2014年1月29日水曜日

2002.4-2003.4

黒澤公人の世界から   その4

(その1 1998.4 - 1999.12)
(その2 1999.12 - 2001.2 )
(その3 2001.2 -2002.4 )
(その4 2002.4 - 2003.4)


目次
平和の祈り
私の人生の目的
神はおられる
神の国は近づけり
自らを育てる

心に力を与えよう。
愛に生きる
幸せを感じる心、幸せを見つける心
21世紀の大爆発に向けて
21世紀への進化をめざして
魂の記憶を、求めて
奇跡の詩人 日木流奈さんへ


平和の祈り

一人の人間に何ができよう。
そう思うとき、内なる声が叫びを上げる。
すべてのことは、一人のうちより生まれ出でる。
世界の宗教となった仏教も、キリスト教も一人の人間から始まった。
インドの独立もたった一人の運動から始まった。
現代文明を支える電気も、コンピュータも一人一人の情熱から生み出された。

すべてのものは、一人の人間の内より生まれる。
人生のすべては、一瞬一瞬の自由意志の判断の連続より生まれる。

この大学に平和を祈る鐘の音が響くようになった。
平和の祈りを捧げよう。

平和とは、利己的な怒りの内より、生まれ得ない。
平和とは、利害の中から生まれる事はない。
平和とは、思想の中から生まれるものではない。

平和とは、全てを捨てて、全てを捨てつづける、
そのむこうに生まれだすものである。

いままでのいきさつを捨て去ることができるとき
いままでの富と栄華を捨て去るとき
時には、その生命さえも捨てることを求められることもある。

19歳の少女がある国の存続のために、炎の中でその生命を終える
その時にこそ、"平和"が存在した。
砂漠を彷徨いながら、愛に生きることを心に決めてしまった
かの人が、どんな理不尽さに遭いながらも、それ以外の生き方を
しなかったばかりに、丘の上の十字架で死んだその時にこそ
究極的な"平和"は存在した。

人は、すべてのいきさつを捨てなければならない。
そのいきさつを捨てて、なお、人の手に残る平和という
宝を手にしなければならない。
それは、膨大の砂の中から、金を見つけるために、多くの
砂を捨てなければならないのに似ているのかもしれない。
それは、ダイヤを見つけるために、多くの岩を砕かなければ
ならないのに、似ているのかもしれない。

人を殺すことがいけないという、ただ、それだけの理由で平和に
いたることはできない。
相手が悪く、こちらが正しいという理由で、平和に至る事はできない、

平和とは、すべてのこだわりを脱捨てた"むこう"にだけ存在する。
国家、政治、経済、宗教を脱捨てた、その"むこう"に存在する。

それほど、人間の本当の姿は、すばらしいものなのだ。
しかし、多くの国家という着物が、政治という着物が
経済という着物が、宗教という着物が、そのほんとうの
すばらしさを覆い隠す。
多くの伝承は、人間は、神に似ていると伝えている。
地球の存在を支え、生命に生きるエネルギーを与えつづけ、
自由意志という力を人類に授けた、その源に、
人は、似ているという。

"平和"、それは、人類の歴史さえも、脱捨てた"むこう"にこそ
存在する。
そして、"平和"という言葉が、この地上に存在する事実こそ、
"平和"にいたる道である。
人類は、"平和"の存在を確かに認識しており、そこに目指すべきであることを
一人一人の人間の内に、刻み込まれているのである。
それこそ、人が、神に似ている、確かな証拠である。

平和を祈ろう。
暴力の嵐にも吹き飛ばされない、足場を、自らの内に築こう。
平和を祈ろう。
祈りこそ、天と地をつなぎ止める楔である。
平和を祈ろう。
人類は、平和の尊さとそこに至る道を確かに知っているのである。
すべてのいきさつを横において、かの鐘の音に、すべてを委ねるその瞬間に
光が差し込むのかもしれない。その光の差し込んだ先に見えたものが、
平和の姿なのかも知れない。
それは、祈りの内にしか見出すことはできないもの。

平和を祈ろう。
それしか、できないかもしれない。
しかし、それこそが、人間の内に、"平和"を強くし、
平和を具現するエネルギーとビジョンをこの地上に溢れだす、唯一の道である。

そして、伝承は伝えている。
その"エネルギー"と"ビジョン"は、永遠の時を超えて、存在しつつけているのだ、と。


   (by kimito 4/6/2003 バクダットにたくさんの爆弾が落ちている
   というニュースを聞きながら。)



私の人生の目的
私が生まれてきた意味はあるのだろうか。
私の人生の目的はなんだろう。
私のすべきことはなんだろう。
そして、私のできることは、なんだろう。

私のしてきたことはなんだろう。
そして、私のしてこなかったことはなんだろう。
どうして、それができなかったのだろうか。
私がしなかっただけなのか?
それとも、私にはできなかったことなのか?
いったい、どうして、その現実がうまれたのだろう?

この地上に生まれてきた意味が確かにあるはず。
私の生まれて生きたいと願った願いがあるはず。

目的を知らないもの、順風ということはない という。
ただただ、なんの目的も知らずに生きただけなのか?
風に吹かれて生きてみただけなのか?

日常の喧騒に振り回されずに、自らの内に存在する
本当の願い 本当のいのち 本当の私に
たどりつくために。
この時を使いたい。

               (by kimito 2/5/2003)

神はおられる

神はすべての生命の源。

神は喜ばれる。
成長しようとすることを。
ひとつの草の葉にも限りない太陽の光を与えるように。
千年生きる大木にも、太陽の光をあたえるように。
生きることを成長することを望むものに限りなき愛を注ぐ。

神は励まされる。
千の手をもつ観音のように、真をもって、求めるものを、
ことごとく、一つももらさず、手を握り返される。

私たちは、かの本に書かれた放蕩息子のようだ。
「私は自分の力を確かめたい。」
「私は私の思い通りに生きていきたい。」
しかし、神は放蕩息子の行く手をさえぎろうとはしない。
放蕩息子が苦難の道を歩もうとする行く手もひそかに見守り助けてしまう。
なぜなら、自由意志をすべての息子たちに与えているのだから。

だから、人間は少しどこかで、間違ってしまったのかもしれない。
しかし、それはなぜだろう。
なぜ、これほどまでの闇が世界を支配してしまったのだろう。
なぜ、このような現実が、訪れてしまったのだろう。

人は、未だ、”生命”の不思議の真実を知らない。
多くのことが、科学によって分析され、証明、説明がされてきた。
しかし、”生命”の不思議を知ることはできない。
心の不思議を知ることができない。
生命は無限の時を生きるという。
人には、いくつもの過去世と呼ばれる自分の人生の記憶とは
別の人生の記憶が眠っているという。
しかし、多くの場合に、それが明らかになることがない。

自分の心を、自由に管理し、コントロールすることができない。
自分の人生を、思うように生きることができない。
ノーベル賞をとったという経済学者でさえ、経済の荒れ狂う波を乗り越えることは困難だ。
1億2000万の民をもって、国をなしていても、経済の安定さえも、人々が安らかにくらすことも
国を守ることも、決して容易ではない。
同じ言葉をしゃべり、隅々までテレビやラジオも電波が届き、新聞が配られるシステムが整備されている、この国でさえ、自らの進路を定めることができない。

しかし、神はおられる。
生命をささえ、人生をささえ、心を支え、時を支え、
この地球を宇宙の秩序の中に支える。

心の中に湧き上がる、電気でもなく、磁気でもない、未知なる”もの”によって
心の中に無限の可能性が広がっていく。
あまりに広すぎて、その隅々まで探検した人はいない。
あまりに多様すぎて、その全貌を知ることができない。

神はおられる。
真の内に生命を支える。

本当に求めるなら、そこに辿りつくだろう。
本当に求めるなら、そこに至る道を見出すだろう。。
かの本にも書かれている、その時である。
「光あるうちに、光の中を歩め。」
光はどこにあるのだろうか。
光は、ここにある。

無限に広がる、未知なる世界に、人は生きる。
鮮やかな、自然が広がるこの地球。
あまりにも多様な色、色、色。
コンピュータでは何十万色の色を表現できるようになったという。
テレビでは、小さな小さなドットで画面を表せるなったという。
しかし、自然は、もっと、もっと、無限の色と、無限のこまやかな実体をもて存在している。

なんと、自然は思いがけない形をした、動物や植物で満ちている。
誰も考え付かないような何百万種類、何千万種類の生命で満ちている。
そして、海中の奥深くを人は知らない。
まだ、地中の中を人は知らない。
森の奥深くも、高き山の上を知らない。

人は未知なる世界を生きる。
神のような心がどこかに存在するのだろうか。
観音様のような心、菩薩様のような心を感じることができるだろうか。

私の見ている世界。
私の感じている世界。
しかし、世界には、もっともっと、違った世界が存在している。
私は、自由意志という冒険者になって、それを探しにいくことができるはずである。
それは、何か不思議を感じたその入り口を辿って。
それは、何かいままでと違う世界に触れてしまったという感覚を辿って

神はおられる。
千の手をもつという観音様の心の中に。
真を求めるその気持ちの中に。
真実を生きようとする中に。
そのように、生きようとするものは、神に出会えるかもしれない。

たくさんの知らない世界。
多様な感覚、感じ方の向こうに
微笑まれて
真実を生きようとするすべての人に、微笑をもって迎えようと
両手を広げて待たれておられる。
あなたの内にひそむ、真理のみをもって、出会いにいこう。

         (12/14/2003 降誕節によせて)




神の国は近づけリ


かつて、2000年前にも、この言葉が轟いた。たとえ、エルサレムの神殿が壊れても、かの人は、3日後には、大いなる神殿が立ち現れると、いわれたという。


神の国は、人の心に深くある国でもある。
神の国は、人の心が感じる愛の生命(いのち)の支える基の国でもある。

この世にある2つの世界。
憎しみと愛。
恐怖と畏敬
怠惰と勤勉
.....

たくさんの相対する世界


そして、人の心の中には108の煩悩があるという。
その108の煩悩の一つ一つの、人は、その人生を支配されていきていく。
一人一人の中にある108の煩悩。
人類60億人のすべての人の中に煩悩がある。
6000億個にものぼる煩悩を一つ一つ神の国に戻し、菩提とするとき、この地上は神の国となる。

放蕩息子のように、自分勝手で、気まぐれに、無秩序に生きようとする煩悩も、それもまた、意志持つエネルギーなのである。
親の家に帰るならば、暖かく迎えられ、そのエネルギーは美しく輝く出すのである。その美しさは、神の国の美しさ。

この6000億個におよぶ煩悩を一つづつ神の国へ帰すこと。
一人の中にある108個の煩悩を一つづつ神の国へ帰すこと
しかし、その一つ一つの煩悩を虫眼鏡や顕微鏡で見た人はいない。
写真に取った人もいない。
科学的に説明し、実験した人もいない。
108の煩悩の存在を証明した人もいない。

神の国からすべては生まれたと、人類の伝承は言う。
しかし、自由意志の力によって、放蕩息子のように生きることのできる人間は、その歴史に、悲しい多くの悲しみと混乱と苦悩を作ってきた。

神の国は近づけり。
人の中にある神の国へいたる道を
人の中にある2つの世界を見極める道を、
108の煩悩と108の菩提を見極める道を、
それが、神の国へ至る道。

内なる108の戦いに赴くこと。
戦う武器は、かつてインドの地で説かれた八正道。
闘う武器は、かつてイスラエルの地で説かれた愛。

インドのかの人も菩提樹の下で、一人、21日の瞑想の内に、108の戦いを繰り広げ、勝ったのである。
イスラエルのかの人も一人、砂漠ですごした40日の間、悪魔のささやきを悉く撥ね退けて、その戦いに勝ったのである。
神の国への一歩は、一人一人の108の戦いに勝ち抜かなければならない。
60億人 6000億個の戦いに勝ち抜かなければならない。

かつて、人は空を飛ぶことができなかった。
何千年の時をかけても、自由に空を飛ぶことができなかった。
しかし、100年前のある日、二人の兄弟が空を飛んだ時から、人は自由に空をとべるようになった。

一人の神の国への戦いの勝利が
人類の神の国への戦いの勝利になるのだ。

そんな時が来た。
だから、声高に、私は言おう。

神の国は近づけリ。
かつて、イスラエルの地に響いた声の響きをもって、私は声高に言おう.

新しき国を創る時は来ませり。
われらには確かな武器をもって、戦いに臨む時が来ませり。
自由な国、自由な心を、生み出す時が来ませり。


                       【by kimito 10/27/2002 ハロウィーンによせて】




自らを育てる

人生 それは、お母さんのお腹の中からはじまる。
それは、眼に見えないほど小さな出来事の始まり.
お母さんの暖かな体温に包まれて
冷たい風にも、雨にも、守られて
暖かな体温に包まれて
栄養が、限りなく与えられて
一つの細胞が、いつしか、何億、何十億、何十兆 の細胞に増え
骨や血や肉になっていく。
それは、細胞爆発のような、急激な拡大である。
すべての人生がその様に始まって行く。

誕生。
歩くことも、しゃべることも、食べることもままならないまま。
お母さんのおっぱいを頼りに、生きていく。
オムツをし、泣くことしか出来ずに生きていく。

世界は、瞬く間に,広がり,
言葉を覚え、
歩くことも覚えていく。

その驚くほど広がって行く世界。
それは、一つの細胞から人生を始まったように
一つの世界から、何億、何十億、何十兆 の世界に広がって行く。
それは、人生爆発のような急激な拡大である。
たくさんの言葉、箸の使い方、学校への行き方、
保育園でのけんかの仕方。
お母さんから怒られ方。
お父さんにおもちゃをねだる方法。
嫌いな食べ物を食べずにすます方法。
毎日、毎日、たくさんの、たくさんの世界,世界、世界
日々広がる世界。

そんな時、素直に生きれないたくさんの出来事に出会ってしまう。
ほんとうは、そう生きないほうがいいのかもしれないけど、
自分の生き方として、それを生きてしまう.
絶対、それは許さない。
あの人には、負けない.
お金がないことは,どんなにつらいことか。
人に使われる人生はいやだ。

素直な人生が生きれれば、いいのだが、
たくさんの、たくさんの出来事、思いを、巻き込んで、自らの人生が作られていく。

そんな出来事や思いを、静かに見つめ、
整理して
自分の人生を組み立てることができれば、
人生に、たくさんの光と輝きを、
取り戻すことができる。

人生の輝かしい未来と夢を
手に入れるためには、
自分の人生を立ち止まって、見つめる時が必要だ。

日々、成長する人生。
人は、自らの人生を、自らの手で育てる力が眠っている。
しかし、その力を手に入れることが必要だ.
そして、人は、現実社会の中を無秩序に成長するのではなく、
そのような成長が、本来的な成長なのか、知る必要がある。

自らの人生を育てるために。
自らの人生を、自らの手に取り戻し、
自らの人生を、捕まえることが必要だ。

                 (7/16/2002 by kimito)


     心に力を与えよう

自らの人生を生み出す、心。
自動車で言えば、エンジンだろうか。

でも、整備不良のエンジンばかり。
規格も、性能も、出力も、どこにも書いてなく、、
ただ、闇雲に、人生の道を走る。
アクセルも、ブレーキにつぃて、説明書もなく、
ハンドルの切り方さえ、誰も教えず、
走ることだけが、できる自動車みたいなもの。

無理やり走らせて、エンジンオイルを補給せずに、エンジンを焼き付けたり
ブレーキを踏みつづけて、ブレーキを効かなくしたり
まわりをかまうことなく、アクセルを、踏みまくり、あっちこっちをぶつけている。

心に力を与えよう。
整備の仕方を習い,
どのような回転状態が正しく、どのような場合は異常なのか
どのくらいの力を秘めているものなのか
ブレーキとハンドルとハンドルがあることを知ろう。

心の教習所に、通わなくていいのだろうか。
人生を産み出す エンジン。すべては、ここから始まるのに。

でも、なんだか、人は、心というエンジンをもっているのを、忘れているみたい。
だれも、そのことを、言わず、だれも、そのことを、わからない という。
人が、怒り、誰かを傷つけても、それは、法律の話になってしまう。
人が、誰かを、罵倒しても,、それは、倫理の話になってしまう。
常識と言う枠の中で、見えない心が消滅し、ただ、残された行為の痕跡が
取り沙汰される.

心に力を与えよう。
無限の力を与えよう。
いや、そうではない。
心は、無限の力をもっているのだ。
ちゃんと、うごくラジオでも、チャンネルが合わなければ,ただただ、ガーガー鳴るばかり。
ちゃんとうごく、テレビでも、チャンネルが合わなければ、だただた、ザーザーするばかり。
自動車のハンドルが、どれなのか、知らなければ,誰も、目的地に辿りつくとこはできない。
人は、見たこともない、UFO に乗って,運転を命じられているかのよう。
みんな,UFOを運転をしているのに、誰も、正しい運転方法を知らず,互いに、ぶつかり、
罵り合っているみたい。

どこかに、正しい運転のしかたを書いた本はあるのだろうか。
聖書が、そうかもしれない。
仏典が、そうかもしれない。
哲学が、そうかもしれない。
そして、人生を、自分の思うように、生きた人もいる。
そこには、確かに、人生の秘密、心の秘密が隠されている.

心に力をあたえよう。
心に新しい力を与えよう.
それは、心の持っている、無限の力を、正しく引き出す力.

                  (by Kimito 6/15/2002)





愛に生きる

愛をすべての根源におこう。
愛はすべてを、育む力。
愛はすべてを、成長させる力。
愛はすべてを、癒し、慰める力。
この世には、なんとすばらしい力に満ちているのだろうか。

小さな、砂粒のような種が、大きな大輪の花を咲かせ、
小さなカマキリには、小さなバッタがいて
小さなバッタには、小さな柔らかな葉っぱが生い茂り
小さな柔らかな葉っぱには、春の優しい太陽の光が


雄雄しいカマキリには、逞しいバッタが
逞しいバッタには、硬く茂った葉っぱが
硬く茂った葉っぱには、夏のぎらぎらする太陽の光が
雷を伴なう激しい雨も
台風の風も
逞しくなったかれらには、乗り越える力がある。

愛をすべての根源におこう.

うまく、動かないパソコンにいらつく時
愛を失い、すべてが、うまくいかなくなる。
人の言葉に反感を覚える時
愛を失い、その人のすばらしさを見失う。
ストレスが、自分を押しつぶそうと感じる時
愛を失い、自分の可能性を見失う。

愛をすべての根源におこう。
あたたかな言葉。
あたたかな眼差し。
あたたかな笑顔。

たとえ、貧しくても、無限の力をもっている。
たとえ、苦しくても、無限の世界をもっている。
愛の無限の力を、みんな忘れてしまったようだ。

経済が、世界を支配し、
地位名誉が、すべてに優先し
自分の身の安全が第一となる。

しかし、経済も、神の前では、むなしい紙くずに過ぎない。
名誉も地位も、神の前では、紙のこよりの役にも立たない。
自分の身を守ろうとする、この心が、神の前に、進み出ることを妨げる。

山上の立ちて、かの方は語った。

幸いなるかな 心の貧しき人 天国はかれらのものである
幸いなるかな 柔和な人 かれらは地を嗣ぐであろう
幸いなるかな 泣く人 かれらはなぐさめを得るであろう
幸いなるかな 義に飢えかわく人 かれらは飽かされるであろう
幸いなるかな あわれみある人 かれらはあわれみを得るであろう
幸いなるかな 心の清い人 かれらは神をみまつるであろう
幸いなるかな 平和を求める人 かれらは神の子ととなえられるであろう
幸いなるかな 義のためにせめられる人 天国はかれらのものである

そして、かの人は、十字架の上で、なくなった。

ローマを破壊することもなく、
ローマ軍を打ち破ることなく、
誰かを責めることもなく、
苦しい時は、苦しさを背負い
誰でも、文句を言わず、十字架を背負った。
何かを呪うことなく。

2000年の時に渡り
地球の隅々までも
かの人が出会った ”神”が伝えられた。
すべてが、育まれ、生かされている ただ、その力によって。

愛をすべての根源におこう。
すべてを、育み、成長させるために、一切の時を使おう。


そして、奇跡に出会うだろう。
すべてにエントロピーの働くこの世界にあって、
すべてが、分散し、崩壊してこの世界にあって、

生命を支え、成長させていく力
どうして、このような力が、どこから、やってくるのだろうか?
その源にあるもの。
すべては、その”奇跡”に支えられて、存在している。

すべてが、包まれ、育まれて、今がある。
これ以上、何か、必要なものはあるのだろうか。



            (by kimito 6/15/2002 ICU創立記念日に寄せて)
                




幸せを感じる心、幸せを見つける心

現代人の忘れ物
昔は、あった。
でも、今は、ないものの多い。

幸せを感じる心、幸せを見つける心が、消えてしまったみたい。
どうみても、不幸のどん底にあるとは、思えないのに
いつも、交わす会話は、
幸せじゃない という話ばかり、
今日、幸せを一つ、見つけましたか、と聞くと、ないという。
昨日は?
今年は?
昨年は?
今までには?

これからも、幸せを感じることは、出来ないかもしれないね。
どうみても、不幸のどん底にいるようには、みえないけど。

幸せを感じる心、幸せを見つける心。
それは、どこにあるんだろう。
光を感じるのは、眼。目の見えない人には、光が見えない。
音を感じるのは、耳。耳の聞こえない人には、音を聞こえない。
味を感じるの舌。舌を失った人は、味がわからない.

幸せを感じる心は、幸せを感じる心。その心を見失った人は、永遠に、幸せを探り当てることはできない。
感動的な映画をみても、小説を読んでも、どこか、違和感がよぎる。
どうせ、作り物の世界を、切って捨てる.
花の美しさも、空の輝きも、幸せに繋がることもない。

そんな人が、幸せに出会うことは難しいかもしれない。
一瞬、出合ったとしても、それを、感じつづけることはできないかもしれない。

一生、不幸の道を、ひたすら、とぼとぼと、歩きつづけるのですか。
顔を揚げれば、すばらしい世界に生きていると感じられるのに、
この道は、坂道で、石ころだらけだと、文句を言いつづけるのですか。
滑って、転んだからといって、それは、道のせいですか。切り株のせいですか。

あなたは、何もない、コンクリートの道をとぼとぼ、歩きたいのですか。
あなたは、10km歩きました.100km歩きました。そんな表札のある道を
とぼとぼ、歩きたいのですか。

それとも、花が咲き、鹿が飛び交い、トンボや鳥が飛ぶ、
山も谷も、川もある、自然の、大自然の道を歩きたいですか。
そこには、たくさんの出会いがまっています。
たくさんの幸せを、背負った、たくさんの出会いが、待っています.

素敵な人生は、素敵な人生を感じる心が、出会う出来事から、”かんな”のように
出来事の記憶を、心のなかに、削り込んで、ためていくのかもしれません。
幸せを感じる心の”かんなの歯”をさぐりあてて、磨いてみませんか?

                      (by kimito,kurosawa 6/18/2002 日本ガンバレ)



21世紀の大爆発に向けて

20世紀 それは、江戸時代から明治時代に変わりはじめたとき.
ライト兄弟が空を飛ぶ冒険に挑戦するまで、人は空を自由に飛ぶことは出来なかった。
エジソンが電球を発明するまで、人は、夜を明るく過ごすことは出来なかった。
ノーベルがダイナマイトを発明するまで、人は、大きな岩を砕くことが出来なかった。
蒸気機関車が生まれ、モータが出現し、発電機が生まれ、
映画が登場し、蓄音機が登場し、
無線が飛び交い、電話が登場し、そして、テレビが、
自動車が我が物顔で、町を走り、ジェット機が空を飛び、
ロケットは、月に行き、銀河の果てまで飛んでいくようになった。
多くの病気は、医学によって、克服されるようになった。

20世紀のはじめ、まるで、大爆発にように、様々が技術が花開いた。
そして、その爆発の勢いが、目覚しい科学技術文明を構築した。

21世紀
 それは、どのような爆発の起きようとしている時代なのだろうか。
 人間の爆発。人間の可能性の爆発。
 19世紀、だれも、電気にこんな力があるなんでだれも知らなかった。
 電気は、永遠の昔からそこにあったのに。
 空気に、重い飛行機を支える力があるなんて、なかなかわからなかった。
 鳥は昔から、空を飛んでいたのに。
 
 イスラエルとパレスチナ 憎しみあう人たち
 イスラム教とキリスト教
 民族の対立、宗教の対立、経済の対立、国家の対立
 様々な挑戦を、人類はしてきた。
 奴隷制度の廃止、女性の権利、子どもの権利 世界人権宣言
 それらへの挑戦

 しかし、環境破壊、軍事の増大、虐殺、貧困、経済格差
 新たに出現する病気 狂牛病など

 大爆発の時代
  人間の可能性の爆発
  性善説も、性悪説も乗り越えて、人間の根源的な力へ
  電気ように、空気のように、誰も、気づけなかった そんな人間の力
  社会や経済に押しつぶされそうになりながら
  自分を縛り付けてきた そんな力を、
  静かに、解きほぐし
  憎しみを越える 何かに出会う。
  怒りを越える 何かに出会う
  怠惰を越える 何かに出会う

  そんな出会いが、人間の爆発の始まりになるのかもしれませんね。

                  (by kimito 5/21/2002)






魂の記憶を、求めて


樹齢1000年に達する樹木が存在する。
その木も、一つの種から、芽を出した。その種は、一グラムのならない小さなものかもしれな
い。
しかし、その木は、何十トン、何百トンもの重さになっている。
水分を吸い上げ、養分を吸い上げ、光合成を行い、毎日、毎日、毎分、毎秒、成長をしてき
た。
1グラムにも満たない種が、何十トン、何百トンもの樹木に、物質変換したわけではない。
樹木の体をつくる材料をひたすら、取り込んで、自分の体を作っている。
種を構成した1グラムの物質も、生命の新陳代謝の中で、すでに、その樹木から、消え去って
いる
のかもしれない。

最初にスタートした種は、その樹木の命であり、その種(しゅ)の形である。
イチョウの木は、イチョウの木になり、杉の木は杉になる。

その大木を構成する物質は、その前は、土であり、水であり、空気であった。
別に、その樹木になる必然はなにもない、地球上を漂う物質であった。
しかし、なぜか、その木を構成する材料として取り込まれた時、それは、杉になり、イチョウ
になった。

魂の記憶。
それは、まるで、遺伝子のようなものなのかもしれない。
しかし、同時に、その誕生以前に、蓄えれられたエネルギーのようなものなのかもしれない。

現在の人生を構成する、さまざまな要素。
しゃべり方、歩き方、両親に対する接し方。お金に対する考え方。

政治や社会、家族に対する考え方。
アメリカやイスラム社会に対する考え方。
その膨大な まるで樹木を構成する物質のような大量さをもって、人間の内側に蓄えられる。
経験として、思想として。

しかし、すべての根源的な 種  魂は、その樹木全体に命を与え、成長を促している。
なにか、そのようなもの。

この不思議な、まるで、ブラックボックスのような無限の世界。

しかし、あるとき、奇妙な反応を引き起こす。
その地域、その家庭、その社会にあって、なぜか誰にも理解されない、その人となにか不思議
なかかわりで
突然、反応をおこす。

超能力なんて絶対信じないと豪語する大槻教授。新聞に紹介された記事によれば、子供のと
き、火の玉をみて その不思議を追求しようしているという。
たった一つの昔話を手がかりにその人生を、トロイ発掘にかけた人もいた。だれも信じていな
かったのに。


魂が、何かに反応する。まるで、ハンマーで叩かれたような衝撃を与える時がある。
それは、なぜか、”不思議さ”との出会いである。

この”不思議さ”という”不思議さ”は奇妙なことだ。
なぜなら、ある人にとっては、どうでも、いいことなので、関心の対象にも、ならないことな
のに、 ある人には、人生を変えてしまう 重大事件となる。
なぜ、その不思議さは、それほどまで惹かれるのか。
それは、その不思議さを不思議と感じる 魂の記憶が存在するからかもしれない。
なぜなら、その不思議さに、なんらかの答えがある という 直感にほかならない。


          21世紀への進化をめざして。

20世紀は、世界を大きく変革した時代でした。
電気で光を灯すようになり、
飛行機で空が飛べるようになり、
蒸気機関車が走るようになり、
自動車が走りまわるようになり、
ダイナマイトで、岩を砕くこともできるようになりました。
日本が、江戸時代から明治時代に変わる頃、
本当に世界が変わり始めました。

人類は、すべて、孫悟空のように、たくさんの力を手に入れ
地球上を、所狭しと暴れまわりました。
そして、本当に、世界を変えてしまいました。
月にまで、到達して、月の石をもって帰ることもできました。
太平洋も安全に飛び交うこともできるようになりました。
100階建てのビルもつくることもできるようになりました。
たくさんの病気に直せるようにもなりました。。

しかし、地球が平和になったわけではありません。
たくさんの問題が山のようにあって、解決する目途も
立たない問題もたくさんあります。
どうして、こんなにたくさんの問題があるのでしょうか。
なにか、混乱を引き起こしている原因があるに違いありません。
それを探すことができるのでしょうか。
それを探すのは容易ではないのかもしれません。

混乱の原因は、人間にあります。
人間の心に、混乱の種が隠されています。
あたりまえのことですね.
その混乱に立ち向かう方法を、きちんと整理し、説明することはなかなか
できませんでした。。
しかし、今、混乱に立ち向かうたくさんの人達がいます。
そして、たくさんの成果を出しています。
その成果は、その人達の努力によって、支えられています。
それは、人間の心を純化していく、進化していく努力です。
「私が変わります」という宣言が、自分を進化させていく力です。


奇跡の詩人 日木流奈さんへ
         (4月28日 2002年 NHK 午後9:00放送)

あなたを最初に見たのは、何年か前のテレビでした。
今回、NHKが取り上げて放送したのを見たので、2回目になります。
初めてあなたをテレビで見た時、とても、びっくりしました。
そのときは、今より,もっともっと小さくて、普通の子供なら、
ようやく、ひらがなや1桁の足し算をならっているころだったと思います。
あなたは、歩くことも、しゃべることもできずに、脳障害の子供でした。
懸命の努力の中、あなたは、今も,やっぱり、脳障害の子供です。

けれども、あなたは、たくさんの本を出版して、多くの人達に感動を与えています。
脳障害の子供だから、なにもできなくて当然と思われる環境の中で、
お母さん、お父さんの愛情、多くの人の愛情を受けて、あなたは、現在の状況に中で
可能性のつばさを、のびのび、伸ばし,屈託の無い人生を生きています。
その、屈託のなさ、のびのびさが、人々に感動を与えています。

見た目には、なにもできないあなた。あるくことも、食べることもままならない。
多くの賛同者たちとの対話集会に出ても、まるで、あなたは、お母さんに抱かれた
腹話術師のお人形。
けれども、あなたの指差す文字を言葉に替えてはなす、お母さんの声は、
あなたの豊かな世界をのびのびと伝える。
あなたがどんなに自由で、素晴らしい世界に生きているのかを、惜しげもなく、
この世界に伝える。

そして、この世に生きる、健康な人たちに、もしかすると、ぜんぜん、違う世界が
あるのかもしれない。いままでの生き方が誤解に満ちていたのかもかもしれない。
そんなことを思わせる。

人間の可能性に対して、重大な誤解があるのかもしれない。
小さいから、子供だから、なにもできないのだろうか。
難しいことは理解できないのだろうか。
しかし、もしかすると、もっと、自由に、もっと、おおらかに、子供は、世界を吸収しているのかも
しれない。

奇跡の詩人
そう、そこには、奇跡が満ちている。
人間のおおらかさを、人間の自由を、無限の世界から言葉につむぎ出している。
もっとも、不自由な人生のはずなのに、もっとも、自由に生きている。
歩くことも、しゃべることもできないのに、あなたが、もっとも、自由に生きている。

これからも、たくさんの本を書いてくださいね。


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