新しい世界を産み出す
平和な社会は、どのように構築されるのであろう。
アポロ宇宙船が月に到着するためには、無数の部品が必要だった。
そして、それを徹底的にチェックして、全体の信頼性を向上させた。
国家や社会の信頼性は、尽きるところ、個人個人の信頼性の向上なのだ。
しかし、この個人の信頼性の向上なるものがあるだろうか。
試験、テストをしてみるのがよいのだろうか。
選挙をしてみるのが、よいのだろうが。
アポロ計画にあたり、無数の部品のチェックをされたことを考えると、選抜という問題では済まないのかもしれない。
石つくりの大聖堂は、一つ一つの石を丁寧に磨き上げて、組み立てている。
建設の数百年はかかるだろうといわれているガウディのサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪聖堂)に用いられる石に
中途半端なものが用いられたりするだろうか。
数千前に建設された、単純な石の塊のようにみえるピラミットも、複雑な内部をしていることが知られている。
数千年の風雨、地震にも耐えて、今尚存在していることに、いい加減な石を、適当に置いて、作られたものではないのは確かだ。
多くの成功の影には、緻密な計算や努力の結晶が溢れている。
ものを作るとは、本来そうなので、ある。
しかし、人間の社会はどうだろう。
人生はどうだろう。
だれも、緻密に考えたりしない。
好き勝手に、人は生まれ、死んでいく。
一人の人間が、王になり、世界を征服しても、またたく間に、国は乱れた。
民主主義という考えもまた、繁栄を築きながらも、多くの混乱を内包する。
あたかも、世界は平和を構築できないかのようである。
しかし、石つくりの大聖堂の秩序ある社会はできないのだろうか。
どのような問題が来ても、共に考え、力を合わせて乗り切る社会はできないのだろうか。
そこには、聖堂の重さを支える覚悟が必要かもしれない。
そこには、人間の自由はあるのか?
そこには、怠けこころや、憎しみはないのか?
しかし、人はユートピアを夢見ている。
確かに、それは、構築されなければならない。人類の悲願である。
それこそが、神の国である。
それは、自らが、社会の重さを担ぐ、覚悟の上に支えられるのかもしれない。
怠け心を抑え、憎しみや嫉妬に、心乱すことなく
他に愛を尽くし、
他の悲しみを共に悲しみ
他の喜びを共に歓び
そこに、新しい社会が支えられる。
そのためには、大聖堂に相応しい石にならなければならない。
そのためには、大ピラミットに相応しい石にならなければならない。
そのためには、アポロ計画の基準を満たす、部品でなければならない。
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