2014年6月23日月曜日

奇跡に出会う

黒澤公人 奇跡に出会う

それは、2014年5月1日の6時10分頃 国際基督教大学高校の体育館脇を自動車で
通過しようとするとき、黄金に輝く樹をみたのだ。

その美しさは、驚くべき美しさであった。

国際基督教大学に勤めるようになって、40年近くが経過するが、そのような場面に出会ったことがなかった。

まるで、神が私たちを祝福しているという形容詞が、本当に、似合う一瞬だった。

それは、ほんの数分で、終わりを告げ、また、元の普通の景色に戻ったのだった。

どうして、そのような現象が起きたのか、冷静になって考えると、夕日が、木の葉に
当っていただけなのだ。しかし、それは、いつでもあることだ。
その木の葉は、つやのある葉なので、確かに、日の光を反射しやすいともいえる。

実は、翌日の6時過ぎ、夕日が沈むころ、行ってみた。
単に夕日が木の葉に当るだけで、昨日のような輝く瞬間にであうことができないのだ。
その後も何度も、夕日が沈むころ、そこを、自動車で通りかかったかり、
夕日が沈むのを眺めたりするのだが、あの輝きに出会うことができないのだ。

多分、もう一生出会うことはないのかもしれない。

本当の奇跡だったに違いない。

それを、どのように証明することができるだろうか?
なぜ、自分がであった奇跡を人に証明する必要があるのだろうか?

奇跡とは、人間と神との密かな、繋がりである。
イエス様も、多くの奇跡をなしたが、他言してはいけないといったではないか!

それでも、国際基督教大学の中で、それは起こったのだ。
それも、私の目の前で起こったのだ。

モーゼの目の前で、草がわずかに揺れるという、そんな奇跡ではないのだ。

樹が本当に、黄金のごとく、輝いていたのだ。
もちろん、木全体というわけではなく、一部分だけだったのだが。

いつも、持ち歩いてるデジカメで撮ってはみた。
しかし、私が出会ったその輝きの何分の1しか伝えていないように思える。


そして、今回の奇跡の遭遇に、もう一人遭遇した人がいたことを伝えておこう。
その人は、この出来事を奇跡と呼ばないかもかもしれないが、その美しさに
共に声を上げたのだった。

もし、来年の5月1日の夕日が、ダイレクトにあたるときがくれば、同じ現象が
起きるのだろうかとも、期待している。
あれほどの美しさを、私一人の奇跡の出会いとして、胸に秘めていていいのだろうか?

 2014年5月23日 あの奇跡をどこかにとどめておかなくてはと、思いつつ




          

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