2013年12月2日月曜日

金の卵たちの詩

金の卵たちの詩

金の卵たち それは、ずいぶん昔のことだ。
コンピュータもファミコンもなく、中学を卒業すると同時に多くの人が働いた。
時代が、人間の労力を必要としていた。
まだまだ、機械は未熟で、人間の集中力が必要とされた。

キューポラのある街で、吉永小百合の演じる主人公が働いた工場は、トランジスタ工場であった。

たくさんの労働力が必要とされ、多くの人たちが、日本に無限の富を蓄えていった。
オリンピックや万博を行い、所得は、倍増し、電化製品が生み出され、自動車が生み出され
多くのものが生みだれていった。

物と作ること、富を作ることが許されていた時代でもあった。

そのわずか何年か前は、働くことも許されず、帰ることも許されず、
硫黄島で、サイパンで、満州で、太平洋で、たくさんの人が死んでいった。
銃を片手で
食べるものもなく、むなしく死んでいった。

現在は、何が許されているのだろうか?
何を必要とされているのだろうか?

工場には、機械があふれ、
日本人の労働賃金は高いと言われ
働き場所も見当たらず
小銭を握り締め、ネットカフェで一夜を過ごす。
もう、何ヶ月も、何年も過ごす。

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