近年キリスト教の輝きが急速うしなれつつある。
ICUに付けられたキリスト教の名が、いまや、重き頸木になっている。
それは、どうしてだろうか?
明治と共に、日本に流れ込んだ、キリスト教。
札幌の地に撒かれた種は、多くの大学で花が咲き、キリスト教は教育、大学の中に広がっていった。多くのミッション系の学校や幼稚園が生ま
れ、大学が生まれ、女性のための高等教育が花開いてった。それは、近代日本を切り開く大きな原動力となった。女性に力を与え、若者に力を与
えた。
日本が戦争に突入していくなか、信念を持ったクリスチャンたちは、戦争を防止しようと、命を懸かけることも、多く見られた。
キリスト教は、なにか、ハイソサエティと教養の香りに包まれていた。
日本という単一民族で、国家としてのまとまりがよい国では、国の決めたことが、かなり単純に広がっていく。義務教育もほぼ100%の普及して
いく。
国語や算数、理科、社会それらが、日本の伝統を切り裂いていく。
方言や村のしきたりや村の神社のお祭りを、切り裂いていく。
教育とは、あらたな価値観の取り込みなのだから、今までの慣習や文化を切切り離していくことは自然であって、方言や、村しきたり、村の神社の
お祭りなどと、共存することはできない。
それは、日本の神話が、理科と共存できないのと、同義だ。
仏教や神道と、理科が共存できない。
同様に、キリスト教も、理科と共存ができない。
小学校一年生から始まる義務教育の中で、仏教や神道やキリスト教は、排除されていく。入り込む余地がないのだ。
排除された基盤に、あらたな仏教や神道、キリスト教の概念を、後から押し込めようとするのは、かかなり部難しい。
それは、イスラム教徒を改宗させるのが、難しいのと同等である。
納豆が嫌いな人に、納豆を食べさせるのと、同等である。
豚肉を食べていけないと言われた来た人に、豚肉を食べさせると、同等である。
近代科学とキリスト教や仏教などが共存するには、まだまだ、近代科学も仏教も、キリスト教も、進化が必要である。
しかし、世界は、そのような進化を待っているわけにはいかない。
人生の時は限られており、生きていかなければならない。
否応なしに、キリスト教の概念と近代科学の概念が同時に押し寄せ、まるで、椅子取りゲームのように、その人の価値観の中に、座り込もうとす
る。相反する考えに子供たちは混乱する。
すると、学校へ行くからキリスト教が排斥され、混乱に陥るのだと、近代科学を否定する人たちも、登場する。
進化論の否定、地球の歴史の否定、宇宙の歴史の否定をするしかないのだ。
(近代科学もまだまだ発展途上なので、今後、いろいろな変化を遂げていくはずなので、現時点の考えが正しいと判断を下すことはできないのは、
確かだが、どうも、キリスト教の歴史観より、現実的だ。)
キリスト教の世界を、自らの内に確立し、その世界観に生きようとするには、かなりのエネルギーが必要だ。
そのために多大なエネルギーが注ぎ込まされ、教育され、叩き込まれていく。
キリスト教による教育によって、近代科学が切り裂かれていく。
中絶に反対するために、人の命を奪う事件も起きたりする。
アメリカから漏れ流れてくるキリスト教には、ハイソサエティや教養の香りが失われ、かたくなで、依怙地な宗教の匂いが伝わってくる。
クリスマスや新年に、神社や大きな駅などで、キリスト教を広報する人たちも、キリスト教を誤解の渦に巻き込んでいる。大きなプラカードや録音
機からながれる声で、義務教育を受けた日本人が、クリスチャンになろうと
思うとでも思っているのだろうか?
あのプラカードが、クリスチャンを増やすことに効果があるとは思えない。
その無骨な、無神経な、礼節のない布教を日本で行うとするキリスト教の野蛮さや乱暴さは、キリスト教を誤解させ、キリスト教をますます日本か
ら遠ざける結果になっている。
なげかわしいことだ。
他にもっと、スマートな方法をしらないのか!
戦後、日本で第二次世界大戦を生き抜いたキリスト教も、義務教育と近代科学思想の壁に行く手を阻まれてしまった。けれども、それでも、キリス
ト教は、ハイソサエティと教養と、愛の宗教としての香りに包まれていた。
日本に広まったキリスト教は、思慮深く、礼節に厚く、暖かな励ましの力が満ちていた。
けれども、近年、アメリカから押し寄せる、野蛮で、礼節のない、無神経なキリスト教によって、日本のキリスト教のイメージは、無残に砕かれ、
泥に塗れ、立ち上がることは出来そうもない。
日本において、大学名にキリスト教の名をつける大学はほんのわずかだ。しかも付けている大学は、かなり、特殊な大学であって、教養を目指す大
学とは、かけ離れている。
日本には非常にたくさんのキリスト教を原点にもつ大学は、非常に多い。明治時代に起源をもつ私立大学のほとんどが、キリスト教を源流にした大
学ばかりだと、いっても過言ではない。
もちろん、すべてではないと、非常にたくさんの私立大学がキリスト教を源流に持つ。多くのクリスチャンの女性によって創立された私立大学も非
常に多い。
近年、日本において、キリスト教のイメージが、輝きを失っている。
近代日本を生み出そうとした、その力も、人々の心から忘れ去れて、キリスト教は、邪教のように忌み嫌われるものになってしまった。
ICUは、その名を掲げているのだ。
モーセの掲げる杖には、大きな力があったが、
われらが掲げるキリスト教の名は、その力をうしないつつある。
日本にあった、新しい日本を生み出すためのキリスト教を必要としている。
アメリカから押し寄せる野蛮で、礼節のないキリスト教のイメージを打ち消す
愛と教養にあふれたキリスト教が今、求められている。
(1/6/2012 新年に寄せて)
言葉の世界へようこそ。日常何気に通り過ぎたその瞬間に、ふと浮かんだ言葉。そんな言葉を書きとめました。私は詩人なのかしら。ラララ! 黒澤公人は、国際基督教大学を2021年3月31日に定年退職しました。
2013年11月29日金曜日
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