろうか?日本人のキリスト教観が何気なく抱いていたアメリカのキリスト教
は、だんだん乖離して、日本人は、キリスト教のイメージを持てなくなっているのでは
ないか?
 もしかすると、江戸時代の隠れキリスタンのような独自の進化を遂げてしまい
日本人のキリスト教観のみが、世界から孤立した状態で残っているのではないか?

なぜなら、日本人のキリスト教観にあう、キリスト教がアメリカにないとすれば、
もはや、どこにもないのかもしれない。