2013年12月2日月曜日

新入生考 (地獄の特訓大学?)

新入生考 (地獄の特訓大学?)

大学からメールマガジンが発行され、受験生に貴重な情報が流れている。
もしすると、既に、合格、不合格になった人にも、メールマガジンは流れている
のであろうか?
そのメールマガジンに、大学生活についてインタビューしている記事が
掲載されている。(subsiteにも掲載されている。)

一般学生の通常の感想は、どうも、いままでの中で一番勉強したという
感想である。ICUの1年生になって、それまでの人生のなかで一番勉強したと いう
感想である。それは、なにかを学んだとか、新しいことを教わったとか、そうゆう
こととは、すこし違って、能動的に勉強し、レポートを作成し提出したということだと
思われる。
このことが、ICUの重要なファクターであろう。
そこで、ICUは次のことを考えるべきだろう。

一つの案として
推薦、AOの廃止。
センター入試の不参加
社会人入試の廃止
肢体不自由者の入学禁止

なぜ、そんな乱暴な提案をするのだろうか?
ICUは、それほど、ハードな大学だと思うし、そうすべきなんだろうと思う。
リベラルアーツは、軍隊で例えれば、士官学校なんだと思う。
地獄の特訓コースの大学なのである。
なぜなら、受験勉強してきた彼らにとっても、大学の授業がそれ以上にハード
なのだから、地獄の特訓コースというべきものあろう。

たとえば、最終目標をこのように掲げる。
1年終了時に 英語でレポート何枚以上作成する能力の確保
2年終了時に 。。。。
3年終了時に 。。。。
4年終了に 卒論を英語で作成する。

それを、受験前に、ICUの学生の義務として明確する。
ICUの受験を一本化して、ICU受験開始前に20分間に、上記の要件を読ませて
ICUを理解させておく。
それから、ICUの入学試験をする。

安易な気持ちでICUを受験して、苦しい4年間を過ごしたり、退学、休学させたり
することは、本人のためにならないし、大学のためにならない。
もし、大学の力が落ちてきているとしたら、それは、あまりに多様的なり、
地獄の特訓を行うことができなくなってきている。
大学には、そのための選抜制度であったはずだ。

大学が掲げた 新しい日本、新しい未来を生み出すために、妥協をすべきではない。
本当の選抜をしようではないか。
少なくとも、ICUの目標に賛同する学生に道を拓こう。
なんらかの事情で、試験に合格できる能力がなくても、もし、ICUの目標を目差す気が
あれば、それこそ、入学させてもよいかもしれない。

入学前に優しい顔をみせてはいけない。
地獄の特訓であることを、事前に教えなければならない。

結局、メールマガジンで、感想を書いてくれた学生は、それを楽しめた。
なぜなら、そのことをある程度理解していたからだとおもう。
楽しい大学をエンジョイしたい子や、のんびりしたい子をICUに入れてはならない。
その覚悟をさせて、ICUに入学させて、ICUで思い切り勉強させたらいい。

メールマガジンに感想を載せた学生は、まだいい。
勉強に苦しんでいる子もいるのではないか。
ある面、図書館に来る子はいい。
勉強している子はいい。
そうではなくて、推薦や試験で受かって大学に来た子で、こんなはずではなかったといっている子はどうする。
この世界は、制限のある世界だから、すべての学生が、第一志望の大学に行けるわけではない。
希望に沿わないことも多いのは確かだ。
しかし、あまりにも、違いすぎて、適応できない場合もあるだろう。
それは、事前に、混乱が起きないようにすべきだろう。
そこに選別するという権利をもっているのだから、なんらかの対策が必要だろう。
適正や、面接だって、選別するのに必要は条件だろう。


しかし、こんな声も聞こえそうだ。
ICUの地獄の特訓も、アメリカの大学に比べれば、大甘だとしか言えないという
人もいるだろう。

しかし、地獄の特訓なのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。