2014年1月29日水曜日

2002.4-2003.4

黒澤公人の世界から   その4

(その1 1998.4 - 1999.12)
(その2 1999.12 - 2001.2 )
(その3 2001.2 -2002.4 )
(その4 2002.4 - 2003.4)


目次
平和の祈り
私の人生の目的
神はおられる
神の国は近づけり
自らを育てる

心に力を与えよう。
愛に生きる
幸せを感じる心、幸せを見つける心
21世紀の大爆発に向けて
21世紀への進化をめざして。
魂の記憶を、求めて
奇跡の詩人 日木流奈さんへ


平和の祈り

一人の人間に何ができよう。
そう思うとき、内なる声が叫びを上げる。
すべてのことは、一人のうちより生まれ出でる。
世界の宗教となった仏教も、キリスト教も一人の人間から始まった。
インドの独立もたった一人の運動から始まった。
現代文明を支える電気も、コンピュータも一人一人の情熱から生み出された。

すべてのものは、一人の人間の内より生まれる。
人生のすべては、一瞬一瞬の自由意志の判断の連続より生まれる。

この大学に平和を祈る鐘の音が響くようになった。
平和の祈りを捧げよう。

平和とは、利己的な怒りの内より、生まれ得ない。
平和とは、利害の中から生まれる事はない。
平和とは、思想の中から生まれるものではない。

平和とは、全てを捨てて、全てを捨てつづける、
そのむこうに生まれだすものである。

いままでのいきさつを捨て去ることができるとき
いままでの富と栄華を捨て去るとき
時には、その生命さえも捨てることを求められることもある。

19歳の少女がある国の存続のために、炎の中でその生命を終える
その時にこそ、"平和"が存在した。
砂漠を彷徨いながら、愛に生きることを心に決めてしまった
かの人が、どんな理不尽さに遭いながらも、それ以外の生き方を
しなかったばかりに、丘の上の十字架で死んだその時にこそ
究極的な"平和"は存在した。

人は、すべてのいきさつを捨てなければならない。
そのいきさつを捨てて、なお、人の手に残る平和という
宝を手にしなければならない。
それは、膨大の砂の中から、金を見つけるために、多くの
砂を捨てなければならないのに似ているのかもしれない。
それは、ダイヤを見つけるために、多くの岩を砕かなければ
ならないのに、似ているのかもしれない。

人を殺すことがいけないという、ただ、それだけの理由で平和に
いたることはできない。
相手が悪く、こちらが正しいという理由で、平和に至る事はできない、

平和とは、すべてのこだわりを脱捨てた"むこう"にだけ存在する。
国家、政治、経済、宗教を脱捨てた、その"むこう"に存在する。

それほど、人間の本当の姿は、すばらしいものなのだ。
しかし、多くの国家という着物が、政治という着物が
経済という着物が、宗教という着物が、そのほんとうの
すばらしさを覆い隠す。
多くの伝承は、人間は、神に似ていると伝えている。
地球の存在を支え、生命に生きるエネルギーを与えつづけ、
自由意志という力を人類に授けた、その源に、
人は、似ているという。

"平和"、それは、人類の歴史さえも、脱捨てた"むこう"にこそ
存在する。
そして、"平和"という言葉が、この地上に存在する事実こそ、
"平和"にいたる道である。
人類は、"平和"の存在を確かに認識しており、そこに目指すべきであることを
一人一人の人間の内に、刻み込まれているのである。
それこそ、人が、神に似ている、確かな証拠である。

平和を祈ろう。
暴力の嵐にも吹き飛ばされない、足場を、自らの内に築こう。
平和を祈ろう。
祈りこそ、天と地をつなぎ止める楔である。
平和を祈ろう。
人類は、平和の尊さとそこに至る道を確かに知っているのである。
すべてのいきさつを横において、かの鐘の音に、すべてを委ねるその瞬間に
光が差し込むのかもしれない。その光の差し込んだ先に見えたものが、
平和の姿なのかも知れない。
それは、祈りの内にしか見出すことはできないもの。

平和を祈ろう。
それしか、できないかもしれない。
しかし、それこそが、人間の内に、"平和"を強くし、
平和を具現するエネルギーとビジョンをこの地上に溢れだす、唯一の道である。

そして、伝承は伝えている。
その"エネルギー"と"ビジョン"は、永遠の時を超えて、存在しつつけているのだ、と。


   (by kimito 4/6/2003 バクダットにたくさんの爆弾が落ちている
   というニュースを聞きながら。)



私の人生の目的
私が生まれてきた意味はあるのだろうか。
私の人生の目的はなんだろう。
私のすべきことはなんだろう。
そして、私のできることは、なんだろう。

私のしてきたことはなんだろう。
そして、私のしてこなかったことはなんだろう。
どうして、それができなかったのだろうか。
私がしなかっただけなのか?
それとも、私にはできなかったことなのか?
いったい、どうして、その現実がうまれたのだろう?

この地上に生まれてきた意味が確かにあるはず。
私の生まれて生きたいと願った願いがあるはず。

目的を知らないもの、順風ということはない という。
ただただ、なんの目的も知らずに生きただけなのか?
風に吹かれて生きてみただけなのか?

日常の喧騒に振り回されずに、自らの内に存在する
本当の願い 本当のいのち 本当の私に
たどりつくために。
この時を使いたい。

               (by kimito 2/5/2003)

神はおられる。

神はすべての生命の源。

神は喜ばれる。
成長しようとすることを。
ひとつの草の葉にも限りない太陽の光を与えるように。
千年生きる大木にも、太陽の光をあたえるように。
生きることを成長することを望むものに限りなき愛を注ぐ。

神は励まされる。
千の手をもつ観音のように、真をもって、求めるものを、
ことごとく、一つももらさず、手を握り返される。

私たちは、かの本に書かれた放蕩息子のようだ。
「私は自分の力を確かめたい。」
「私は私の思い通りに生きていきたい。」
しかし、神は放蕩息子の行く手をさえぎろうとはしない。
放蕩息子が苦難の道を歩もうとする行く手もひそかに見守り助けてしまう。
なぜなら、自由意志をすべての息子たちに与えているのだから。

だから、人間は少しどこかで、間違ってしまったのかもしれない。
しかし、それはなぜだろう。
なぜ、これほどまでの闇が世界を支配してしまったのだろう。
なぜ、このような現実が、訪れてしまったのだろう。

人は、未だ、”生命”の不思議の真実を知らない。
多くのことが、科学によって分析され、証明、説明がされてきた。
しかし、”生命”の不思議を知ることはできない。
心の不思議を知ることができない。
生命は無限の時を生きるという。
人には、いくつもの過去世と呼ばれる自分の人生の記憶とは
別の人生の記憶が眠っているという。
しかし、多くの場合に、それが明らかになることがない。

自分の心を、自由に管理し、コントロールすることができない。
自分の人生を、思うように生きることができない。
ノーベル賞をとったという経済学者でさえ、経済の荒れ狂う波を乗り越えることは困難だ。
1億2000万の民をもって、国をなしていても、経済の安定さえも、人々が安らかにくらすことも
国を守ることも、決して容易ではない。
同じ言葉をしゃべり、隅々までテレビやラジオも電波が届き、新聞が配られるシステムが整備されている、この国でさえ、自らの進路を定めることができない。

しかし、神はおられる。
生命をささえ、人生をささえ、心を支え、時を支え、
この地球を宇宙の秩序の中に支える。

心の中に湧き上がる、電気でもなく、磁気でもない、未知なる”もの”によって
心の中に無限の可能性が広がっていく。
あまりに広すぎて、その隅々まで探検した人はいない。
あまりに多様すぎて、その全貌を知ることができない。

神はおられる。
真の内に生命を支える。

本当に求めるなら、そこに辿りつくだろう。
本当に求めるなら、そこに至る道を見出すだろう。。
かの本にも書かれている、その時である。
「光あるうちに、光の中を歩め。」
光はどこにあるのだろうか。
光は、ここにある。

無限に広がる、未知なる世界に、人は生きる。
鮮やかな、自然が広がるこの地球。
あまりにも多様な色、色、色。
コンピュータでは何十万色の色を表現できるようになったという。
テレビでは、小さな小さなドットで画面を表せるなったという。
しかし、自然は、もっと、もっと、無限の色と、無限のこまやかな実体をもて存在している。

なんと、自然は思いがけない形をした、動物や植物で満ちている。
誰も考え付かないような何百万種類、何千万種類の生命で満ちている。
そして、海中の奥深くを人は知らない。
まだ、地中の中を人は知らない。
森の奥深くも、高き山の上を知らない。

人は未知なる世界を生きる。
神のような心がどこかに存在するのだろうか。
観音様のような心、菩薩様のような心を感じることができるだろうか。

私の見ている世界。
私の感じている世界。
しかし、世界には、もっともっと、違った世界が存在している。
私は、自由意志という冒険者になって、それを探しにいくことができるはずである。
それは、何か不思議を感じたその入り口を辿って。
それは、何かいままでと違う世界に触れてしまったという感覚を辿って

神はおられる。
千の手をもつという観音様の心の中に。
真を求めるその気持ちの中に。
真実を生きようとする中に。
そのように、生きようとするものは、神に出会えるかもしれない。

たくさんの知らない世界。
多様な感覚、感じ方の向こうに
微笑まれて
真実を生きようとするすべての人に、微笑をもって迎えようと
両手を広げて待たれておられる。
あなたの内にひそむ、真理のみをもって、出会いにいこう。

         (12/14/2003 降誕節によせて)




神の国は近づけリ
。

かつて、2000年前にも、この言葉が轟いた。たとえ、エルサレムの神殿が壊れても、かの人は、3日後には、大いなる神殿が立ち現れると、いわれたという。


神の国は、人の心に深くある国でもある。
神の国は、人の心が感じる愛の生命(いのち)の支える基の国でもある。

この世にある2つの世界。
憎しみと愛。
恐怖と畏敬
怠惰と勤勉
.....

たくさんの相対する世界


そして、人の心の中には108の煩悩があるという。
その108の煩悩の一つ一つの、人は、その人生を支配されていきていく。
一人一人の中にある108の煩悩。
人類60億人のすべての人の中に煩悩がある。
6000億個にものぼる煩悩を一つ一つ神の国に戻し、菩提とするとき、この地上は神の国となる。

放蕩息子のように、自分勝手で、気まぐれに、無秩序に生きようとする煩悩も、それもまた、意志持つエネルギーなのである。
親の家に帰るならば、暖かく迎えられ、そのエネルギーは美しく輝く出すのである。その美しさは、神の国の美しさ。

この6000億個におよぶ煩悩を一つづつ神の国へ帰すこと。
一人の中にある108個の煩悩を一つづつ神の国へ帰すこと
しかし、その一つ一つの煩悩を虫眼鏡や顕微鏡で見た人はいない。
写真に取った人もいない。
科学的に説明し、実験した人もいない。
108の煩悩の存在を証明した人もいない。

神の国からすべては生まれたと、人類の伝承は言う。
しかし、自由意志の力によって、放蕩息子のように生きることのできる人間は、その歴史に、悲しい多くの悲しみと混乱と苦悩を作ってきた。

神の国は近づけり。
人の中にある神の国へいたる道を
人の中にある2つの世界を見極める道を、
108の煩悩と108の菩提を見極める道を、
それが、神の国へ至る道。

内なる108の戦いに赴くこと。
戦う武器は、かつてインドの地で説かれた八正道。
闘う武器は、かつてイスラエルの地で説かれた愛。

インドのかの人も菩提樹の下で、一人、21日の瞑想の内に、108の戦いを繰り広げ、勝ったのである。
イスラエルのかの人も一人、砂漠ですごした40日の間、悪魔のささやきを悉く撥ね退けて、その戦いに勝ったのである。
神の国への一歩は、一人一人の108の戦いに勝ち抜かなければならない。
60億人 6000億個の戦いに勝ち抜かなければならない。

かつて、人は空を飛ぶことができなかった。
何千年の時をかけても、自由に空を飛ぶことができなかった。
しかし、100年前のある日、二人の兄弟が空を飛んだ時から、人は自由に空をとべるようになった。

一人の神の国への戦いの勝利が
人類の神の国への戦いの勝利になるのだ。

そんな時が来た。
だから、声高に、私は言おう。

神の国は近づけリ。
かつて、イスラエルの地に響いた声の響きをもって、私は声高に言おう.

新しき国を創る時は来ませり。
われらには確かな武器をもって、戦いに臨む時が来ませり。
自由な国、自由な心を、生み出す時が来ませり。


                       【by kimito 10/27/2002 ハロウィーンによせて】




自らを育てる

人生 それは、お母さんのお腹の中からはじまる。
それは、眼に見えないほど小さな出来事の始まり.
お母さんの暖かな体温に包まれて
冷たい風にも、雨にも、守られて
暖かな体温に包まれて
栄養が、限りなく与えられて
一つの細胞が、いつしか、何億、何十億、何十兆 の細胞に増え
骨や血や肉になっていく。
それは、細胞爆発のような、急激な拡大である。
すべての人生がその様に始まって行く。

誕生。
歩くことも、しゃべることも、食べることもままならないまま。
お母さんのおっぱいを頼りに、生きていく。
オムツをし、泣くことしか出来ずに生きていく。

世界は、瞬く間に,広がり,
言葉を覚え、
歩くことも覚えていく。

その驚くほど広がって行く世界。
それは、一つの細胞から人生を始まったように
一つの世界から、何億、何十億、何十兆 の世界に広がって行く。
それは、人生爆発のような急激な拡大である。
たくさんの言葉、箸の使い方、学校への行き方、
保育園でのけんかの仕方。
お母さんから怒られ方。
お父さんにおもちゃをねだる方法。
嫌いな食べ物を食べずにすます方法。
毎日、毎日、たくさんの、たくさんの世界,世界、世界
日々広がる世界。

そんな時、素直に生きれないたくさんの出来事に出会ってしまう。
ほんとうは、そう生きないほうがいいのかもしれないけど、
自分の生き方として、それを生きてしまう.
絶対、それは許さない。
あの人には、負けない.
お金がないことは,どんなにつらいことか。
人に使われる人生はいやだ。

素直な人生が生きれれば、いいのだが、
たくさんの、たくさんの出来事、思いを、巻き込んで、自らの人生が作られていく。

そんな出来事や思いを、静かに見つめ、
整理して
自分の人生を組み立てることができれば、
人生に、たくさんの光と輝きを、
取り戻すことができる。

人生の輝かしい未来と夢を
手に入れるためには、
自分の人生を立ち止まって、見つめる時が必要だ。

日々、成長する人生。
人は、自らの人生を、自らの手で育てる力が眠っている。
しかし、その力を手に入れることが必要だ.
そして、人は、現実社会の中を無秩序に成長するのではなく、
そのような成長が、本来的な成長なのか、知る必要がある。

自らの人生を育てるために。
自らの人生を、自らの手に取り戻し、
自らの人生を、捕まえることが必要だ。

                 (7/16/2002 by kimito)


     心に力を与えよう。

自らの人生を生み出す、心。
自動車で言えば、エンジンだろうか。

でも、整備不良のエンジンばかり。
規格も、性能も、出力も、どこにも書いてなく、、
ただ、闇雲に、人生の道を走る。
アクセルも、ブレーキにつぃて、説明書もなく、
ハンドルの切り方さえ、誰も教えず、
走ることだけが、できる自動車みたいなもの。

無理やり走らせて、エンジンオイルを補給せずに、エンジンを焼き付けたり
ブレーキを踏みつづけて、ブレーキを効かなくしたり
まわりをかまうことなく、アクセルを、踏みまくり、あっちこっちをぶつけている。

心に力を与えよう。
整備の仕方を習い,
どのような回転状態が正しく、どのような場合は異常なのか
どのくらいの力を秘めているものなのか
ブレーキとハンドルとハンドルがあることを知ろう。

心の教習所に、通わなくていいのだろうか。
人生を産み出す エンジン。すべては、ここから始まるのに。

でも、なんだか、人は、心というエンジンをもっているのを、忘れているみたい。
だれも、そのことを、言わず、だれも、そのことを、わからない という。
人が、怒り、誰かを傷つけても、それは、法律の話になってしまう。
人が、誰かを、罵倒しても,、それは、倫理の話になってしまう。
常識と言う枠の中で、見えない心が消滅し、ただ、残された行為の痕跡が
取り沙汰される.

心に力を与えよう。
無限の力を与えよう。
いや、そうではない。
心は、無限の力をもっているのだ。
ちゃんと、うごくラジオでも、チャンネルが合わなければ,ただただ、ガーガー鳴るばかり。
ちゃんとうごく、テレビでも、チャンネルが合わなければ、だただた、ザーザーするばかり。
自動車のハンドルが、どれなのか、知らなければ,誰も、目的地に辿りつくとこはできない。
人は、見たこともない、UFO に乗って,運転を命じられているかのよう。
みんな,UFOを運転をしているのに、誰も、正しい運転方法を知らず,互いに、ぶつかり、
罵り合っているみたい。

どこかに、正しい運転のしかたを書いた本はあるのだろうか。
聖書が、そうかもしれない。
仏典が、そうかもしれない。
哲学が、そうかもしれない。
そして、人生を、自分の思うように、生きた人もいる。
そこには、確かに、人生の秘密、心の秘密が隠されている.

心に力をあたえよう。
心に新しい力を与えよう.
それは、心の持っている、無限の力を、正しく引き出す力.

                  (by Kimito 6/15/2002)





愛に生きる

愛をすべての根源におこう。
愛はすべてを、育む力。
愛はすべてを、成長させる力。
愛はすべてを、癒し、慰める力。
この世には、なんとすばらしい力に満ちているのだろうか。

小さな、砂粒のような種が、大きな大輪の花を咲かせ、
小さなカマキリには、小さなバッタがいて
小さなバッタには、小さな柔らかな葉っぱが生い茂り
小さな柔らかな葉っぱには、春の優しい太陽の光が


雄雄しいカマキリには、逞しいバッタが
逞しいバッタには、硬く茂った葉っぱが
硬く茂った葉っぱには、夏のぎらぎらする太陽の光が
雷を伴なう激しい雨も
台風の風も
逞しくなったかれらには、乗り越える力がある。

愛をすべての根源におこう.

うまく、動かないパソコンにいらつく時
愛を失い、すべてが、うまくいかなくなる。
人の言葉に反感を覚える時
愛を失い、その人のすばらしさを見失う。
ストレスが、自分を押しつぶそうと感じる時
愛を失い、自分の可能性を見失う。

愛をすべての根源におこう。
あたたかな言葉。
あたたかな眼差し。
あたたかな笑顔。

たとえ、貧しくても、無限の力をもっている。
たとえ、苦しくても、無限の世界をもっている。
愛の無限の力を、みんな忘れてしまったようだ。

経済が、世界を支配し、
地位名誉が、すべてに優先し
自分の身の安全が第一となる。

しかし、経済も、神の前では、むなしい紙くずに過ぎない。
名誉も地位も、神の前では、紙のこよりの役にも立たない。
自分の身を守ろうとする、この心が、神の前に、進み出ることを妨げる。

山上の立ちて、かの方は語った。

幸いなるかな 心の貧しき人 天国はかれらのものである
幸いなるかな 柔和な人 かれらは地を嗣ぐであろう
幸いなるかな 泣く人 かれらはなぐさめを得るであろう
幸いなるかな 義に飢えかわく人 かれらは飽かされるであろう
幸いなるかな あわれみある人 かれらはあわれみを得るであろう
幸いなるかな 心の清い人 かれらは神をみまつるであろう
幸いなるかな 平和を求める人 かれらは神の子ととなえられるであろう
幸いなるかな 義のためにせめられる人 天国はかれらのものである

そして、かの人は、十字架の上で、なくなった。

ローマを破壊することもなく、
ローマ軍を打ち破ることなく、
誰かを責めることもなく、
苦しい時は、苦しさを背負い
誰でも、文句を言わず、十字架を背負った。
何かを呪うことなく。

2000年の時に渡り
地球の隅々までも
かの人が出会った ”神”が伝えられた。
すべてが、育まれ、生かされている ただ、その力によって。

愛をすべての根源におこう。
すべてを、育み、成長させるために、一切の時を使おう。


そして、奇跡に出会うだろう。
すべてにエントロピーの働くこの世界にあって、
すべてが、分散し、崩壊してこの世界にあって、

生命を支え、成長させていく力
どうして、このような力が、どこから、やってくるのだろうか?
その源にあるもの。
すべては、その”奇跡”に支えられて、存在している。

すべてが、包まれ、育まれて、今がある。
これ以上、何か、必要なものはあるのだろうか。



            (by kimito 6/15/2002 ICU創立記念日に寄せて)
                




幸せを感じる心、幸せを見つける心

現代人の忘れ物
昔は、あった。
でも、今は、ないものの多い。

幸せを感じる心、幸せを見つける心が、消えてしまったみたい。
どうみても、不幸のどん底にあるとは、思えないのに
いつも、交わす会話は、
幸せじゃない という話ばかり、
今日、幸せを一つ、見つけましたか、と聞くと、ないという。
昨日は?
今年は?
昨年は?
今までには?

これからも、幸せを感じることは、出来ないかもしれないね。
どうみても、不幸のどん底にいるようには、みえないけど。

幸せを感じる心、幸せを見つける心。
それは、どこにあるんだろう。
光を感じるのは、眼。目の見えない人には、光が見えない。
音を感じるのは、耳。耳の聞こえない人には、音を聞こえない。
味を感じるの舌。舌を失った人は、味がわからない.

幸せを感じる心は、幸せを感じる心。その心を見失った人は、永遠に、幸せを探り当てることはできない。
感動的な映画をみても、小説を読んでも、どこか、違和感がよぎる。
どうせ、作り物の世界を、切って捨てる.
花の美しさも、空の輝きも、幸せに繋がることもない。

そんな人が、幸せに出会うことは難しいかもしれない。
一瞬、出合ったとしても、それを、感じつづけることはできないかもしれない。

一生、不幸の道を、ひたすら、とぼとぼと、歩きつづけるのですか。
顔を揚げれば、すばらしい世界に生きていると感じられるのに、
この道は、坂道で、石ころだらけだと、文句を言いつづけるのですか。
滑って、転んだからといって、それは、道のせいですか。切り株のせいですか。

あなたは、何もない、コンクリートの道をとぼとぼ、歩きたいのですか。
あなたは、10km歩きました.100km歩きました。そんな表札のある道を
とぼとぼ、歩きたいのですか。

それとも、花が咲き、鹿が飛び交い、トンボや鳥が飛ぶ、
山も谷も、川もある、自然の、大自然の道を歩きたいですか。
そこには、たくさんの出会いがまっています。
たくさんの幸せを、背負った、たくさんの出会いが、待っています.

素敵な人生は、素敵な人生を感じる心が、出会う出来事から、”かんな”のように
出来事の記憶を、心のなかに、削り込んで、ためていくのかもしれません。
幸せを感じる心の”かんなの歯”をさぐりあてて、磨いてみませんか?

                      (by kimito,kurosawa 6/18/2002 日本ガンバレ)



21世紀の大爆発に向けて

20世紀 それは、江戸時代から明治時代に変わりはじめたとき.
ライト兄弟が空を飛ぶ冒険に挑戦するまで、人は空を自由に飛ぶことは出来なかった。
エジソンが電球を発明するまで、人は、夜を明るく過ごすことは出来なかった。
ノーベルがダイナマイトを発明するまで、人は、大きな岩を砕くことが出来なかった。
蒸気機関車が生まれ、モータが出現し、発電機が生まれ、
映画が登場し、蓄音機が登場し、
無線が飛び交い、電話が登場し、そして、テレビが、
自動車が我が物顔で、町を走り、ジェット機が空を飛び、
ロケットは、月に行き、銀河の果てまで飛んでいくようになった。
多くの病気は、医学によって、克服されるようになった。

20世紀のはじめ、まるで、大爆発にように、様々が技術が花開いた。
そして、その爆発の勢いが、目覚しい科学技術文明を構築した。

21世紀
 それは、どのような爆発の起きようとしている時代なのだろうか。
 人間の爆発。人間の可能性の爆発。
 19世紀、だれも、電気にこんな力があるなんでだれも知らなかった。
 電気は、永遠の昔からそこにあったのに。
 空気に、重い飛行機を支える力があるなんて、なかなかわからなかった。
 鳥は昔から、空を飛んでいたのに。
 
 イスラエルとパレスチナ 憎しみあう人たち
 イスラム教とキリスト教
 民族の対立、宗教の対立、経済の対立、国家の対立
 様々な挑戦を、人類はしてきた。
 奴隷制度の廃止、女性の権利、子どもの権利 世界人権宣言
 それらへの挑戦

 しかし、環境破壊、軍事の増大、虐殺、貧困、経済格差
 新たに出現する病気 狂牛病など

 大爆発の時代
  人間の可能性の爆発
  性善説も、性悪説も乗り越えて、人間の根源的な力へ
  電気ように、空気のように、誰も、気づけなかった そんな人間の力
  社会や経済に押しつぶされそうになりながら
  自分を縛り付けてきた そんな力を、
  静かに、解きほぐし
  憎しみを越える 何かに出会う。
  怒りを越える 何かに出会う
  怠惰を越える 何かに出会う

  そんな出会いが、人間の爆発の始まりになるのかもしれませんね。

                  (by kimito 5/21/2002)






魂の記憶を、求めて


樹齢1000年に達する樹木が存在する。
その木も、一つの種から、芽を出した。その種は、一グラムのならない小さなものかもしれな
い。
しかし、その木は、何十トン、何百トンもの重さになっている。
水分を吸い上げ、養分を吸い上げ、光合成を行い、毎日、毎日、毎分、毎秒、成長をしてき
た。
1グラムにも満たない種が、何十トン、何百トンもの樹木に、物質変換したわけではない。
樹木の体をつくる材料をひたすら、取り込んで、自分の体を作っている。
種を構成した1グラムの物質も、生命の新陳代謝の中で、すでに、その樹木から、消え去って
いる
のかもしれない。

最初にスタートした種は、その樹木の命であり、その種(しゅ)の形である。
イチョウの木は、イチョウの木になり、杉の木は杉になる。

その大木を構成する物質は、その前は、土であり、水であり、空気であった。
別に、その樹木になる必然はなにもない、地球上を漂う物質であった。
しかし、なぜか、その木を構成する材料として取り込まれた時、それは、杉になり、イチョウ
になった。

魂の記憶。
それは、まるで、遺伝子のようなものなのかもしれない。
しかし、同時に、その誕生以前に、蓄えれられたエネルギーのようなものなのかもしれない。

現在の人生を構成する、さまざまな要素。
しゃべり方、歩き方、両親に対する接し方。お金に対する考え方。

政治や社会、家族に対する考え方。
アメリカやイスラム社会に対する考え方。
その膨大な まるで樹木を構成する物質のような大量さをもって、人間の内側に蓄えられる。
経験として、思想として。

しかし、すべての根源的な 種  魂は、その樹木全体に命を与え、成長を促している。
なにか、そのようなもの。

この不思議な、まるで、ブラックボックスのような無限の世界。

しかし、あるとき、奇妙な反応を引き起こす。
その地域、その家庭、その社会にあって、なぜか誰にも理解されない、その人となにか不思議
なかかわりで
突然、反応をおこす。

超能力なんて絶対信じないと豪語する大槻教授。新聞に紹介された記事によれば、子供のと
き、火の玉をみて その不思議を追求しようしているという。
たった一つの昔話を手がかりにその人生を、トロイ発掘にかけた人もいた。だれも信じていな
かったのに。


魂が、何かに反応する。まるで、ハンマーで叩かれたような衝撃を与える時がある。
それは、なぜか、”不思議さ”との出会いである。

この”不思議さ”という”不思議さ”は奇妙なことだ。
なぜなら、ある人にとっては、どうでも、いいことなので、関心の対象にも、ならないことな
のに、 ある人には、人生を変えてしまう 重大事件となる。
なぜ、その不思議さは、それほどまで惹かれるのか。
それは、その不思議さを不思議と感じる 魂の記憶が存在するからかもしれない。
なぜなら、その不思議さに、なんらかの答えがある という 直感にほかならない。


          21世紀への進化をめざして。

20世紀は、世界を大きく変革した時代でした。
電気で光を灯すようになり、
飛行機で空が飛べるようになり、
蒸気機関車が走るようになり、
自動車が走りまわるようになり、
ダイナマイトで、岩を砕くこともできるようになりました。
日本が、江戸時代から明治時代に変わる頃、
本当に世界が変わり始めました。

人類は、すべて、孫悟空のように、たくさんの力を手に入れ
地球上を、所狭しと暴れまわりました。
そして、本当に、世界を変えてしまいました。
月にまで、到達して、月の石をもって帰ることもできました。
太平洋も安全に飛び交うこともできるようになりました。
100階建てのビルもつくることもできるようになりました。
たくさんの病気に直せるようにもなりました。。

しかし、地球が平和になったわけではありません。
たくさんの問題が山のようにあって、解決する目途も
立たない問題もたくさんあります。
どうして、こんなにたくさんの問題があるのでしょうか。
なにか、混乱を引き起こしている原因があるに違いありません。
それを探すことができるのでしょうか。
それを探すのは容易ではないのかもしれません。

混乱の原因は、人間にあります。
人間の心に、混乱の種が隠されています。
あたりまえのことですね.
その混乱に立ち向かう方法を、きちんと整理し、説明することはなかなか
できませんでした。。
しかし、今、混乱に立ち向かうたくさんの人達がいます。
そして、たくさんの成果を出しています。
その成果は、その人達の努力によって、支えられています。
それは、人間の心を純化していく、進化していく努力です。
「私が変わります」という宣言が、自分を進化させていく力です。


奇跡の詩人 日木流奈さんへ
         (4月28日 2002年 NHK 午後9:00放送)

あなたを最初に見たのは、何年か前のテレビでした。
今回、NHKが取り上げて放送したのを見たので、2回目になります。
初めてあなたをテレビで見た時、とても、びっくりしました。
そのときは、今より,もっともっと小さくて、普通の子供なら、
ようやく、ひらがなや1桁の足し算をならっているころだったと思います。
あなたは、歩くことも、しゃべることもできずに、脳障害の子供でした。
懸命の努力の中、あなたは、今も,やっぱり、脳障害の子供です。

けれども、あなたは、たくさんの本を出版して、多くの人達に感動を与えています。
脳障害の子供だから、なにもできなくて当然と思われる環境の中で、
お母さん、お父さんの愛情、多くの人の愛情を受けて、あなたは、現在の状況に中で
可能性のつばさを、のびのび、伸ばし,屈託の無い人生を生きています。
その、屈託のなさ、のびのびさが、人々に感動を与えています。

見た目には、なにもできないあなた。あるくことも、食べることもままならない。
多くの賛同者たちとの対話集会に出ても、まるで、あなたは、お母さんに抱かれた
腹話術師のお人形。
けれども、あなたの指差す文字を言葉に替えてはなす、お母さんの声は、
あなたの豊かな世界をのびのびと伝える。
あなたがどんなに自由で、素晴らしい世界に生きているのかを、惜しげもなく、
この世界に伝える。

そして、この世に生きる、健康な人たちに、もしかすると、ぜんぜん、違う世界が
あるのかもしれない。いままでの生き方が誤解に満ちていたのかもかもしれない。
そんなことを思わせる。

人間の可能性に対して、重大な誤解があるのかもしれない。
小さいから、子供だから、なにもできないのだろうか。
難しいことは理解できないのだろうか。
しかし、もしかすると、もっと、自由に、もっと、おおらかに、子供は、世界を吸収しているのかも
しれない。

奇跡の詩人
そう、そこには、奇跡が満ちている。
人間のおおらかさを、人間の自由を、無限の世界から言葉につむぎ出している。
もっとも、不自由な人生のはずなのに、もっとも、自由に生きている。
歩くことも、しゃべることもできないのに、あなたが、もっとも、自由に生きている。

これからも、たくさんの本を書いてくださいね。


2001.2-2002.4

黒澤公人の世界から   その3

(その1 1998.4 - 1999.12)
(その2 1999.12 - 2001.2 )
(その3 2001.2 - 2002.4)
(その4 2002.4 - Now)

目次

若さというエネルギー
ユートピア(平和な国)を創るために
平和の鐘へ:あなたの力
あなたは、なにか努力したことがあるのかね。
たくさんの宝物たちへ
心の耳を澄ませ
負けてはならない
無という豊かな存在へ
平和の鐘へ
沈黙の向こうから : 御手に触れて
(3/24/2002) (知っているつもり イエスキリストより)
あなたは聖(ひじり) (3/15/2002) (ライ患者の故郷への帰郷のテレビ番組から)
21世紀を平和な社会にしよう。
平和を求めるあなたへ
ユートピア(平和の国)を創ろう
ユートピア (平和な国)の建設をめざして
人生の不思議に出会った時
人生の不思議を求める人へ
新しい生命力に
21世紀になりました。
手ぶらで帰すわけにはいかない。(南極越冬隊から)(2/27/2001)
21世紀を創る。(2/7/2001)





若さというエネルギー

ファミリーレストランで、家族で食事をした。
隣の席に、女子高校生の達がおしゃべりをしていた。
そのうるさいこと。
でも、人間はあんなにもエネルギーを出しているのかとも思った.
あんなの大きな声、笑い声をだして、生きていける存在でもあるのか。
よその席から、苦情が届いたのだろう、店員が何度か、注意しにやってきた。
しかし、人間は、あれほどまでのエネルギーをもった存在なのだ。
何人かで会話しているだけなのにである。
会話ということに託されるエネルギーもすごいものがあるのだ。
そして、そのようなエネルギーをどのように使うべきか、それを考える場がないのかも
しれない。
きっと、すばらしいエネルギーに違いなのだが、それをいろんな方法で、豊かに使う方法を
訓練することができたら、すごいことかもしれない。
                (4/21/2002 ファミリーレストランにて)



ユートピア(平和な国)を創るために

誰かにバカにされたとき、反発する心が動く.
私の内に、その出来事を、そのようにしか、捉えられない.
しかし、その出来事を、静かに受け止めることだって、できるかもしれない。
私の心がきれいならば.

失敗に気付いた時、穴の中に落ちていくような、気分に苛まれ、
逃げ出したくなってしまうこともある。
しかし、失敗に気付いたら、冷静に分析し、すばやく対策を打つことだってできるかもしれない。

心がきれいになれば、出来事を、しっかり、踏み止めて、主導的に生きることができるだろう。
しかし、もし、人間全員がそう生きることができるようになったら、不安も、失敗もしなくなるのだろうか。

どうも、そんなことはないような気がする。
未知なる未来に突き進むのが挑戦者たる、人間の使命。神のごとき、自由意志と、創造の力をもつ、人間といえども、この3次元世界に生きるのは、多くの制約と重しつけて生きるようなもの。だから、人は、強く生きなければならない。より、強い自分になるために。

しかし、この3次元の人生がすべてなら、そうする必要はないのかもしれない。

人間は挑戦者である。
そして、挑戦者はいつも、不可能に挑むのである.
だれが、あんなピラミットをつろうといったのだろう.クレーン車も、ブルトーザーもないのに。
だれが、あんな馬鹿でかい奈良の大仏を作ろうと言い出しのだろう.
だれが、月に人間が行って帰れるといったのだろう。

そして、たくさんの失敗、挫折、悲しみ、苦しみを作り出した。しかし、それを、乗り越えて、新しい時代を切り開くため。無限への挑戦を諦められないから。
それば、父なる神へのあこがれを、無視することはできないから。

そして、最大の思慕は、平和な社会をつくること。
貧困、暴力、公害、圧制を乗り越えて、今、不可能に思えるそのことに、限りない挑戦の歴史を築くこと。
人間のすべての原動力 父への思慕なのだと思う.

                                by kimito (3/1/2002)
                               平和の鐘の到着に寄せて

平和の鐘へ:あなたの力

ICUのチャペルにつけられる チャペルの鐘
その鐘の名は、平和の鐘
多くの人が、平和を願って募金をしてくれた。
そして、多くの人のメッセージが寄せられた。
そんな中に、”こんな鐘を造ったところで、平和がくるもんか”
そんなメッセージを見つけた.
その人のありのままのメッセージなのだと思う。
こんな時代だから、ますます、そう思えてしまうのかもしれない。

しかし、平和の鐘が、今、ここにあることによって、たくさん人が平和へのメッセージを
言葉にし、メッセージに書いた。
その力が、この平和の鐘にはある。
日常の中,流されながら、生活している現代社会にあって、
平和を言葉にし、思い願う、行為を引き出した そんな力が、この鐘がある。
この力こそが、平和の始まり。
確かに、この鐘があるだけでは、平和は生まれない。
しかし、この鐘は、人間の心に、存在する平和の希求を呼び起こしている。
そして、いつか、その人にも、この鐘を思い浮かべて、平和を願い、祈るときが
くるのかもしれない。その時は、誰にも知られることもない、記録されることもないかも
しれない、”奇跡”の時。
そんな力が”平和の鐘”にはある。


あなたは何か努力したことがあるのかね。

こんな声がする。
あなたは、何か努力したことがあるのかね。
たしかに、仕事をしているかもしれない。
しかし、それは、努力しているのだろうか.

努力するとはなんだろう。
日常の繰り返される行動を、ただ行うことは、努力していることなのだろうか。
ただ、生活しているだけでは、努力していることにはならないのかもしれない。
努力とはなんだろう。

ほんとうに努力していきるとはどんなことだろう。
世界は、さまざまな混乱に満ちている。
赤字国債を出すことは、決して望ましいことではないとみんなは知りつつ、どうすることも出来ずにいる。
狂牛病が起こるかもしれないと思いつつも制度を変えることが出来なかった。
フロンが、オゾン層を破壊し、温暖化に影響を与えるを知りつつも、廃棄冷蔵庫、廃棄クーラーからは、次から次へと宮中に放出される。
次から次へと生産される携帯電話、パソコン、自動車、それらも、短期間の内に、寿命を終え、廃棄物と化す.
海に浮かぶビニールを、海亀は、海草を間違えてたえ、海亀の胃袋は、ビニールで溢れている。
今日もたくさんの人達が、飢えで死んでいく。
世界は、荒れているのに、傍観している現実。
享楽に流される現実。
地球は病んでいるのに。

内なる声が聞こえる。
あなたは何か努力したことがあるのかね。



たくさんの宝物たちへ

始めはたくさんの宝があった。
宝は地に満ち、溢れていた。

必要があり、意味があり、その存在は尊ばれ、宝となった。
それらは、すべて光輝く宝であった.

時を経て、必要も、意味も忘れ去られ、
チリが積もり、埃に覆われ、輝かしい歴史にも、
悲しい出来事が重なり、いつしか、輝きを失った。
そして、罵倒されるものとなった。

罵倒されるたびに、文句を言われるたびに、
一つ一つの栄光は、失われ、力は失われた。
いのちは、失われ、ただ、そこには、のろのろと動く
形だけの組織が残った。

よみがえれ、宝たち。
すべてのものが、力をもち、輝きをもつために。

悲しい出来事も、より、本質を見つけるためであったのかも
しれない。
すべてを無秩序へと運ぶエントロピーも日々、新たな光を産み出す
根源でもあった。
”時”の流れとは、生命と活動を生み出す神の愛であった。
生命の力とは”時”あった。

蘇れ、宝たち。
見失われた本質の意味を探り当てるなら、
自らの中より、光が溢れ出す.
輝きを取り戻す。

罵倒する声もむなしくなり、
文句の声も、自らを励ます声と替わる。

すべては力となり、前進するエネルギーとなる。

始めは、宝があった。
意味をもち、必然があった。
輝きを取り戻すための
”時”を待たれている。
             (by kimito 3/13/2002)


心の耳を澄ませ

かの方の声が聞こえる
かの方は、いつも、あなたに話かけている。
がんばるのよ。
がんばりなさい。
ほんとうにしたいことはなんなのか、よく考えなさい。
つらくても、がんばりなさい。

心の耳を澄ませ.
太陽の声が聞こえる。
春になりましたよ。
夏になったのさ。
秋になったわよ。
冬が着ましたよ。
そして、あなたが成長するために必要なものは、
すべて、あなたに届けられたのよ。
人生を成長することが出来ましたか?

心の耳を澄ませ.
あらゆるものの声が聞こえる。
パン屋さんには、パン生地の声が
コンピュータには、コンピュータの声が
遠くにいても、お母さんには、赤ちゃんの声が。

しかし、心の内にはたくさんの声が鳴り響く。
自らの欲望のどなり声を押さえ
自らのひがみのわめき声を押さえ
自らの失望に耳を塞ぐのをやめ、

心の耳を澄ませ
  すべては息づき
  すべては輝いている。
  すべては、あなたを励ましている。
         (by kimito 3/15/2002)




負けてはならない。

人を悪く言う心に負けてはならない。
怠ける心に負けてはならない。
怠惰な心に負けてはならない。

人生を支えるために、
時を過ごすために、
問題から眼をそらしてはならない。

この世界に生きるには
自分の本当の願いを生きなければならない。
恐れる心、慌てる心、嫉妬の心に惑わされてはならない。

この世界に、自己を正当化することは、本来できないもの。
それでも、心は、自己正当化を求めて、ひたすらに、走りまわる。

大海を行く船は、嵐や風、波にもまれても、
ただ一つ、北の夜空の星を求めて
自らの行く先を定めるしかないのだ。

自分の本当の願いに耳をすませ。
人を罵ろとその声はいうのだろうか。
自分の身を救うために、相手を貶めてよいのだろうか。

それは悪魔のささやき。
自らの人生を悪魔に引き渡すこと。

負けてはならない。
もう、自然のように交わされてきた
悪魔のささやきに、耳を貸してはならない。

あなたは、いつも悪魔のささやきに耳を貸しつづけてきたのだ。
あたかも、それが、自分の人生を生きるかのように。
しかし、
あなたは、目覚めていなければならない。

ただ、歩め。
投げ出したくなる心をなだめ、
目的とはなんだったのかと、確認しながら。
                    (by kimito 4/1/2002)


無という豊かな存在へ : 全ては「無」から創造された。

ハリーポッターのような小説は、どのように書かれたのだろう。手塚治虫などの奇想天外のマンガなど、どうして、こんなことが思いつくのだろうかと思いつつ、つい、引き込まれて読んでしまう。そして、その世界に思いを馳せ、その世界に生きることができる。
この地上の現実の世界とは、ちょっと、違う雰囲気をもった世界が、実にたくさん、言葉や、劇、映画などで、この世界に提示されてきた。
人類は、宇宙の成り立ちを、研究している。宇宙の誕生や、宇宙の膨張、太陽の終わりの時や、何十億年後には、地球も生命の住むことのできない星となること などを、予想している。しかし、巨大な望遠鏡や宇宙観測のデータを元にしても、宇宙の構造をつかむことは難しい。地球の世界観の3次元的な説明で、宇宙を 説明できないのは、すでに明白である。宇宙の構造や成り立ちを研究をすればするほど、複雑な宇宙の構造が提案されている。
とても、日常の世界にいきる我々には、到底理解できない理論が次から次に展開されている。
そのことを考えると、ハリーポッターや手塚治虫ワールドやウルトラマンワールドが、奇想天外な話ではないのかもしれない。私たちは、大宇宙からみれば、何も知らないと言える。
私たちが、誕生を無からスタートして、教育や家庭から学んだことが、その人生の知識の全てという考え方は、やはりちがうのかもしれない。
大宇宙を生命的な側面を感じる神秘を感じることもあるかもしれない。生命という不思議な次元の世界は、知識とかいう限られた世界を越えて、無限の大宇宙の生命の次元の世界に思いを馳せ、共感し、途方もないような世界にも、つながることもできるのかもしれない。
それが、創造という不思議な力なのかもしれない。
考えることや、思いを馳せるそのすべてが、多様な世界を創造しているのかもしれない。
それが、創造という不思議な力をもち、物理的、科学的な考え方と途方も無く違う何かによって、世界という言葉で表現できない何かによって、”パリ-ポッターワールド”や”手塚治虫ワールド"が、創造されていたのかもしれない。
その人の”ワールド”が、なにか、"A 世界の創造”、”The 世界の創造”が、人生とともに”創造”されているのかもしれない。
なにか、"そのワールド”という実態のあるような、無いような、そして、その人の死をもって消滅してしまいそうな、なにかが、ある。その人の死をもってしても、消滅することのない、何かがあるのかもしれない。
時間という不思議なことも考えて見る必要もあるだろうし、次元の問題、エネルギーの問題、たくさんの要素を検討しなければならないだろうが、”眼にみえる世界”のむこうに何かあるのは、確かなのかもしれない。
それはとても、とても 豊かな ”無” の存在があるからなのだろう。
そして”無”とは、どのように定義されるべき 言葉なのか 考えてみる必要があるのかもしれない。

(by kimito 3/31/2002)

平和の鐘へ

あなたは教会の鐘。

教会の鐘と言うと、こんなことを思い起こさせるね。
教会の鐘の音は、町々に、村々に、その響きを伝え、人々の心を、生活を支えてきた。
町々には、自慢の教会と鐘があった。とうちゃんや、じいちゃんが、汗水ながして、樹を切って、石を運んで、作った誰にも真似の出来ない、たった一つの教会 があった。それは、産湯のごとく、自分の誕生を祝い、洗礼のとき、ミサのとき、クリスマスの時、結婚の時、そして、死の時を、いつも、人生の時に奏でてく れた音。
その音が、旅から帰る旅人に故郷を呼び起こす音。


あなたは、どうして、遠い異国で、うまれて、この地にきたの?。
そう、あなたの誕生には、長いお話があるの。
57年前に、世界中を襲い、何百万、何千万の人達の命を傷つけて、家々を壊し、文明の粋を賭けて、互いに傷つけ合う戦争があった。
それが終わって、平和の音を、全世界に響かせたいと願った人がいた。
その人は、もう既に死んでしまったけれど、そのことを覚えていた人達がいた。
その人達の呼びかけで、あなたは、この世に生を受けた。
あなたが、平和の音を奏でるために、生まれだした。

平和の音って、どんな音なんだろう。
澄んだ、カラン、コロンの音かしら。
それとも、力強い コンカラガンの音かしら。
それとも、清らかなカロンコロンの音かしら。
どんな音がするんだろう。

きっと、平和な音は、人の心の奥に、どこまでも、どこまでも、響いていく音。
傲慢になった人の心を揺り動かし、青空のように生きることを思い出させる音。
弱気になった心に、さくらの花のように、思いきり咲いてごらんを呼びかける音。
いやみしか言えなくなった心を、静かに、人の声に耳を傾けることを思い出させる音。

平和の鐘よ。
いつまでの、平和の音を響かせよ。

あなたは、まだ、この世に生を受けたばかりだ。
この世の哀しみ、苦しみ、理不尽さを、たくさん見るだろう。
そして、また、多くの愛や友情をみるだろう。

あなたは、平和の世界にやってきたのではない。
あなたは、この地上に平和をつくるためにやってきたのだ。
ほんの57年前、世界は焼け爛れていたのだ。
その時、平和を呼び覚ますために、あなたは、その願いをもって、召し出されのだ。
あなたを作っている金属は、岩に眠る鉱物でいることもできたのかもしれない。
あなたの兄弟達は、飛行機になって、大空を飛んでいるのかもしれない。
もしかすると、人を殺す兵器になっているのかもしれない。
しかし、あなたは、教会の鐘になった。

それは、あなたが、平和をつくる使命、伝道者になったということ。

清く生きよ。
簡素に生きよ。
そして、強く生きよ。

哀しみを乗り越えて、苦しみを乗り越えて、100年先まで、200年先まで、1000年先まで
人間が平和を求める存在であることを述べ伝えよ。
21世紀がどのような時になるのか、その目で見、語り伝えよ。

そして、誕生から未来への時の重さをもって、”人間とはいかなるものなのか”を証すものとなれ。

                               (by kimito 3/7/2002 平和の鐘の到着に寄せて。)


沈黙の向こうから : 御手に触れて

眼の前に差し出された、御手に静かに触れた。
柔らかく、暖かかった。
日常の何気ない世界では、あまり気にならない生き方も
陽の光の前に出来る自分の影に怯え
決して、握り返すことの出来なかった御手に触れた

求めよ、さらば、与えられん。
叩けよ、さらば、開かれん。
天からの声が聞こえる。

私は、あなたに応えたい。
たくさんの声に応えたい。
あなたの可能性に呼びかけたい。
あなたが、こう生きたいを言うのなら、力の限り応援しよう。

しかし、あなたは、今、自分の言葉を持たない.
だから、私は、あなたに、何も伝えることができない。
私の内なるこの思いをあなたに伝えることができない。
あなたが、私の手をそっと、触れたから、私も、そっと触れただけ。

私に語る”あなたの言葉”を持ちなさい。
そうすれば、私もあなたに語ろう。
あなたが、私の手を握り締めるなら、私もあなたの手を力を込めて握り返すだろう。

御手を握り締めるものが、握り返される。
語りかけるものが、語り返される。

御手は、いつもあなたの前に差し出されている。
あなたが、怠けようとするときも。
怒りに、傲慢になろうとするときも。
言葉は、いつも、語りかけられる。

静かに聖書を開く時、
静かに自分の人生を振り返る時
御手が、差し伸べられていたことを知る。
御声が語りかけていたことを知る。
その時、陽の光を受けて、怠けることの罪を知るだろう.
その時、慈悲の心に触れて、怒ることの怖さを知るだろう.
その時、愛の心に触れて、傲慢の恐ろしさを知るだろう.
だからこそ、
正しく生きよ。元気に生きよ。勇気を持って生きよ。
全ては神の御手に包まれている。

私は、あなたにたくさんのことを伝えたい。
私は、あなたにたくさんの思いを伝えたい。
しかし、その時は、
私の手を握り締めるその時だけ。
私に向かって語りかけるその時だけ。




(3/24/2002 知っているつもり イエスキリストを見ながら、去来したイメージから)


あなたは聖(ひじり)

少年のとき、ふるさとの地を出て
閉ざされた診療所にやってきた。
その当時、人間は、その病と闘う術を知らず、
あなたの病は、あなたの体を腐らせ、溶かした。
あなたは、眼もなくなり、鼻もなくなり、手から指もなくなった。
はっきり語る声も失い、かすかな声のみが残った。
人生のすべてをあなたは失った。
自由に外を歩くこともできず、あなたは、なにもできなくなった。
あなたの人生は、この小さな診療所に閉じ込められ、
あなたの人生のすべては奪わられた。
あなたの自由になるものは何一つなかった。

しかし、あなたに残ったのは、清らかな魂。
自らの人生を怨むのでもなく、嘆くのでもなく
あなたの心はいつもふるさとの津軽に思いを馳せる。
楽しかった少年のころの思い出。

父が少年に言った。
「この病気がおまえの仕事だ」

その少年も数十年の月日をへて、老人となった。
家族もなく、生まれたときの名前も変え、他の人生として
生きた。
しかし、そんなあなたにも素敵な娘ができたのですね。

あなたは、少年の心をもった、詩人になった。
詩しか書けない詩人になった。
その詩さえ、自らの手で書くこともできず、
他の人に書いてもらうことでようやく完成する。
その書かれた文字を見ることもできない。
あなたの心の内にふつふつと沸き上がる言葉を地上に残す。
あなたは、魂の詩人。

あなたの顔は、醜く恐ろしげだ。
あなたが町をあるけば、多くの人は恐れ、わめき出すに違いない。
人間じゃないと言い出すに違いない。
しかし、あなたは、笑って、それを受け止めるかもしれない。
そうなんだ。これが、ライという病気。
これが、私の仕事。
父の語った言葉が、あなたの人生のすべてを支えてきた。

あなたは、聖。
魂の証人(あかしびと)
どんな時も神様の手を放さなかった人。


(by kimito ライ病患者の方が、ふるさとの津軽に訪れたという

テレビ番組をみて。)



21世紀を平和な社会にしよう。

 テロ、環境汚染、さまざまな問題を抱える、現在の地球。
 誰かが、この地球を平和な社会につくってくれるのだろうか。
 政治家がしてくれるのでしょうか。
 大企業がしてくれるのでしょうか。
 経済大国がしてくれるのでしょうか。

 この地球を、緑豊かなこの地球を、誰が、守るのでしょうか。

 21世紀の一人一人の人生を豊かなものにしよう。
 こうなってしまったのは、誰々さんのせいだ。
 こんなはずじゃなったのに。
 困るよ。なんとかしてくださいよ。
 そんな言葉が次から次へ湧きあがる心を、持て余しながら。
 私の人生の平和のために、誰かが、なんとかしてください。
 でも、おせっかいはいらない。

 それでも、人間は、調和を希求し、真理を希求する。
 心の内に、大自然に感動し、勇気ある行動を賞賛し、やさしさや、励まし、回りの人が元気であってほしいと願う、"こころ"が存在する。
 豊かな人生を、送らせないように、何かが仕組んでいるのかもしれない。
 本当は、人間は素晴らしいのに、すがすがしく生きることを、やめさせる力が働いているかのようですね。
 それは、重力という力だろうか。秩序をバラバラにするエントロピーの働きだろうか。
 しかし、生命の力は、土の中の種を、1000年の月日をかけて、天まで届く、巨木をそだてあげる。1つの卵を、何千kmにおよぶ、大陸縦断、大海横断する鳥に育てる。
 金も力も無いものが、フランスを救い、インドを独立させる。仏教の経典を地の果て、海の果てまで取りに行かせる。世界の隅々まで、聖書を広げる、生命の力。


 "私が変わります。"この私の内に向けられる、このエネルギーが、こころの内に忘れていた、"生命の力"を、"人生の力"を呼び覚ますのかもしれない。
 生きようとする力強いエネルギーが、混沌の海を突き破り、調和への道を切り開くのかもしれない。
 1000年の巨木は、1年とて、同じ形であったことはなく、1000年の月日、自らを変えつづけてきた。1000kmを飛ぶ鳥は、始めは、歩くことも餌も取り行くこともできず、親鳥に、餌を運んでもらうしか出来なかった。
 "私が変わります"は、日々体が成長していくように、魂が成長するということを意識しようということなのかもしれない。
 魂が、天に届く巨木のように逞しく、地の果てまで飛んで行ける鳥のように、自由に生きる可能性を、魂の生命力はもっている。
 ただ、無自覚に時をすごせは、愚痴や、不満、怒りに覆われてしまう。
 だから、それらを押し止め、魂を鍛え、成長させたら、どんなに素晴らしい人生を切り開くことができるのだろう。


平和を求めるあなたへ

 戦争を産み出すものは、人の心だとよく言われます。平和を生み出すのも人の心です。
なぜ、ビンラビンは、テロを行い、ブッシュは、報復攻撃をおこなうのでしょうか。それ以外の選択は、考えられないのでしょうか。
 むずかしい問題ですね。人は、家族や愛するものを殺されると、冷静ではいられなくなりますから。
 平和は大切だと誰かが言っても、自分の財産や家族を失わなければならないとしたら、平和を選択するのは、難しくなります。もし、戦争することによって、巨万の富が手に入るとしたら、それをやめようとするのは、難しいかもしれません。
 平和を本当に支えるのは、そのような現実にあって、尚、平和を守ると言いきれる人の上にしか作り上げることはできないのかもしれません。
 ガンジーが、インドの独立を考える前に、たくさんの人がインドにはいました。しかし、たった一人の言動によって、インドは、独立するきっかけを得たのです。誰かが、命をかけて、それをおこなうならば。
 そして、ガンジーは、暗殺されました。いままでに、平和を唱えたなんと、多くの人達が殺されていったのかと思います。

 私たちの中には、その平和を支える不動の心はないのでしょうか。
きっと、あるはずなのに、テレビが、ゲームが、常識が、資本主義や快楽を求める思いが、それらを見つけることをむずかしくしています。それでも、平和を希 求しそうな教育や経済、文明、文化の中、良識の中、それらを捜しても、なかなか、その答えを見つからないのかもしれません。
 その答えは、一人一人の心の中でしか見つけることはできないからです。それを見つけることはできるのでしょうか。見つける方法はあるのでしょうか。
 ある人は見つけられるかもしれません。しかし、見つけられてもそれを伝えるのは、たいへんなことです。しかも、家族の悲運や誘惑の世界にあって、その心を守り抜くのはたいへんです。
 しかし、それを求めるならば、必ず、それを見つけ出すことができます。
それが、人間の力だからです。
 本当に平和を求める必要や理由があるのでしょうか。国家を背負い、民族を背負い、家族を背負い、平和を希求するために、何をするべきなのか、その明白な答えは、やはり、いつも、大きな悩み末の答えでしかないのかもしれません。
 誰もが、その問題に切実に考え、苦しくても、前向きに検討し、解決していく努力の上にしか、平和は築けないのかもしれません。
 そのような努力を、何万人の人達が、何十万人の人達が、努力しても、地球上にある環境問題、貧富の格差、民族間の憎しみの問題、富や名誉への誘惑の問 題、限りない問題の前に、簡単に、地球に平和は来るとは思えません。しかし、人類は、必ず、この問題に、何百年経とうが、何千年経とうが、取り組み続けな ければなりません。
 そして、いつか、その問題を、解決する日がくるに違いありません。いや、人類に手で、産み出さなければなりません。
 
 新年の集いでは、人間一人一人の中に、不動な礎を求め、その上に、平和を築こうと取り組んでいる人達の存在をみることができると思います。
 そして、たいへんなことだけど、そう生きてみようじゃないかと、言っているのです。

 良心や真心をもって、生きることを、誰も知らないし、そう生きれるなんて、だれも信じていないようなことを、本気で生きてみようといっているのです。
 もし、良心に添って、生きるならば。それが、私が変わります なのかもしれません。


ユートピア(平和の国)を創ろう。

それは、単純なこと。
単純だけで、簡単じゃない。
単純だから、難しい。

世界中の人が、 「そんなことはイヤだね」と絶対言わなくなれば、ユーピア(平和な国)は生まれるに違いない.
面倒なこと、苦手なこと、損なことに、誠実と献身の心ですべての人が立ち向かうこと。
それは、愚かな従順でもなく、判断停止でもなく、あらゆることに前向きに態度で。
きっと、ユーピアの国では、交わされない言葉に違いない.

人が、ただ、そのように生きるだけなら、お金もいらず、すぐにも出来そうなこと。
でも。それが、一番難しい。
それを言わない国はない。
きっと、毎日、何十億回、何百億回の「そんなことイヤだね」の言葉が交わされ、その言葉のかたまりのように、現
在の地球がなっているにちがいない。

不利なこと、苦しいこと、損なことを、イヤだと思うことは、自然な感情だと人はいう。
しかし、それは、自然なことなのだろうか。

冬の寒さは、イヤなこと。しかし、桜の木には、冬の寒さが必要だ.冬の寒さ抜きにして、春にあの花を咲かせるこ
とできない。だから、桜に樹には、寒さは嫌なことではないはず。
多くの植物や動物にとって、冬は、辛いことだけど、「イヤなこと」ではないと思う。
むしろ、冬がないと、その生存が危ぶまれるものも、多いはず。

きっと、ユートピア(平和の国)では、「僕は悪くない。悪いのは君だ。君のせいでこんなことになってしまったん
だ。」という言葉もないに違いない。
ユートピアに生きる人々たちは、そんな感情は、どんな感情だろうと思うことかもしれない。
そんなとき、ユートピア(平和の国)は生まれているに違いない.

しかし、現実の地球は、そんな言葉に満ち溢れている。
そう生きることがあたかも自然のように。
しかし、それが、自然であるわけがない。
なぜなら、ちっとも、心が穏やかにならないもの。

ただただ、それが出来ないばかりに、いつまでも、ユートピアは出来はしない。
ただただ、世界中の人が、そう言わなくなるだけで、ユートピアが生まれるに違いないのに。
誰も、それを言わなくなる方法を知らなかった。
それさえ、知ることができれば。

ユートピア(平和の国)は生まれ出すのです。

イエス様は、言った.
「神の国は近づけり。」

右の頬と打たれても、心穏やかに生きることができる。そんな人がいるんだよ。
パリサイ人だからといって、その人を憎んだりせず、助けることできる人がいるんだよ。
あなたもそうなりなさい。

ユートピア(神の国)は近づけリ。

常識のように繰り返される言葉を乗り越えて。
毎日のように交わされる言葉を乗り越えて。

自分の心の王国を自らの意思で支配しない。
他の者(常識や価値観)に、人生の主導権を委ねてはいけません。
自らの主導権を奪回しなければなりません。ジャンヌダルクのように雄雄しく。
そして、苦しいこと、辛いこと、不利なことに、誠実に立ち向かうことが、人はできるはずなのだから。

ユートピア(神の国)は近づけリ。
あなたが、生きようと心に決めた時。
それは、あなたの人生が変わり始める時。
                                       by kimito (1/30/2002)


ユートピア (平和な国)の建設をめざして

私たち人間は、ユーとビアをこの手で作り出すことができるのだろうか。

20世紀は、19世紀とは、まったく、違う世界を生み出してきました。
電気、エンジン、そして、空を飛ぶ力も、百年前に登場し、20世紀は
19世紀の人には、とても創造のつかないような、文明社会を生み出し
ました。
それは、自然への挑戦であり、便利さの追求でした。
それを、人が求めた結果、その文明は生まれました。

私たちは、ユートピアを造り出すことより、経済的な成功や、政治的成功、
軍事的成功が欲しかった。
けれども、私たちが自らに問えば、明らかである。
戦争より、平和を求めている。
飢餓や貧困より、豊かな平等の社会を。
公害や環境ホルモン、放射能に曝されない社会を。

しかし、人は、家族にも、心打ち明けて生きることもままならない.
隣人の行動も、素直に、見守り、励ますことができない。
そんな自らを、どうすることもできない。

イエス様は、言うかもしれない。
すべての人は、宝の埋まった畑をもつ農夫のようだ。日々の生活に
追われ、遂に、自らの畑にある宝を見つけることができない。
また、人は、その心の内に、神の宮をもっているが、そこに至る道をしらない。
そして、また、同時に、欲望や、妬みが、人の人生を、牛耳っている。
まるで、欲望や恨みというものに、人生を操られているかのようだ。


お釈迦様は、言うかもしれない。
身や心、口を整えれば、悟りの道に至るだろう。八正道という道を
人は、歩むことができる。それは、自らの思い、行為を自らを、反省する力が
人は、持っているから他ならない。
されど、人の心は燃えている。安らぐことがない。

私たちは、ユートピアをつくることができるだろうか。
ユーとビアは、どのような力で作られるのだろうか。

自らの内に、隠された、人類が見失った、人間の力に、至ることが可能であろうか。
私たちは、誰も、ユートピアを作ろうといわなくなった。

経済をなんとかしろ、政治をなんとかしろ。医療改革だ。環境汚染だ。
二酸化炭素だ。温暖化だ。たいへんだ。このままじゃ、会社が倒産だ.
リストラだ。

私たちは、ユートピアを作ることを、諦めているのかもしれない。
人類の混沌に。社会の混沌に。
そして、なによりも、自分の混沌に。
秀才でもなく。天才もでもなく。金持ちでもなく。地位もなく。
そう、自分の決めたことさえ、やり遂げられず。
学校でも、両親にも誉められたこともない。
そんな、人間たちに、ユートピアなんて作れずはずもない。
会社に就職するのだって、日々の糧を得るのだって、ままならないというのに。

しかし、敢えて言うしかない。誰かが言うしかない。
ユートピアを作る力、誰にもある。
そう、昔、田舎娘に、フランスを救え といった時のように。
武器もなく、金もない彼に、インドを独立させてしまったように。

ユートピアをあなたの上に作りなさい。

あなたの内に、神の宮を見つけ、悪魔の誘いを払いのけるように。
そう、誰も、そのことを忘れてしまった。
アトランティスの記憶のように。遥か、太古の世界に。
しかし、地球が生まれた時から、調和ある世界、豊かな生命の星
多くの種類の動植物が生き、何十億年の歴史を育んできた地球。
その存在こそ、ユートピアの意思でもあった。
すべての人間が、そこで、豊かの暮らすことができる星である。

静かに、地球というシステムと、宇宙のリズムに、心、合わせるとき、
人間の内にある 神の宮の鐘が鳴り響くのかもしれない。

あなたの内にある、宝物に出会えるように。
それは、あなたの人生の目的、本当の願い。
そんな時が、訪れますように。

宝を隠している分厚い土地を取り除く方法はあるのだろうか。
人の心の中の神の宮を覆い隠す霧を晴らす道はあるのだろうか。

本当は、伝道を始めたペテロのように力強い人かもしれないのに、
恐怖に慄く自分を自分と思っているだけかもしれない。
怠惰やすぐ怒る心を、自分の個性だと諦めてしまっているのかもしれない。

そんな ”見せ掛けの個性”や”偽りの我”を見破る方法が確かにある。
地道な努力かもしれないが、確かにある。
現代は、それが、提示された時代でもある。
本当のあなたに出会うことを望むなら、きっと、出会える。
しかし、それは、大金持ちになるとか、事業に成功するとかとは、無縁の話である。
ペテロも、平凡な人生を送れたかもしれないが、伝道することによって、磔にされたし、
ガンジーも、暗殺された。
しかし、そう生きることが、その魂の願いなら、そう、歩むしかないのかもしれない。

ユートピアは、建設が、一人一人の願いで、あるならば、いばらの道も、十字架の道も
歩むしかない。


21世紀の最初のクリスマスに寄せて
イエス様 2002歳のお誕生日おめでとう.

                          by Kimito kurosawa
                          (12/10/2001)  


人生の不思議を求める人へ


私(現在46歳だが)は、中学3年生(15歳)の1月1日、小諸の実家で、テレビを何気なく見ていた。 それは、ジャンヌダルクをテーマした洋画だった。
なぜ、それをみようとおもったのかは、思い出せない。
午後の昼下がり、NHKの教育テレビだった。
たぶん、そのころのことだから、白黒だったに違いない。
実は、それをみるまで、ジャンヌダルクのことはよく知らなかった。
しかし、この映画が、私の人生を、決定的に変えた。
ほんとうにハンマーで殴られたくらいの衝撃が、訪れた。
その衝撃は、私の数十年の人生を揺るがしつづけている。

そのころ、人生は大海に浮かぶ木の葉のように、流されて生きていく、そんな印象があった私には、フランスの田舎娘が、国のために軍隊を引き連れて戦いにいくという奇想天外な話は、到底信じられないことであった。
しかし、なんと、その話は、社会科の教科書にのっていた歴史上の大事件であった。
中学3年生だったから、既に、その出来事について社会で習っていたかもしれないが、それまで、何も、気には留めていなかったのだと思う。
しかし、1月1日に見た、映画は、衝撃的だった。
信じがたい出来事だった。
ほんとうに、それは、あったのか?

中学を卒業して、地元の高校に通いながら、毎日考えた。図書館にいって、百科事典や歴史の本を調べた。それらに書かれている数ページの記述が、問題を解くわずかな手がかりだった。
教会に行って、聖書を勉強する機会もあった。
はじめて、教会で聞いた話は、モーゼの出エジプト記だった。その奇想天外の話も、ジャンヌダルク問題の前には、大事件には、思われなかった。


答えは、なかった。
答えは、あった。社会科の教科書の中にも、百科事典の中にも。
それは、本当にあった出来事なのだと。
しかし、私にとっての答えじゃない。
何が、私にとっての答えなのだろうか。


高校を卒業で、東京の短大で勉強するようになった。
答えの糸口は、短大1年生(19歳)の1月下旬の土曜日の午後、渋谷の道を歩いているときに訪れた。
ある基督教系(?)の布教グループに出くわした。
その強烈な思想は、私を飲み込もうとするブラックホールのような強烈さであった。
すべては、計画された秩序の中に、時は流れていく、そう聞きながら、私の唯物論的世界に、穴があき始めた。


そのとき、愛という言葉が、実態をもって、現れた。
草や木は、太陽の光、熱をもって、空気、大地の栄養をもって、成長することを促されている。
人間も赤ちゃんから成長することを促されてきた。
時には、いろいろあったにしろ、元気に大きくなれ といわれ、見守られて、生きてきたでは、ないか。
その大きくなれ という”そのこと” それが、”愛” という実態なのだと感じた。
愛には、実態のある存在する力なのだと。
そうか、ジャンヌダルクも、そのような、目には見えないかもしれないが、なにか、実在する力に導かれて生きたのかもしれない、そう思った。
それが、私が、探し、探し求めてきた、私の答えだった。四年の月日が流れていた。
ジャンヌダルクは、確かに存在し、あのように生きたのだ。


その基督教系(?)の強烈な思想は、私を飲み込み、引きずりこもうとしていた。
その事態を、たいへんとおもってくれた友だちが、私に救済の手を差し伸べてくれた。
その時のことを、後で、教えてくれた。 「あのときの黒沢君はまるで、ノイローゼみたいだった」と。


それから、友達の紹介で、GLAという会を紹介された。

そして、私は、本当に私が15歳の時、その存在を疑い、探し求めていた、”現代に生きるジャンヌダルク”に出会ってしまった。当時、私は20歳。その方は、19歳だった。

以来、20数年にわたりは、その会で、いろいろ学ぶ機会をえた。
多くのことを学んだ。人間の心について、教えていただいた。
そして、多くの奇跡を目の当たりにした。
人は、本来の人間として、生きていくという奇跡を多くの人が起こしている。
そして、その会の先生の行き様を、長きにわたり観る機会を得た。
人間が本来の行き方、可能性を徹底して追求した一途な行き方にただただ、頭がさがる思いだ。
ほんとうに、こんな人がいるのだろうか。
一人、一人の人間が、本当の生き方ができるなら、そのために、すべてを投げ打っているそんな感じなのだ。


そして、一人一人の中から出てきたものが、21世紀を作るエネルギーのすべてなのだ。
そんな途方もない、グランドチャレンジに、真正面から取り組んでいる。

若き日に、人生を揺すぶるような出来事に出会った人へ。
人生の不思議さを感じた人へ。
まわりの誰にも、その出来事を伝える術をもたず、
不思議の解決する糸口を持たない人へ。

私の出会った方の著作を紹介します。
きっと、なにか、大切な事を教えてくれると思います。


本の紹介



人生の不思議に出会った時

人生の不思議に出会った時
人は、答えを見つけ出さずにいられない。
その隠された宝を、どうしてもみつけだしたいという思いは、
押さえられない。
どうしても、それを求めずにいられない。
だから、人は、それを見つかるまで、探し求めるしかないのだ。

ある時は、宝は、そこにあったのかと思い、
ある時は,ちがう宝を探してしまうかもしれない。

人生の不思議にであった時、その答えをすぐ知ることはできない。
何年も、何年も、めぐり合うのにかかるかもしれない。
一生掛けても、出会えないかもしれない。
しかし、不思議に出会うことは不思議なことだ。。
ある人には、まったく関心を示さないことに、
ある人には、一生を左右する出来事になる。

不思議に出会うとは、不思議の出来事に出会うことではない。
なぜか、不思議と見せている出来事の答えを直感していることなのだ。
もしかすると、答えに遥か昔に、出会った答えを、思い出そうとする行為にも似ているかもしれない。
そうでなければ、不思議を感じる理由はないからだ。

不思議を感じたということは、その裏の隠された答えを知っているという、その直感にほかならない。

だから、人は,その不思議に出会う時、答えを求めずにはいられない。

さあ、人生の不思議の答えを探しにいこう。
きっと、いつか出会えるはずだから。



新しい生命力に


新世紀、明けましておめでとうございます。
生命力。それは、エントロピーという宇宙に流れる壮大な流れを突き進む力。それはあたかも、鮭が生まれた場所を求めて、川を遡る姿に似ている。
同時に、一つの生命からあふれ出た流れは、生命をもって、1000年、2000年の流れを引き起こし、壮大なる歴史、文明を創り出した力。それはあたか も、ナイルの流れのように、小さな小川からはりまり、その小さな流れは、多くの流れを巻き込んで、やがて大河になる川にも似ている.。

生命の力が、無数の生命の誕生を産み出し、無数の死を告げ、大河の流れのように連綿として引き継がれ、人類の理想の世界へ、調和の世界へ旅に突き進む.鮭が、ふるさとの香りをさぐりあてるように。
ICUも、そして、すべてのものが、新たな世紀に歩みを進めて生きます.新たな生命力を得て、希望の旗を掲げながら、未踏の未来を、かつて刻んだ歴史の続 きに、未知なる歴史を書き記す。その歴史を書きこむのは、一人ひとりの生命力であり、その力は明るい笑顔や明るい声によって、力を得る。人はその力をもっ て、歴史を産み出し、歴史を記憶する。

ここに豊かな生命力が湧き出だし、未来を切り開く智慧と勇気を、多くの人々が手に入れることができますように。生命力に託された希望を探り当てる能力をもって


21世紀になりました。
今、世界中で使われている世紀という考え方を、ひとりの人間の誕生を起点にしてしまいました。
かの人は、人類に歴史を変えるためにやってきたのでしょうか?。

そうです、きっと。
かの人は、人類の歴史を変えるためにやって来て、時代を変えてしまいました。
そして、かの人は、その死後も、弟子達がかの人の福音を広めるのを、励まし続けました。

どうやって、人類の歴史を変えたのでしょうか。
科学的大発見したわけでもなく、1冊の本を書いたのでもなく、大帝国を作ったわけでもない。

律法の支配するその地に、かの人は、律法を乗り越える”もの”があることを示しました。
かの人の生き様を伝えようとした本は、ある出来事を記しています。
姦淫を犯したものは、律法では、石打の刑になるはずでした。かの人は、その場にいて、”一度も罪を犯し
たことのないものが、彼女に石を投げなさい” と、回りの人に伝えます。そして、民衆には、ざわめきが
おこり、ひとり去り、二人去り、そして、みんなが去っていってしまいました.
律法が絶対の世界にあって、それを凌ぐ、”もの”のあることを伝えました.
その”もの”こそが、世界を変える力であり、世紀という時代の流れを産み出す力になりました。そして、
そこに生きた人々の人生を変えました.


また、ある人は、カースト制度が絶対の世界にあって、それを凌ぐ、”もの”があることを伝えて、世界を
変えていきました。
その”もの”が、世界を変える力になりました。そこに生きた人々の人生を変えました。


武力が、絶対の世界にあって、非暴力が、それを凌ぐ”もの”であること伝えた人もいました。その”も
の”が、世界を、そこに住む人達の人生を変えました。

現在の絶対はなんでしょうか。
この世が全てという世界。
経済がすべてにまさるという世界。

しかし、それを凌ぐ、”もの”はないのでしょうか。
人間は、この世界にあって、一番弱い葦のようだと喝破した人もいました。 しかし、それは考える葦でも
あると付け加えています。

人間の心の中にある 不思議なもの それこそが、自由意思。それは、愛であり、慈悲であり、欲望であ
り、怒りであったりします。しかし、その自由意思の表れを、言葉にすることができるという事実はどうい
うことでしょう。

人間は、自由意思を判別し、選択できる”意思持つ”存在です。その意思こそが、人生を、世界をつくり、
変えていく力をもっています。それは、一人一人の人間が持つ力です。

自由意思は、飛行機で言えば、エンジンのようです。好きなところにいく力を持っています。しかし、その
エンジンをコントロールして目的に行くためには、エンジンの出力、方向舵、風の向き、地図、機体の傾き
などを知らなくてはなりません。

人間の自由意思の表れを制御することを、知ることが出来るなら、新しい時代が、ここから、開かれていく
に違いありません。自由意思の表れを、ひとつ、ひとつ、捕まえて、選別することができるなら、新しい、
素晴らしい世界を作り上げていくことができるに違いありません.

21世紀は新しい世紀として、その歴史を切り開いているのです。



君を手ぶらで帰すわけにはいかない。

NHK project x
第41回 2月20日放送
2回シリーズ (後編)
「極寒・南極越冬隊の奇跡」
~南極観測・11人の男たち~

NHK Project X をみた。初めての南極越冬の観測とおこなったことがテーマだった。隊長の西堀氏が、隊員がテーマを決めて観測をおこなった。その一人のオーロラ観測を行っ ていた隊員が、観測機器を火事で失ったとき、西堀隊長は、君を手ぶらで日本に帰すわけには行かないと、ほつりと言って、手作りの観測機器を隊員に、あげた と言う.
この観測成果を踏まえて彼は、オーロラ研究の第一人者となったという。

そして、思った。南極に越冬する 迎えは、1年経たなければ来れない現実。そんな、生と死をかけた冒険。

人は、この世に生まれて来るとき、大いなる決意の元に生まれて来るという。人生という冒険の始まりだ。
生まれて来たからには、手ぶらで帰すわけにはいかない。それは、全ての生命を見守る、神の思いではないかと、ふと思った.

そして、聖書の中でも、似たような記述があったように思った.
主人は旅に出ている間に、財産を3人の預けていくのだが、またと無いチャンスを生かすことなく、財産を地中に埋めてしまう一人の召使を、残念がるのだが、可能性を無為に過ごすことを残念だと書いている。

せっかく、生まれてきたのだから、人は、手ぶらであの世に帰すわけには行かない.無限の宝の山に生まれたのだから。
しかし、その宝は、一人、一人が見つけなければならない。

南極も、ただの寒い大地だといえば、そうかも知れないが、科学者の目をもってすれば、無限の宝の山で、きちんと観測すれば、偉大な科学者になっていけるということなのだ。 


21世紀を創る.
21世紀をつくる力は、人の心に潜んでいる。それは、物理エネルギーを取り出すことに明け暮れた20世紀から意味のエネルギー(エネルギーという言葉が、適当ではないかもしれないが)と交流する時代が来るに違いない.
石油には石油文明(電気、車、プラスチック、衣類。。。)力が秘められており、それを見つけて文明を支えてきた。
しかし、もう一つの意味があるに違いない.それは、遺伝子の解明、成分の解明といったものではない、何かとの出会いである。
地球の声を聞き、樹木の生命力を感じ、生きる意味を感じること。
そのが、どんなに人間に巨大なエネルギーを与えることになるのだろう。
存在するものに名前を付けて、分類、分析するのではない、存在の輝きを知ること。
それに意味を感じることが、人生にどんなにすごいエネルギーを与えることになるだろう。

経済や、物理パワーは、大きな影響を確かに与える。しかし、それを超えて、出会う世紀になれることを。

1999.12-2001.2

黒澤公人の世界から   その2

(その1 1998.4 - 1999.12 )
(その2 1999.12 - 2001.2)
(その3 2001.2 - 2002.4)
(その4 2002.4 - Now)
今この時、数十億の人達に、映る世界が存在する。無限の姿を映し出す世界。
同じ物をみても、様々な感じを映し出す。
私の世界を、スナップ写真のように、一瞬の言葉が通りすぎる。それを言葉にすると....


21世紀という未踏の世界を創り出す私たちへ。

20世紀という時代を創り上げてきた力はなんだろう。その力は、そこに生きた私たちの人生を突き動かしてきた。
21世紀という新しき世界に歴史という出来事を書き込んでいく力はなんだろう。その力は今を生きる私たちの人生の歴史も創り上げている。私たちを貫くその見えない内なる力の正体を見極め、本当に清きものだけを選ぶことが出来るなら、21世紀は清らかな文明の時代となる。
私たちの内なる世界への冒険の時代である。本当の宝「私とはなにか」に出会う冒険の旅の始まりである。
この21世紀が私たちの本当の宝に出会える時代であることをお祈りします。
              

21世紀の生命力に

生命力。それは、エントロピーという宇宙に流れる壮大な流れを突き進む力。それはあたかも、鮭が生まれた場所を求めて、川を遡る姿に似ている。
同時に、一つの生命からあふれ出た流れは、生命をもって、1000年、2000年の流れを引き起こし、壮大なる歴史、文明を創り出した力。それはあたか も、ナイルの流れのように、小さな小川からはりまり、その小さな流れは、多くの流れを巻き込んで、やがて大河になる川にも似ている.。

生命の力が、無数の生命の誕生を産み出し、無数の死を告げ、大河の流れのように連綿として引き継がれ、人類の理想の世界へ、調和の世界へ旅に突き進む.鮭が、ふるさとの香りをさぐりあてるように。

すべてのものが、新たな世紀に歩みを進めて生きます.新たな生命力を得て、希望の旗を掲げながら、未踏の未来を、かつて刻んだ歴史の続きに、未知なる歴史 を書き記す。その歴史を書きこむのは、一人ひとりの生命力であり、その力は明るい笑顔や明るい声によって、力を得る。人はその力をもって、歴史を産み出 し、歴史を記憶する。

ここに豊かな生命力が湧き出だし、未来を切り開く智慧と勇気を、多くの人々が手に入れることができますように。生命力に託された希望を探り当てる能力をもって。


21世紀の宝物

    あけましておめでとうございます。
   
    掘り当てよう。
    伝説の宝を
    伝説によれば、それは、無限の力をもつという。

    掘り当てよう。
    伝説の宝を

    それは、人間の内に隠されているという。

    その宝の上には、迷路が張り巡らされ、人類の歴史の中でも、そこにたどり着いたものは、まれだという。それも、伝説が伝えである。

    その迷宮の地図も、羅針盤も失われ、その入り口もありかもさだかではない。かつて、たどりつき、宝をみけた人を記した文書も、今はその真偽も不明のありさまだ。

    掘り当てよう.
    確かにそこにたどり着いた人もいたのだ。そして、今も、そこにたどりつくことを目指している人達もいる。
    内なる宝を探しにいこう。
    それは、崇高なる自分との出会いなのかもしれない。
    物質にすべてを超えて、自分の存在を出会うことである。
    
    その迷宮の入り口も、羅針盤も今は、多くの人の努力よって、その道筋が明らかにされつつある。

    あなたの宝。それは、あなた自身だという。
    あなたが、あなたを本当にいとおしく、すばらしく思える存在に至るとき、
    本当の宝、あなただけの宝に出会うときである。

  

ようこそ、先輩(NHKの番組から)(6/26/2000)
NHK番組で、ようこそ、先輩 という番組がある。社会的に活躍している人の出身小学校で、小学生6年生を対象に、1、2日間、授業を行うもので、 その様子が紹介される。洋服デザイナーあり、マラソン選手あり、小説家あり、ゲーム開発者あり、フランス料理あり、その先生も多才である。この番組では、 なにか子供達にやらせてみることが多い。
洋服のデザインをみんなで考えてつくって、ファッションショウをする。
フランス料理を市場まで、いって材料を買ってきて、つくってみる。
オリジナルゲームを考えたり、小説を考えたり、マジックをやったり、実に多彩である。
それを見ていて感じること。それは、先輩から何を感じているのか。自分たちの可能性と信頼。そして、おどろくほどのパワーをだす。小説家を唸らせるような小説を書く子もいれば、洋服のデザインを考えてしまう子もいる。
たしかに、いろいろ未熟でも、その中にある感性を、先輩達が引き出して、力をあたえ、表に出してしまう。その素晴らしさがそこには、ある。
たしかにその先輩達も、その小学校で小学生時代をすごした。その時は、社会的にも成功しているわけではなく、単なる小学生であったこと。そのことが、その授業をうける子供達をみても、これからの未来を信じることができるせいなのかもしれない。

全ての教科書の内容が吟味され、多くの大人の垢にまみれて教科書。ビタミンも、ミネラルも、すべてあらい落とされてしまった料理のように。魅力も不思議もなくなった教科書とすべての答えが書かれた業者の教材。そんな授業を有無を言わさずに押しつける文部省。
だれが、子供に自信を与えることができるだろう。テストでは、自分の能力をすべて順序付けれて。自分の不思議もありはしない。
僅かにあった、可能性も、様々大会、競技会に出さされて、自分の限界をどんどん押し付けられて、一人の優勝者にために、千人の敗北者の山を作り上げて、僅かな才能の芽をむしり取っていく。
だれが、あなたはすばらしいというのだろうか。
だれが、あなたの未来は開けているというのだろうか。
たくさんの子供達を前にして、子供に感動し、その感性を感動し、その個性に眼を見張ることができなければ。一人の優勝者のみがすばらしいのはなく、 1000人に敗北者が、1001人の素晴らしさを、大人が感じることができなきなくて、その大人の持っている疎外の意識の世界に、なやむ多くの子供達は、 行き場を失っているのかもしれない。
全ての人生は、自らの人生の花を咲かすために、あると感じることもできるという。
自由意志という人生を育む、強力な人生エンジンで、どんな人生を突き進むことが出来るだろうか。
そのことを人にではなく、自分に気付けた人が、ようこそ、先輩たちだったのかもしれない。(by kimito kurosawa 6/26/2000)


奏楽堂インスピレーション(音楽はどこに存在するのか?)
(上野公園にある奏楽堂は1890年に建てられて、現在110年の歴史がある。)
5月31日 奏楽堂で行われた音楽会での黒澤に訪れたインスピレーションから
20世紀は文明の爆発の時代であった。しかし、20世紀文明がこれから訪れる21世紀に素晴らしい人類の未来をもたらすとは、多くの人々は考えていない。
20世紀は、文明の爆発の時代であり、輝かしい成果をもたらしたと同時に、2度にわたる、歴史上もっとも悲惨な世紀でもあったとも言える.
人間の素晴らしい未来を導く、21世紀文明があるとすれば、それは、20世紀文明延長線上にあるのではなく、隔絶した扉の向こうにある。
このような文明の断層は、歴史的にもたくさん存在する。ヨーロッパに起きたルネッサンスは、それ以前と以後では、まったく違った文明を出現させた。 明治という時代も、それ以前と以後ではまったくちがったものといえるくらい違っている。江戸時代もまた、以前とは、べつな文明になっている。
しかし、その断層の重い扉を明けるのは、人々の声のあつまり、もしくは、こころの力のあつまりなのかもしれないと思った.
奏楽堂インスピレーションは、私の訪れた、不思議さだった。
音楽には形がない。音楽は、紙にかかれた楽譜なのだ。演奏者は、それをみて演奏している。
建物のように、なにかがあるわけではない。だれかが演奏しなければ、それは、現れない。楽譜をみて、音楽をイメージし、それを演奏する人がいなければ、現れない.
同時に、その曲が、生まれ出すとき、誰かの心を通じて、感じたものを楽譜に表わしているので、前にその曲が存在していたわけではない。
この音楽とは、どこに存在しうるものなのであろうか。この不思議な現象を、どのように考えるべきなのであろうか。
一人の心の中で生まれて、紙に書きとめられたそれは、何百年だっても、再現することが可能なのだ。多くの名曲が、誰の記憶からも忘れ去られても、楽譜が発見されて、曲が再現されることも、珍しいことではない。そして、誰がつくったのかも忘れ去られた曲も、多い。
この存在の不思議さを、どのように表現すべきなのであろうか。
21世紀文明は、どこにもない。まるで、音楽のように。
ある楽譜が発見されても、いままで、知られていた曲の作り方と違っていたら、どんなに名人であっても、容易に再現することはできないかもしれない。 それは、ルネッサンス以前の人に、ルネッサンス文明を理解するのは難しかったりするのと同じだろう。明治時代に西洋の人には、日本の音楽が奇妙に聞こえた のと同じだろう。
しかし、手がかりがあれば、努力によって、音楽は出現する。音楽を演奏する人達の弛まぬ努力が音楽の再現を可能にする。リュートのたくさんの弦を一 糸乱れぬ早業で弾きこなすのにどのくらいの練習があっただろうか。声をだす音楽にしても、どんなにたくさんの練習があったのだろう。
21世紀文明も今は、手がかりしか見えないのかもしれない。そこから、多くの人の努力によって、声によって、心の力によって、21世紀文明が形をあらわすのかもしれない。ルセッサンスのように。
その力が、21世紀文明の扉を開け放ち、輝かしい未来を築くことになるだろう。
それは、美しい音楽のように、形はない。しかし、美しい音楽を生む出すのは、人間が必要だ。そして、弛まぬ努力が、その音楽を美しくする。
21世紀の美しい文明は、美しい人生を生きる努力をする人にから生み出される。それは、人間の可能性への挑戦であり、人間の本質への挑戦である.
現在は、ルセッサンス以前のような多くの人間への限界の枠の中での文明だからである。ルネッサンスの訪れた、あらたな人間の可能性の爆発が訪れようとしている。それは、音楽の様に、一人一人の心にしまわれた不思議さなのかもしれない。


ビジネス日本語の構築にむけて
日本語。美しい言語。数千年の長き歴史をもつ言語。
そのことを大切にしながらも、日本語には、変化を生じさせない無言の圧力があのではないかと、ふと、思う。
尊敬語、丁寧語、謙譲語など、現代人にとっては、ふくざつな言語要素。
明治時代、新しい日本語産みだそうとする動きがあり、多くの変化が生まれた。
全てをローマ字でという提案もあった。戦前、戦後で文章の書き方を大きく変化した。仮名遣いや、カナとかなの表記も随分変化した。だから、すこしぐらい日本語を変えてもいいのではないかという意見には、賛成はしない。しかし、....。
もし、日本語が、日本に変化を起こさせない圧力となっているなら、その問題を考えてみる必要があるのではないか。もしかすれば、平易な文法による、ビジネスや役所の日本語利用という考え方があってもいいかもしれない。
しかし、同時に、そのことによって、どんな影響がでるのかも考えなくてはならない。人工的に整備された言語が、世界的に普及するというのは、難しいことであるし、自国の言語をしゃべることを強制的に停止された国民の悲劇も、歴史の中では、よくあることであるから。
新しい世界観が日本に広がるとき、その世界観に共鳴する言語のあり方も問われるのかもしれない。世界人権宣言など、人類のあり方に言及したものは、新しい世界を導く入り口となった。これからも、より新しい未来への入り口が、多くの場所から開かれますように。
(BY KIMITO 3/6/2000 新潟の女性監禁事件の警察問題から変化を好まない日本の体質を。言語という側面から。常に尊敬されているのか、自分の立場、ポジションを考察しながら、複 雑な言語を駆使しなければ生きられない社会という現実に、生きるエネルギーや、活動のエネルギーを吸い取られているのではないか。また、そのような序列意 識が、人間の平等意識の障害や、いじめ、差別を暗黙の内に助長させる要素を内在させることもあるのかもしれない。本当の平等の世界からは、平等のあり方を 全生活側面から支える、新しい言語概念が必要なのかもしれないと思う。その意味で、日本語のあり方を、歴史を越えて、時代を超えて、普遍的な人類のあり方 の観点から、尊敬語、謙譲語、丁寧語などのあり方を再構築する、言語学があってもよいのかもしれない。本当のすばらしい未来を手に入れるために。簡単な話 ではないことを十分理解しているつもりです。しかし、漢字の成り立ち、語源を、一つ一つ吟味して新しい漢字学を構築した、白川静先生という存在を考える と、日本語の再構築ということを試みている学者もいるのかもしれませんね。一人の人間のなせる技というには、本当に無限の可能性があるのかもしれませ ん。)


影響を与えることについて
いろいろな大学史を触れる機会を得た。多くの人の努力のたまものによって、多くの学校ができてきたことを感じることができた。明治、大正、昭和の激 動の時を、戦争、地震、火事、財成難など、多くの試練に受けて、切り抜けてきた歴史でもあった。さまざまな事情で、今日まで生き残ることのできなかった学 校も多いに違いない。しかし、これほど、多くの学校が、明治という時代に産声を上げたという事実は、興味深い。なぜなら、江戸時代には、このような学校制 度がなかったからだ。しかし、江戸時代の教育は、非常に優れたものもたくさんあった。あの当時として、識字水準は、世界的にみても高水準であったからだ。
多くの大学の母体、特に、女子教育における明治のエネルギーはすごい物がありますね。多くの海外からの人々によって、道を切り開いた大学もたくさんありますね。
ふと、これほど、教育の原点に、基督教があったのにもかかわらず、日本が基督教国にならなかったのが、不思議な気がしました。
しかし、日本は仏教の国でしょうか。神道の国でしょうか。基督教の国でしょうか。無宗教の国でしょうか。新興宗教の国でしょうか。
イエスに従い、ペテロは、逆さ磔で無くなりました。彼も、逃げること出来たはずです。しかし、そうしませんでした。
影響を受けること。そして、その影響が自分の人生と共振してしまうとき、人は、損とか得とかのレベル越えて生きてしまうのかもしれません。
ICUの宗務部の前に、ICUが与えた基督者について紹介する新聞記事が貼ってあった。人間に対する、神に対する希望のみ 一つもって、海外に、山村に、道を求めて名が並んでいた。皆、ペテロに習いての人生を歩んだのであろうか。
信じるが故に。人生の共振してしまうが故になのだろうか。
(by kimito 3/3/2000  宗務部の記事を読んで)


痛みを感じること、それを引き受けること
最近、校庭で遊んでいた小学生を殺したり、小学生を9年間も、自宅に監禁する事件がありました。
かなしい出来事ですね。事件を起こした本人達には、それぞれの言い分があるでしょうけど。
悩んだり、苦しんだりした人生を送ってきたのかもしれないけど、結局は、自分の人生の痛みや哀しみを引き受けきれなくて、暴走してしまった感じがしますね。
悩む時、ちゃんと悩む。苦しむ時、ちゃんと苦しむ。
世界がどのように成りたっているのか、自分の人生を通して感じることが、できなくなっているのかもしれません。
彼らも悩んだり、苦しんだりしたから、そうなったという声も聞こえてきそうな気もしますが、それなら、人間の痛みや哀しみに共感する感性が育っていたはずなのに。
なにかそれが出来ずに、わがままの人生のまま、放置された。なぜ、そうなってしまったかを、簡単にいうことは出来ないかもしれないけど、自分のため に何をしてもいいという感覚がすべてに優っていて、そうすることによって、小さな子供を殺したり、監禁してしまうことによる、相手の苦しみや哀しみが見え なくなってしまう。
この世に生きること。全てをゼロから体験し、世界のありようを感じながら、回りのことを知っていく。人の苦しみも憎しみも、清らかな愛やすがすがしい友情に出会いながら、自分の中になる感性に出会っていく。
回りの世界に目を見開いて、回りを感じる心を養っていく。
子供の時は、親や兄弟と、大人になって、会社で働いたり、家庭を持ったりして、人は、何かの関わりを持って生きる。哀しみや苦しみに出会うために。それは、隣人を理解するために。
愛や友情にも出会っていく。それも、やはり、隣人を理解するために。そして、本当の自分に出会っていく旅でもあるに違いない。
(by kimito 哀しい事件がたくさんありますね。)

人生のスイッチの時に
人生の流れをみると、人生を変えるスイッチがあるらしいのに気づく。
この不思議なスイッチ。
騙されて、傷ついてしまった人生は、なぜか、騙す側の人生スイッチを入れる。
虐められた人は、虐める側に。
虐げられた人は、虐げる側に。
愛された者は、愛する側に。
一人の人生の内に、進路を転換するほどのスイッチが、たくさんあるとは思えない。
そして、このスイッチは、まるで、その人の人生を待っていたかのように、ピッタリとはまり、そこから逃れることが難しいように思われる。
きっと、自分の人生を、死に直面して振り返るとき、マイルストーンのように点在する人生の岐路 スイッチ。右に行くのか、左にいくのか。そのどちらかしか選べない人生。
どうぞ。多くの愛があなたを育みますように。そして、スイッチの時、あなたを励まし、あなたを支え、あなたの自由意志と対話できる時を作ってくれる 友や家族や隣人がいますように。
(by kimito 2/12/2000 )

世界は闇に満ちて
あらゆる出来事が音に満ちているのに。光はなんとすくないことだろう。
太陽と月と星。そしてわずかに火のみが光を出せた。
人は光を求め続けた。
そして、電気の文明を手に入れた。電灯に、テレビ、人間の生活は、夜も多くの光を手に入れた。
しかし、太陽の偉大さは、あの圧倒する光だ。
太陽を神と呼ぶ多くの文明があったことは自然に思える。
神のごとき光。そして、全ての生命を支える光。神といってもいいのだと思う。
太陽が無かったら。人は本当に闇にいきる存在だったかもしれない。
神のごとき光。この奇妙な形容は何を意味しているのだろうか。
神は太陽を越えて、無限の光をはなつ存在なのか。
光は人の内にも、ある。
全ては育む愛が人にはある。その証は、あなたが今、生きていること。
誰の世話や献身がなくて生きて来れた人は誰もいないのだから。
心の中に太陽を。そんなことばもありますね。
人の存在の中に太陽があるのです。光を放つ、人もいるのです。
それを、人はオーラなんてよんだりもします。
聖書にも、ローソクは部屋の隅におかれることはない なんて表現で光を放つ人の存在を例えたりします。
光はあなたの内にあります。たしかにあります。そして、いつか、あなたは、あなたの内に突然太陽のように輝く光に出会うかもしれません。
人を愛する心。子供を育て、育む心。自らの人生を切り開く心。
人類に歴史の中に、大きな光を放つ幾多の先人がいました。
人間の中には、光かがくものが確かにある。心臓や肺があるように、人間を校正する要素の一つとして。
その要素が光を放つのか、闇や哀しみを放つのか存在になるのかは、神から、あなたに与えられた権能である、自由意志が全てを握っている。
あなたが育った環境や教育を乗り越えて、全てのものから自由である あなただけの自由意志が、すべてをにぎり、あなたの人生の梶を切っているのだ。
さあ、あなたの自由意志に出会いに行きなさい。そして、その自由意志は、本当は、あなたの人生をどのように導きたいのか、耳を澄ませてお聞きなさい。
(by kimito 2/11/2000 入試寄せて。) 

世界は、音に満ちて
空気を通して聞こえる音。
空調の風の送る音。蛍光灯の音。パソコンから聞こえる音。車を出す音。飛行機の飛んでる音。
心臓の音。血液の血管の流れる音。胃や腸が動くとと。肺に空気が流れ込む音。
髪の毛の延びる音。細胞が分裂する音。
全ての出来事に音がある。
桜の花が咲く音。朝顔の花開く音。霜柱が土を持ち上げる音。きのこが顔を出す音。
奇跡の音もありますね。
心の中に愛が灯った瞬間の音。
友情が育まれた瞬間の音。
あなたの人生を転換させたその瞬間の音は、宇宙の果てまで、鳴り響くかも知れません。
すばらしい奇跡の音があなたの内に、鳴り響きますように。
(by kimito 2/11/2000 入試に寄せて)

この世の苦難
この世はやはり、苦難に満ちている。病気もあれば、老いもある。そして、死んでいかなければならない。
この宿命は、だれも、避けては通れない。
しかし、...と、思う。
人が死んでいく存在なら、何故に、この世の春を皆、謳歌したいと願うのだろうか。
植物のように、昆虫のように、動物にように、限られた世界の中に生きることを良しとしないのだろうか。
人類の文明もまた、栄華を誇っているように見えても、野に咲く花の輝きに優ることは出来ない などいう、言葉が浮かんできてしまう。
公害、ゴミ問題、放射能廃棄物など、多くの問題を残しながら、栄華というほんのひとにぎりの部分で、文明だ、文化だと、いっているに過ぎない現実があるように思う。
経済という問題も実に、大変は、概念だ。まるで、孫悟空の頭の付けられた”環”のように、地球の付けられた”環”のように人類の方向を牛耳っている。そして、呪いのような呪文が、地球を締め上げる。
人類は、確かに進化を遂げているように見える。かの歴史の哀しみを越えようとしているようにも、見える。と、同時に様々な哀しみを巻き起こしながら、今尚、時の流れを驀進し続けている。
いつか、ユートピアに辿りつけるのだろうか。
いつか、平和な人類に至ることができるのだろうか。
いつか、その到達した平和に、今まで生きた、数百億、数千億の魂は、救われていくのだろうか。
人類に壮大なロマンが、過去に生きた全ての魂に、今生きる全ての魂に、そして、これから生きる全ての魂に、人間の本当の生き方を感じさせ、体験させ、本当の人類の仲間として、ユーとビアに生きることが出来ますように。
(kimito by 02/09/2000)


魂の願い
会話の中できつい言葉に出会う時、文句に出会うと、まるで、コップの中の嵐のように、こころが揺れだしていく。限りない文句が沸き上がり、限りない不満が、押し寄せる。時して、火山の如く、吹き出してくる怒り。
私は、私の主人なのに、わがままな心が私の人生を牛耳ってしまう。私は、冷静に紳士に生きたいのに、怒りの言葉が出てしまう。それは、私の言葉だろうか。それとも、怒りという別物が、私の言葉を取ってしまったのだろうか。
私は、冷静に生きたい。愛に満ちたイエス様のように。慈悲に満ちたお釈迦様のように。人間として崇高な人生を歩みたい。
怠ける心を捨てて。嵐のような怒りの言葉の圧力にも、踏み応える 心をもって、私の人生を私の人生として生きて生きたい。
魂の願い。誰が、不幸になりたいと思うだろう。だれが、憎まれ者に成りたいと思うだろう。
この地上に生をもって生きること。
それは、そよ風の中を歩くようなもの。
それは、嵐の中を歩くようなもの。
それは、雨の中を歩くようなもの。
それは、雪の中を歩くようなもの。
朝、昼、晩、春、夏、秋、冬、晴れ、曇り、雨、嵐、
無限の表情を見せるのが、この世界。私の人生が振り回されない分けがない。
そして、それに振り回されて生きても人生。
それを覚悟で、自らの人生を踏みしめていくのも、人生。
私は、この世界を生きてみたかった。自分の人生の可能性を知りたくて。
私が、いかなる私か知りたくて、自分を試したくて、私は、神様に懇願して、この世界に生まれることを願って、生まれてきたのだと思う。
魂の願い。この世界に生きて、やってみたかったことをやる。自分の人生を踏みしめて。それは、私の中にある 私の理想の私に、この人生の中で出会うこと。
私にも、こんな感覚があったと驚くような、イエス様もあの聖書の場面では、こんな風に思われたのではないかと思える自分に出会うこと。十字架をせお うとも、自らの人生に歩みを進めたあの時を。ゲッセマネで、自らの人生をみさだめたあの時も。最後の晩餐に、自らの人生を見極めながら、杯を交わす、その 時を。
インドで説教をされたお釈迦様の心を
フランシスコのように全てを捨ててなお、喜びに至るこころを。
限りなく、神の心の手がかりが、あちらこちらに、ちりばめられて、人間の可能性を素晴らしさを。
文句を言う心を抑え、本当の生き方を探し、怒りの言葉を発す口を押さえ、慈悲深き言葉を探す。イエス様の最後の言葉のように。
(2000/2/3 by kimito 2000年の願いを込めて。同時代に生きる、人間の素晴らしさに出会うために。白百合の旗をテレビでみた少年の時の私の驚きを、いつまでも忘れないで生き ていこう と思う。隣人もまた、その旗を掲げているのかもしれないのだから。)


空気のように。風のように。
笑顔が、人から人へ伝わっていく。
渋い顔が人から人へ伝わっていく。
不思議な確信が、人から人へ伝わっていく。
誰かの不安が、伝わっていく。
誰かの欲望が伝わっていく。
空気の樹木の枝をふるわすように。
海面に浮かぶ木の葉を揺らすように。
誰もが、この世の不思議な定めに、思い至る。
永遠ではないこの地上の命。
普遍では、社会の変化。
確かに見えたバブルも、今や夢。
1000年も昔に、おごれる者は久しからず と伝わりし。
確かなものにすがりたい。GNPが世界第2位なろうとも、第1位になろうとも確かなものが見つからない。
”定説”や”天の声”や占いに自分を託す。
あなたの内に、素敵な神聖があるはずなのに。
あなたの人生の誕生から、あなたの内に秘められた、あなたがあなたでなければならない、あなたの宝。あなたの神聖さ。あなたが自由意志を行使できる権利。すべての選択をあなたがすることができるあなたの自由意志。この自由意志は、人間にしかない。
しかし、そのたからも地中の眠る宝のようだ。ただ時は、過ぎていく。あなたが、その宝を使おう、使わなくても。
もしかすると、あなたは、自由意志の本当の力をしらないのかもしれない。
もしかすると、その自由意志の本当の力を知っているひとは、ほとんどいないのかもしれない。
あなたが、自由意志の梶のもと、切り開く人生は、あなたの人生の宝。誰にも、替わることのできない人生の宝。あなたのすべて。
あなたが、もし、充実した人生が送れないとしたら、ただ単に、自由意志の使い方を知らないだけなのもしれない。どのように人生の歩みを、一秒、一瞬、産み出していく、その神の人類に託した力。
聖書には、地中の中に宝を発見したものは、急ぎ、家に帰り、全ての財産をなげうってもそれを買う というたとえが、書かれている。
あなたの内に、密かに眠る自由意志。明らかに、その自由意志を使わずに、世間の常識や誰かが言い出した”定説”に人生を委ねてしまう。
あなたの素晴らしさを、あなたが、広げられますように。
自由意志に宿る神聖のもとに、人生が歩めますように。
(by kimito 1999/12/24 クリスマスの礼拝の鐘を聞きながら)

1998.4-1999.12

黒澤公人の世界から (1998.4-1999.12)

(その1 1998.4 - 1999.12)
(その2 1999.12 - 2001.2)
(その3 2001.2 - 2002.4)
(その4 2002.4 - Now)




プロフィール
黒澤公人(KUROSAWA kimito) 1955年生まれ
図書館短期大学 文献情報学科卒
1976年より国際基督教大学図書館勤務。
国際基督教大学に勤務しながら黒澤公人の心の世界に映ったものを書きためたものです。
  • 今という重さを担う人たちへ(11/1/1999)
  • 21世紀の重さを担う人々へ (10/24/1999)
  • 10月15日 クーデターについて
  • 10月12日 断章
  • 時代の不連続性、時代の価値観の変化について(5/29/1999)
  • ICU50周年によせて(5/29/1999)
  • 生きることについての雑感
  • 最近読んだ本から
  • 20世紀について
  • SPEEDさん達からの熱いメッセージ
  • 友達から赤ちゃんの生まれたとの知らせを聞いて
  • 21世紀を切り開く
  • 時代を切り開こうとする若きチャレンジャー達へ
  • 一人一人のワールドへ
  • ICUの未来へ(ICU賛歌)
  • 奇跡の訪れを聴く
  • 人類の忘れ物  
  • 未来への風を
  • 未果てぬ夢へ 


    今という重さを担う人たちへ
    この地球に生きるとは、空気の重さを感じていることである。
    この地球に生きるとは、重力の力を感じていることである。
    生きることは、総ての重さを感じながら生きることである。
    しかし、その重さを、越えて生きる力が、与えられている。
    空気の重さが無かったら、どんなに軽やかに生きることができるだろう。
    しかし、空気の重さ故に、飛行機は空を飛ぶことができる。
    重力がなかったら、どんなに軽やかに生きることができるだろう。
    しかし、足は地に着かず、歩くことも、走ることもできない。
    この世に、苦しみや悲しみもなければ、どんなに軽やかにいきることができるだろう。
    しかし、喜びも、達成感のなく、生きる意味も感じられない。
    生きる意味は、不思議な事に、苦しみや、悲しみの中に隠されている。その悲しみや苦しみに出会って、釈迦は仏になり、イエスは神の子になり、ペテロは、偉大な伝道者となった。
    今という重さを担う人たちへ。
    今という重さを感じてください。たくさんの重さを感じてください。そこに、あなたの人生を切り開く意味が隠されています。
    日本の国の重さを感じる人は、新しい日本を切り開いてください。
    日本とアメリカの重さを感じる人は、日本とアメリカの架け橋になってください。
    地球の重さを感じる人は、地球の平和を支えてください。
    生命の重さを感じる人は、生命を支える人になってください。
                       by kimito (11/1/1999)
    (重さを本当に感じるとは、どんな事なのでしょうか。イメージ越えて、本当の重さを感じてしまったら、どうなるだろう。砂漠をさまようイエスのように、苦行を行った釈迦のように、ニワトリの声に号泣したペテロのように、なにかが必要なのだろうか?)


    21世紀の重さを担う人々へ
    生きるとは、肉体の重さを担うことである。
    生きるとは、人生の重さを担うことである。
    生きるとは、時代の重さを担うことである。
    21世紀の重さは、いままで人類が創りあげた歴史の重さである。その重さを担おうとしようとしまいと、そこに生きるすべての人が担う重さである。歴史の明と暗の総和である。人類の心の明と暗の総和である。
    その重さは争う心の重さである。その重さは、憎しみ合う心の重さである。その重さは、怒り、傲慢、劣等感、怠惰、欲望の重さである。
    その重さとは、原子力、公害、環境汚染、温暖化等の総和である。
    その重さを支えているものは、なんだろう。
    一人一人の魂の力。しかし、人類に足下は危うく、暗闇の森をさまよう旅人のようである。水を求めて、沼地の入り込んだ鹿のようである。
    かつて、この世紀というタイムスケールの始まりとされた一人の人生が、歴史の重さ、時代の重さを一人担ぎ、時代の流れを変えてしまった人がいた。そして、世紀で数える時代がはじまった。
    かの人の立った、足場は何処だろう。無限に思える重さを支える”確信”は一体どこにあったのだろう。
    人の心には愛があり、神の心、神の国があるという。あなたの中に、すべての重さを担ってのなお、あふれる確かなエネルギーに出会うときが、いつかくる。あなたが、探し場所を間違わなければ。
    かの人が、死に赴くときに、重き十字架を背負ったのは、象徴的だ。時代の重さを背負った姿かもしれない。
    すべての人の罪を背負ったと表現されたとしても、しかたのないことかもしれない。
    かの人は、すべての人が自分の人生の重さ、時代の重さを背負えるのだといいたかったに違いない。
    ニワトリの声に泣きじゃくるかの人の弟子も、その重さを支える”そのもの”に出会ったのだ。自分の人生のすべてを超えて、すべての重さを担う力があることを。
    21世紀の重さを担う人々へ。あなたが、今生きていることは21世紀の重さを感じ、背負うためにこの時に生きているのかもしれない。そ の力は、あらゆる人に与えられている。そして、いつか、生きているすべての人が、人類の重さ、地球の重さ、宇宙の重さを感じ支え合う時がくるにちがいな い。 
                                                 by kimito (1999.10.24)


    クーデターとは何か。
    明らかに劣勢である場合、局部的優位を確保して、全体を押さえ込んでしまうこと。多くの場合、軍事力に頼る。
    全体的不利な場合、政治連合等の画策で、局部的主導権を確保して、優位に立つ場合もある。


    断章
    どうしてこんなことになってしまったんだろうと、きっと、アダムとイブもおもったかもしれない。誰かが誘惑したのかもしれない。きった、だれかが、おいしいリンゴ、輝かしい未来を囁いたかもしれない。そして、みんなで、リンゴをかじってしまった。
    すべての権威は失われ、そこに、不信の渦が残った。
    それも、時という大河に流されて消えていくのだろうか。
    形なきものの誘惑のゆえに。君も、その崖から飛び降りなさい。そうすれば、王になれるだろう。そんな言葉が、宙をさまよっているかのような気分がしている。


    時代の不連続性、時代の価値観の変化(5/29/1999)
    最近,ルネサンスの時代について勉強する機会があった。中世と近世の大転換点を起こしたルネサンス。それは、まる で、すべての価値観をひっくり返したような時であった。 (天動説と地動説、文芸復興など)
    今、中世と近世に生じたルネサンスが21世紀向けておこるかもしれないと思った。中世の人から はルネサンスが想像もつかないほどの価値観の大変換であったように、これからの時代が、今の常識からすれば、どんでもない価値観の登場だってあながち嘘で はないかもしれないと思った。
    21世紀が希望の世紀になるには、人間の新たな可能性の発見からはじまるのかもしれません。
    それは、人間の内なる世界の探求からはじまるのかもしれない。生命とは単なる肉体に関わっているのでないかもしれないから。そこから、あたらしい可能性が開けるのかもしれないのです。
    人類の英知、人類の可能性を本当に掘り起こすことができれば、きっと すばらしい時代がやってきます。それを、本当に産み出すことができる のは、人間、私たち一人一人です。
    音楽も名演奏家も、バレエのプリマドンナのたゆまぬ練習の上に、本当の音楽やバレエの心に出会っていきます。
    21世紀を生きる、人生の名人に成れないものでしょうか。自分の心を本当に制御しながら生きることができる人に成れないものでしょう か。そのためには、名演奏家が楽器を良く知るように、自動車を運転する人が自動車の構造を知るように。ファミコンをする人が、ゲームの成り立ちを知るよう に。 私たちは一人一人が、私とは何かを知らなければならないのかもしれません。
    人間。私たち一人一人。
    毎日を不本意に生きてしまう現実があります。
    でも、なぜ、それが、不本意であると思えるのでしょうか。なぜ、それを問題と思えるの でしょうか。
    私たちは、生きながら、私の人生を築き、求めているのです。
    不思議な気がするかもしれませんが、私たちは、自動車の構造も知らず に、自動車を運転している人のような毎日を生きているのかもしれません。ファミコンのゲームがなんだか知らずにゲームをやらされているのかもしれません。 しかし、どれは、充実した人生なのか、不本意な人生なのか、何故か感じる、何かを持っているのです。
    とても変なのですが、人間がどう生きるのか、どう生きているのか、誰も教えてくれなかったように思います。私たちがどのようにいきよう と個人の問題として勝っ手なことのように放り出されています。生きることは思うこと、考えること。語ること、聞くこと、すべての筈なのに、私たちが生きて いく上で問題になるのは、ほんのわずかな行為です。
    名音楽家が一心不乱に音楽を演奏した充実感と同じ充実感を日々の人生の感じながら、毎日生きられな いのは何故でしょう? いつも、ご機嫌な心、沈んだ心、苦手意識、劣等感、優越感、挫折感、無力感、有頂天の心に自分の人生を引きずり廻 されて、本当の自分の生き方をしていないような気分がいつもついて廻るのは何故でしょう。
    私たち一人一人の本当の生き方を大切にできますように。名演奏家が楽譜の一 音、一リズムを決しておろそかにしないが故に、素晴らしい音楽を奏で ることができるように。ファミコンの目まぐるしい一瞬一瞬の出来事を大切 にするから、ステージをクリアして行くことが出来るように。
    私たち一人一人が、自分の心を、本当に大切する意味を発見したら、世界が変わります。
    きっと、私たち一人一人心が何よりも大切であることに出会える時、私たち一人一人が、本来の人間の可能性に出会えるときかも知れません。それは、神理との出会いなのかもしれません。
    誰かがそういうのではなく、私たち一人一人が本当の私に出会うことがきっとあるのです。神の国は、私たちの中にあるのです。それは、今は、地中に埋もれた宝かもしれません。その宝に見つけ出せれば、私たちの内に神理の教会を建てるのかもしれません。
    命をかけて、神を証し、愛を証した 多くの人たちがそうだったように!
    神の国は、私たちの内なる探検から始めるのかもしれません。名演奏家が音楽の国に辿りつくように。ミケランジェロやレオナルドダビンチが、美術の国を見出すように、私たち一人一人にも、私たちの神の国があるのかもしれません。
    新しいビジョンの訪れが、ここそこにありますように。
                               by kimito (5/29/1999)


ICU50周年によせて
JICUFの方々の笑顔が素敵で印象的でした。ICUの訪れが素敵な思い出が出来たことをお祈りします。
ICUにも多くの明るい笑顔が訪れますように。ICUのエネルギーは元気な心から溢れる笑顔や声なのかもしれませんね。 (by kimito 5/29/1999)


生きることについて
大学礼拝説教集(4/1/1999版)が刊行されたので、読んでみた。ICUに対する思い、基督教に対する皆様の思いが伝わってきて、ICUの活力の源泉感じる。
最近、私も良く生きてきたと思っていたのだが、人生、社会、この地球について重大な誤解をしていたのではないかと思うことがある。私は、他の人の人生を受け入れてきたのだろうか、それとも、自分の世界をただ生きてきたのだけだろうか。私の世界から決して出ることなく。
それって、この地球に生きていることなどろうか。
生きるとは、この地球の空気を吸うこと。
生きるとは、この地を吹く風を頬に感じること。雨に冷たさ、陽の暖かさを感じること。
しかし、人の声を聞き、その人の人生を感じてきたのだろうか。その人と共に過ごして、その人の人生を感じてきたのだろうか。
この地球に生を受けて、本当の意味を探す旅は、続きそうだ。


最近読んだ本から
新渡戸稲造の本を見ていたら、桃太郎は、仲の悪い、犬、猿、雉を引き連れいけたことがすごいことだということがかいてあり、そうだなと思いました。 (犬猿の仲ということわざがあるくらいですから。)現代の桃太郎は、誰かなと考えてみると10年くらい前に亡くなったユーゴスラビアのチトー大統領だった かもしれないと思いました。はやく、ユーゴが平和の国になることをお祈りします。
アッシジの聖フランシスコ(ヨェルゲンセン著 佐藤要一訳 1950,1962)に完全なる幸福という文章があるというので、探してみました。なかなか古い本で、見つかりません。お持ちの方は、是非貸してください。
五体不満足。両手両足のない早稲大の学生の自伝です。 もう、読んだ人もいるしれませんが、あの笑顔は天下一品。 日本で、こんなに明るく生きている人がいるなんて驚きと感動が ありました。。
日木流奈 しゃべれない、歩けない 子供です。 テレビを見ていて知りました。 何も出来ない、しゃべれない。でも、文字盤を使って自分の 心を表現できるのです。 すべての無駄は排除されたそのメッセージはまるで、天使の言葉 という感じでした。 辛いときはただ泣くだけ。そして、みんなから愛されているそれだけで、 幸せ という表現が印象的でした。 ホームページを探したら、本も出ているようで、読んでみようかなと 思ったしだいです。


20世紀について
基督教も、仏教も好きです。聖書に書かれているイエス様の奇跡も本当にあったと信じていますし、お釈迦様の説かれた転生輪廻もあると信じています。 いつか、自分の他生の人生に巡り会えることを楽しみしています。私の人生の秘密を自らの手で探りあてることが出来たら、と密かに考えています。
人間の生き方に興味があります。心についても関心があります。世界が、平和になることに、人々が真剣に生きることに応援したいと思っています。
オゾンホール、環境ホルモン、ダイオキシン、環境破壊、地域紛争など、現代が産み出した多くの問題に、少しでも前向きに取り組めたらと思っています。
この間、イラクのクルド民族に対する毒ガスの影響についての報告をテレビでみました。既に10年以上の月日が経ているのに、遺伝子に対する影響は計 り知れないものがあり、民族自体の滅亡が懸念されていました。チェルノブイリの原発事故、放射能廃棄物に投棄、先進国では使用禁止になった殺虫剤も今なお 多くの国々で使用され、それによる人体の影響。ゴミ焼却によるダイオキシン、ゴミ処分場の水質汚染、薬害エイズ等の問題。哀しい出来事が多すぎますね。な にがそれを引き起こしているのでしょうか。
1/10/2000 テレビのニュースで、湾岸戦争の後遺症について放送しているのをみた。湾岸戦争で、劣化ウラン弾が使われ、その影響と思われる子供達の様子が伝えられた。痛々しいかぎりだ。コソボでも、劣化ウラン弾が使われたという。
チェルノブイリ原発の事故も、恐るべきものがあるが、人為的に戦争で用いられた兵器が、恐ろしい事態を招いていることを非常に哀しく思います。
毒ガスも、放射能を帯びた兵器も、のちのちまでも、もしかすると、この人類に未来永劫にわたる呪いのごとき、重い哀しみの出来事ですね。(kimito by 1/11/2000)
人が社会の中で、自由を失い、人間性を失ってしまう悲しさがあります。人間の中には、確かに美しい心があるというのにです。一人一人が、人間の品性に基づく人生を希求する大切さに気付くところから、最初の一歩が始まるのです。
21世紀がすばらしい輝く未来として、子供達にバトンを渡せることを願っています。20世紀の負の遺産を乗り越える偉大な力と可能性を人類は持っていることを信じて。


SPEEDさん達からの熱いメッセージ
テレビで SPEED という女の子たちを紹介する番組をみました。中学生、高校生という年齢で、学校へも通いながら、歌を通じて、若者達に熱いメッセージを投げかけているのに、すばらしいと思いました。
誰にも、輝ける人生があるのだ。その熱いメッセージが、この世界に満ちているのかもしれませんね。
共鳴 音叉や電波のように、あなたの内に、その輝きが共鳴するとき、あなたは、生きる力を得る。
あなたの内の輝ける 魂の共鳴 が起こりますように。そして、それが、世界に響きわたる時がきますように。


友達から、赤ちゃんが産まれたという知らせを聞いて
お子さまのお誕生おめでとうございます。
エンジェルの生まれたの報が届く。
天国より、神の便りと、一人一人の人生の地図を持ち、縁深き、肉ある人を通じて
肉あるエンジェルとして生まれる。
神と同化したエネルギーのエンジェルは、羽をたたみ、大いなる神の智恵を封印して
ただ、何も出来ぬ、赤子として、そのすべてをこの世に託す。
あらゆる可能性に、すべて、1から始めるために。
すべてを見通す、眼も、今は、目の前をみるだけの目となり
すべてを理解する智恵も、今は、ただ命長らえるために使われ
呼吸する空気に、
聞こえる声に
読む文字に
見える世界に
悲しみも、苦しみの、切なさが満ちているこの世界に新たな人生を産み出す。
生きること、それをあなたの人生として受け入れること。
でも、忘れないで。
あなたは、神様の子供、大いなる智恵持つエネルギー
宝は、あなたの内にある。見える世界を越えて、あなたが不変にもとめる神への思慕が、あなたの内にある。
一晩にニワトリの声を3度聞いた かの人も自らの内なる願いに出会うとき どんな苦難にも、前向きに歩む ものとなる。
あなたが天国から持ってきた 宝を いつか、あなたの内に確かにあることを見つける時がきますように。
素敵なお父さんとお母さんと素敵な姉兄に囲まれて素敵な人生を歩んで下さい。
この世に生きるということは、天国では感じることの出来なかった
風の心地よさを頬という肉体を通じて感じ、
母の手の温もり、あなたの皮膚を通して感じ
きつい言葉を、空気のふるえとして耳で感じ、
騒がしい音を、四方八方にから打ち寄せるのを感じ
学校での授業、運動会を動かして感じ
戦争、憎しみのつらさを感じる心のあるのは感じ、
肉親との別れに出会い
天国では決して出来なかった、この世で生きる時しか感じることができないこの人生。
この世が不完全だから、この世が未熟だから、あなたは、あらゆる可能性を生きることができる。
21世紀を希望の世紀として、新しい世界を築く道を探すことができる。
出会う多くの人々が、神からの宝が、内なる自己に確かにあることを感じる時が訪れますように。
今日、真理というエンジェルが生まれたという 便りが届く。
天国より、内なる宝を確かに抱えて、いつしか、その内なる宝が自らの心の内にあることに出会うために。21世紀の新しい時代を開く光になりますように。
                  by Kimito KUROSAWA


21世紀を切り開く
もうすぐ、21世紀ですね。
何時の世を、若者達によって時代は切り開かれました。
明治維新も、多くの若きエネルギーが時代を切り開きました。
大航海時代も、ルネッサンスも若き人たちの冒険するエネルギーが産み出してきました。
この時代を作り出すエネルギーは、コンピュータや石油資源や原子力の中に眠っているわけではありません。
時代を生み出すエネルギーは、人の中に秘められています。
21世紀の新たなる時代は、どこかにそれがあるのではなく、人の心に潜んでいます。それが、時代や教育、人生観などに触れるとき、イメージが広がり ます。それを、小さな花や大きな樹木を育てるように大切に育てていくと、何か形が見えてきます。あなたの中に隠された、21世紀のビジョンです。
人類の英知と歴史に触れて、本当の人間の可能性と美しさを開花できる時代を目指してください。
そして、ICUが時代を生み出す人たちに新鮮な知恵と勇気を与えつづけんことを。
ICUは、チャンレンジャーでしたし、今後も、チャレンジャーでありつづけると思います。チャンレンジャーの力は、ただ一点です。チャンレジしつづけることです。


時代を切り開こうとする若きチャレンジャー達へ
人生の中で最も成長するこの若い時に、人生の風雪に耐える強い意志を養ってください。
人生の中で最も感受性の強くなるこの若い時に、人生のあり様を照らすインスピレーション に出会ってください。
そして、人生の中で最も多くを吸収できる力が強い若い時に、広い世界のあり様を呑み込んで,新たな世界を産み出す智恵を育んでください。
                        from kimito, KUROSAWA


一人一人のワールドへ
がんばってください。 一職員からのエールです。少しでも励みになれば、幸いです。誰の中にも命があり、誰の中にも思考する力があり、時間がものを具現する時を与え、食べ物があなたの身体を支える。
誰の中にも素敵な思い出があり、素敵な出会いがある。同時に悲しみも憎しみも怒りも嫉妬もやっぱりある。
この世に生まれて来たということは、様々な世界を知ること。様々な世界を感じる自分を知ること。そして、その感じるあなた、何が本当に大切か、見極める心があるということ。
あなたは、あなたのワールドの門番です。
あなたは、あなたのワールドの王様です。
あなたは、あなたのワールドの清掃人です。
誰にも、侵すことのできない、あなたのワールドは、21世紀のビジョンを必ず持っています。あなたの神聖さ故にです。
あなたの神聖さにあなたが気付き、あなたの可能性が大きく広がりますように。あなたからあふれる神聖さの故の行為、言葉、微笑みが世界を変える力になるかもしれません。多く光が地に満ちますように。
一つの小さな草花の種にさえも、自分の花を咲かせる力が宿っているのですから。あなたの人生が、つまらないはずは、絶対にありません。可能性にジャンプ!!


ICUの未来へ (ICU賛歌)
ICUは常にチャレンジャーであった。そして、チャレンジャーであり続けようとした。チャレンジャーはいつも、不可能やNoに立ち向かわなければならない。
日本という制度が、大学という型が、経済の問題が、時には人と人の不信が、チャレンジャーの重石となって、チャレンジャーの足を引っ張った。しかし、ICUはチャレンジャーであり続けようとしてきた。しかし、道なき道を進むにはやはり、つらく、苦しい。
毎日 海の彼方の陸地を求め眺めた、コロンブスのように。
食料も尽きかけた南極探検隊のように進むべきか、戻るべきか、常に迷う。
何がそのつらさを乗り越えさせるのだろうか。
平和への希求、確かな未来への実現。創立に込められた一人一人の未来への祈り、伝言。新しい日本を見出すために送り出された明日の大学。
創立に関わった多くの人々は既に亡くなり、たくさんの意志が、バトンとして残された。未来を託して。
チャレンジャーは傷つこうとも、倒れることはできない。眠りに落ちて、歩みを止めることはできない。そう、確かに、人間の中には未来を切り開く力が秘められている。
無一物。なにも持たぬガンジーは、ただ歩くことで世界を変えた。
無一物。悪魔の誘いをはねのけたイエスは、何も求めず、なにも期待しないが故に人の心の中に神の国があることを見出した。弱きペテロの中にも、あのような強き力があることを、見通していた。ただ、ひたすらに、祈り、生きた。
釈迦も、王子であることを捨てて、ソクラテスは賢者になることを捨てて、ただ、ただ、人間の道を見出そうとすると、そこに、あらゆる喧噪の向こうに、蜃気楼のようでありながら、確かな”神の国”を見つけてしまう。
形を越えて、真理を見たものは、世界を変える力が何かを知る。人はなぜ、この世に生きているのか、その意味を知る。
ICUに残されたICUの匂い。希望の香り。
鮭が生まれた川を昇っていくように、この地にも21世紀のビジョンの匂いがするのです。ICUを受験したこと自体に、あなたの心は、その匂いを嗅ぎ当てているのかもしれないのです。意識できないほど、滓かであっても。
(もちろん、他の地には他の香りがあるのです。そして、その香りに惹かれる人もいるのです。ICUがすべてに特別なんかじゃありません。)
使い古された人間の匂いにまみれてしまった宗教や思想を、少し、脇に置いて、静かな心で世界を見渡して見よう。春に桜の花が咲きました。毎年訪れる 奇跡のような営みを、酒盛りということで、見逃してはいませんか。あなたは、野に咲く花が咲く瞬間の音を聞いたことがありますか。草の芽が土を持ち上げる 力強さを感じたことがありますか。
奇跡はいつも、あなたの身近で起きているのです。静かに世界を感じた時に、本当に静かに訪れるのです。宇宙線を関知するために地中深く埋められた計測機器が宇宙の果ての出来事を知るように。
かつて、ICUの創立に関わったルースミラー女史は、武蔵野に奇跡が生まれた語ったと言う。
あなたの中の本当のイデアに出会えたら、あなたは自分の人生を切り開く力を得たことになる。
若き時は、その出会いのチャンス。若き故に出会えることがある。
奇跡は人知れず、今も起きている。誰にも説明も出来ず、誰に着目されることもなく密やかに訪れる。野に咲く花が、誰が見ていようといまい、人知れず咲くように。


奇跡の訪れを聴く。
あなた自身が今まで、習い覚えた言葉で表現できない”何か”に出会えた時、それはあなたの中で神の世界をかいまみせた奇跡に出会えた時。
あなた自身の中で、表現できない”感じ”が訪れたとき、それは、あなたに神が微笑みを感じた時。
あなた自身の中で、強い志があることを知ったとき、あなたが神の御手を握りしめてしまった時。
現代の忘れた世界。心の内の訪れる世界を確かに知ることは難しい。イエスも、釈迦も、ガンジーも、神の国の訪れを、本当の世界での生き方を感じてし まった人たち。あなたが感じていることをあなたが本当に知ることが大切なのです。それは、あなたが感じているあなた自身のワールドで、誰にも、侵すことの できないワールドです。
神の世界と書かせていただきましたが、あなたの内なる神聖な心。本当のあなたの心。広き宇宙を感じ、人の愛を感じ、人類の痛みを感じ、人間らしくいきたいと感じているあなた自身について表現させていただきました。(人間の神聖をどのように表現すべきかは難しいですね。)


人類の忘れ物
ひまわりの種には、ひまわりの花の秘密が隠されています。ひまわりの花には、昆虫の秘密が隠されています。昆虫には、季節の秘密が隠されています。 季節には、時の秘密が隠されています。時には、人生の秘密が隠されています。人生には、あなたの秘密が隠されています。あなたには、神の秘密が隠されてい ます。
神には、生命の秘密が隠されています。生命には、あなたが、どうして今、ここにいるのかという秘密が隠されています。あなたが、瞬時、人生を選択 し、瞬時、人生を作り上げていくことを、何かが、支えているのです。太陽がまるで、地球の親のように温もりを与え続け、命を支えているのです。
人類の忘れ物。20世紀を越えて、21世紀には、人類が出会わなければならない、人類の忘れ物です。
人間とは何かという忘れ物。ひまわりの種に、ひまわりの花の秘密に出会うために必要はもの。それは、顕微鏡や高価な分析機ではなくて、ひまわりの種に神の秘密を感じる心なのかもしれません。
あなたが、どんなに素敵な心も持ち主か、あなたが出会う時がきます。きっと。


未来への風を
あなたがこの世界に生まれてくるために、奇跡のような生命の連鎖がありました。
人生というわずかな時に、あなたは、どのように生きますか。
あなたが、かつて感じた ”あの感覚” を単なる錯覚で終わらせていいのでしょうか。あなたは、その時、本当の世界に、本当のあなたに触れた瞬間だったかもしれないのです。
生きることは、未来へのチャレンジ。神の造られた時間が、すべてのものをチャレンジャーにかえる。野に咲く花も、昆虫も、動物達も、すべてのものが、神が送ったチャレンジャー達。
ICUであるが故にICUで感じる未来の風。明日の風に両手を広げてジャンプ。
from kimito KUROSAWA (1998.5.2)


未果てぬ夢へ
ICUはチャレンジャーと書きましたが、今、生活する中で、ICUのチャレンジャーらしさを感じることができるといいですね。
ICUのチャレンジャーの心が、あなたの人生のチャンレンジャーの心に力と勇気を与えんことを。共振作用として。ボイジャーが太陽系の果てまで飛ぶために、木星や土星の引力のを利用したように。
大学は、その発祥からチャレンジャーでありました。津田梅子、新渡戸稲造、福沢諭吉などなど、多くの大学の由来を辿れば、さまざまなチャレンジの心 が伝わってきます。新しい時代を切り開くためにチャレンジした先達たちです。そのチャレンジの心がそこで、生活する学生達に勇力と勇気を与えているんです ね。
若者が、自分の人生を自分の力で歩み始めるそのときに、大いなる祝福と勇気が与えられんことを。

夢と言われた物語より


いままで、夢の物質や期待をもって登場したものの物語
安定した物質、変化しないことが優れていると思われたが
最もやっかいな物質になる。いったい、これは、どうゆうことなのだろう。
 変化しないことを喜ばれたが、変化しないことが実にやっかいになってしまったもの。
  放射能 (長期にわたりエネルギーを出しつづける しかし、放射能も永遠とも思える時間で出しつづける。)
  PCB (燃えない油、変化しない油 ->毒性があるのに、いつまでも分解されることがない。今尚、分解不能油)
  毒ガス兵器、不発弾 (第2次世界大戦中に作られたものは、いまなお、毒性を失わず存在する。)
  DDT (今なお地中に深くに廃棄されたが。)
  フロン
  プラスチック。
  尊ばれたわけではないが、変化しないという面ではピカイチ。
  プリオン (狂牛病の原因物質 たんぱく質)
  煮ても、焼いても、無毒化できず。




少量の場合は、特に問題にならないが、量が多くなるとやっかいになるもの
  放射能、核分裂、臨界点
  乾電池と重金属
  今後の課題。携帯電話(大量の電磁波)  本当にそうなるかはわからない。

少量で問題になるもの。
   環境ホルモン、
   ダイオキシン  石油+塩素 ー> プラスチック -> 燃焼+ダイオキシン
新しい変化を生み出してしまうもの。
  抗生物質
目に見えないもの。手に触れないもの

  実は、上記のほとんどのものが、そう。 目に見えて、触れるくらいなら、やっかいなものは、なりにくい。
  放射能、環境ホルモン、ダイオキシン
 
  • プラスチック 変化しない物質、水も空気も通さない。どのような形態にも加工 ができる夢の物質。変化しないが故に、ゴミとして自然に廃棄しても、朽ちることがない。海にただようプラスチックは、それを餌にするもののなく、分解する こともない。それが、どんな影響をもたらすのか、はかりしれない。
  • 放射能 無臭、目にみえず。防ぐ手立ても考え付かず。防護服もない。事故がおきて、対応するすべがほとんどない。各家庭に、ガイガーカウンターや防護服を用意する時代はすぐそこにきているのかもしれない。事故発生のために  基金が 発見された当時は、決して危険なものであるとは、考えられず、骨折などの判断に有効と考えられた。今尚、医療現場では非常に有効な手段である。  さて、MRIも、肉体の断面を診察可能にした。画期的な診断方法である。でも、大量にあびたりするといろいろ問題があるのかもしれないが。        
  • PCB もえない油 夢の油として、燃えない、絶縁性が高い、変質しないなど、すばらしい特性があるため、電気機器(変圧器)などに盛んに用いられたが、発ガン性のなどの指摘によって、現在使用中止になっている。(現在は、用途を限られて用いられる。)  今まで生産されたPCBは、各事業所に保管されている。すでに30年近くが経過しており、その保管状況も十分に把握されている いるとは、いいがかたい。現在なお、その廃棄方法について十分な方法をもっていると言いがたい。まるで、放射能廃棄物のようなものである。
  • 科学兵器 第2次世界大戦中に作られた毒ガス兵器は、50年たっても、砲弾の中に毒ガスとして、存在し、毒ガス弾の解体には、膨大な費用と時間と危険がともなう。
  • プルトニウム。放射能物質で、原子爆弾や原子力発電所の燃料とされが、プルトニウム自体も、猛毒の物質である。
  • DDT 夢の物質といわれた殺虫剤。人間には無害と考えられ、大量に使われた。  多くの国では、使用禁止になったが、今なお、発展途上国などでは大量に使われている。昭和46年ごろ、使用中止となったが、当時現存していた大量(1万2000トンと言われる。10/3/1999 噂の東京 マガジンより)のDDTは、土中に埋設された。 DDTは分解されにくく徐々に土や水に拡散していくのは、環境や生物に大きな問題がある。 
  • 夢の物質といわれたフロン。 (人間には無害と考えられて、大量に生産された。)  歴史上、最高傑作をいわれ、夢の化合物といわれたフロンは、半導体産業に不可欠といわれた物質である。そのフロンが、大きな問題を引き起こしている。 いまなお、車の冷房装置、冷蔵庫のなどに多量に使われたフロンは、今なお、大量に残されている。それを廃車やごみとして処分されるとき、空気中に放出されるのを防ぐ手段をきちんと講じるべきである。
  • プラスチック=石油+塩素=ダイオキシン  (プラスチックスは人間に無害と考えられ大量に生産された。)  石油産業の反逆  ダイオキシンは、石油をプラスチックに変換するために用いられる化成ソーダが、石油をプラスチックに変える。そのプラスチックが、その使命を終えるとき、(燃やされるとき)、化成ソーダがダイオキシンとして放出される。
  • こうしてみると、塩素は、化学におけるキーワードのようである。
  • 抗生物質 無敵の薬   万能の薬と思われている抗生物質。この抗生物質の大量投与(人間だけではなく、ニワトリや家畜に投与されてきた。)によって、細菌が抗生物質免疫化して、どんな薬でも死なない細菌の登場を加速している。 
  • 携帯電話 夢の電話機  (人間には無害と考えられ、大量に生産されている。ペースメーカーを利用している人を生命の危険にさらす。)  携帯電話の普及にともなって、地上に充満する電波の量は、爆発的に増加しています。大気中に、アンテナを上げると、この電波の力だけで、動力を得ることも可能かも。  さて、どのような縁起が生じるでしょうか。  この電波という無法地帯。ペースメーカーのお世話になっている人たちの命を危険にさらしている。 
  • 夢の発電所。永遠に電気を生み出す魔法の発電所。(人間には影響が出ないように隔離することを前提の建設されたが、廃棄物を処理する方法は未だ見つかっていない。)  でも、原子力発電所は、大量の放射能ごみを出しつづけている。  (いつしか、この廃棄物が、人間に牙をむくときがきそうですね。) 
  • 放射能廃棄物の処理に無限の時間とお金がかかるかもしれないのです。    
  • 大量に生産される車やパソコン、多くの産業生産物。  それは、いつしか、ごみになる。それをどうするのか、十分に考えてこなかった現実があります。  日本中にあふれかえるごみをけっして、無害に還元する方法をもっているわけではない。  ロシアの原子力廃液の海への投機を非難している日本も、太平洋では、処理に困った廃棄物の投機をしているのも事実である。  車に課税する自動車税。ガソリン税。道路を整備している時じゃないでしょう。車の廃棄する方法と場所を整備すべきですよ。  減税もいいけど、そんなにお金があるなら、はやく、ごみ処分場や焼却場をきちんと整備するべきですよ。  はやくしないと、日本人全員が病人になってしまうんじゃないかしら。 
  • 環境ホルモン。本当にわずかな量で、生物環境に影響を与えてしまう。
  • 電気というスーパーエネルギー 乾電池、蓄電池 このような電気に関する材料を考えると、マンガン、水銀、カドミウム、ニッ ケル、リチウム等が思い浮かびますが、重金属が登場します。これら重金属は、日本公害史に登場するものが多くあります。 乾電池、蓄電池は、一つ一つは、 小さな単位で生産されますが、それらは、実は大量に生産され、公害史に登場した量をはるかにしのぐ量が日本中に散らばっているのかもしれませんね。いつ か、問題になる日がくるかもしれません。
  • 緑の革命 穀物増産の方法  一時的に、増産を可能にし、画期的な収穫量をあげた。しかし、その画期的な収穫を上げた肥沃な土地も今は、多く荒れ果てているのは、なぜだろうか。 
  • 血液製剤 血友病患者の夢の治療薬として登場した。しかし、加熱処理問題などの対応に遅れ、HIVに感染するという事件をおこしてしまった。
  • ごみ問題をどうすれば、いいのでしょうか。  ごみを処理をする方法は見つかるんでしょうか。 ごみとなることを十分承知して生産することは、可能なのでしょうか。
  • 爆発的普及が起きると、生物環境では、なんらかの制約が生じます。けれども、人間社会では、普及が始まると加速が生じて、ある影響点を超えると、重大な問題に変化します。  バブルは、異常な加速が始まるとコントロールを失うときに始まり、同時の終わります。恐慌も同じ事情で起こります。 経済だけではなくて、人間の活動の多く(工業生産、科学技術)が、バブルに思えてきませんか。  なにか、勢いみたないもので、本当の必要、不必要を考えるのではなく、行動してしまう人間がいますね。  経済とかを離れて、行動できると、本当にすばらしい世界がおとづれそうなきがしますね。  経済に、人類が呪縛されているようですね。そこを乗り越える、世界のおとづれがきますように。 
  • 経済 = 経国済民 (国を治め、民を救うの意味) 国語辞典より 
 
  • 臨界点の問題 (前の状態と次の状態が不連続なもの) 
不連続が生じる点とは。

同じ理論では、カバーできなくなるとき、どのように対応すべきなのだろうか。

音速 飛行機が音速を超える時、音速の壁にぶつかります。
飛行機が飛び出す速度 ある速度を超えるとき、車輪が地面を離れます。
人工衛星が生まれる速度 
固体、液体、気体への変化点
原子力発電、原爆の臨界点
国の大きさの臨界点(ローマ帝国)
風船が膨らんで破れる時点
ネズミ講の破綻時点
積み木を重ねていくと、倒れやすくなる。
同じ論理を振りかざして、違う局面を説明できなくことは、良くあることです。
ニュートン力学と相対性理論
ひとつの状況を説明できたからといって、さまざまな状況を説明できるというわけにはいかないことも多いのかもしれません。 
ごみ問題、ダイオキシン問題、交通問題等も量が大きな問題を引き起こします。
 しばしば、人は、量という問題に目がくらんでしまうという性質があります。 
そのため、経済という問題が量という問題をいつも内在しているので、人類の発展を本当に導くものか再検討する時代がくるかもしれません。

2014年1月16日木曜日

(放送予告)1月26日 ダーウィンが来た   国際基督教大学がその舞台に

1月26日 ダーウィンが来た   国際基督教大学がその舞台に

さて、どんな動物たちが登場するのでしょうか?
NHK のみなさんが、夜を徹して、撮影に挑んだ大作が放映予定。

そこで、勝手に、ナレーションを考えてみました。

大都会、東京に残された、原始の森が、存在し、
そこには、夜な夜な、不思議動物たちが運動会や
踊りを開催している。その秘密の風景を、
NHKのカメラが初めて撮影に成功。

なんていうのは、いかがでしょうか。

どんなことになっているのは、放送されるまで、
誰にもわかりません。
早く、予告も出るといいのですが、もう少しの辛抱ですね。

2013年12月14日土曜日

Naming a Room in International Christian University (Japan, Tokyo) $5000-20000

International Christian University (ICU) is the most beautifu university in Tokyo, Japan.

http://www.icu.ac.jp/en/


 The trees have changed color here on campus as well. Next to the Administration Building, for example, the contrast of red maple, yellow ginkgo and orange kayaki leaves against the blue sky, visible through other bare branches, reminds us for an instant of the striking beauty here on campus.


ICU WEB CAMPUS



Naming a Room

http://web.icu.ac.jp/namedrooms/index.html

There are numerous naming opportunities available in Dialogue House. Naming a room is a great way to honor someone or a group of people that are meaningful to you. The support you provide through naming a room will also go towards helping ICU achieve its educational mission for years to come.


How to Name a Room ($5,000 - $20,000)



http://web.icu.ac.jp/namedrooms/howtoname/index.html

Study Room  $5,000
Lounge  $20,000
Guest Room $5,000 or $10,000

 Named Rooms & Donors

http://web.icu.ac.jp/namedrooms/namedrooms/index.html

6th floor




5th floor


4th floor 


 Contact

 <For North America Residents>
Japan ICU Foundation
E-mail:  information@jicuf.org
Tel: 212-870-3386(NY, USA)

<For Others Japan, Asia,EU,etc..>
Friends of ICU Office (Tokyo, Japan)
E-mail: foi@icu.ac.jp
Tel: 0422-33-3041(Tokyo, Japan)